2013-12-01

「忌」とは何か 島田牙城

「忌」とは何か

島田牙城


「里」2013年9月号「吾亦庵記録 『忌』とは何か」に加筆転載



少し氣になる事があるので、書き留めておくことにする。

九月十九日は近代に俳句の扉を開いた正岡子規の命日だつた。子規の死に際しては、高濱虚子が、

  子規逝くや十七日の月明に

と詠んでゐることは、多く知られてゐるだらう。子規が亡くなつた直後に詠まれてゐる。虚子の句は子規が月齡十七日の月明かりの中に逝つたことを傳へてゐる。立待である。

この年は九月十六日が陰暦八月十五日、十五夜に当たつてゐた。陰暦八月十七日の立待は九月十八日だったのだけれど、子規の死亡は十九日未明の一時、即ち空には十八日の夕方に東に昇った立待月があり、南南西へと傾き始める頃だったのだ。

少し調べてみたのだが、九月十九日は陰暦八月十七日だつたと記してゐるものが多いやうだ。どうもこれは間達ひで、九月十九日は陰暦八月十八日であったが、未明に亡くなった子規の亡骸を包んでゐたのは、九月十八日夕方に昇った立待月の光であった、とするのが正しいやうだ。

まあ、学者ではないのでこれ以上断定の爲の調べ事はしないが、もしさうなら辻褄は合ふなといふ程の話である。いや、すでに多くはこのやうに理解されてゐるのかも知れない。

ところで、この句は子規の死を直接悼む句であるが、かういふ作品とは別に、忌日俳句といふものがある。

例へば子規について松瀬青々の例を出すと、

  見ぬうちに萩はこぼれてしまひ鳧  明35

と、亡くなった直後に詠んだだけではなく、

  一周忌一茎蘭を参らせん  明36
  糸瓜忌や芒十句に日のくるゝ  明39
  舊人舊の如く新人多き子規忌かな  明41
  草の花苦吟を以て祀りけり  大6
  秋風の寒し昔を數ふれば  大13
  柿の木に子規忌近しとおもほゆる  昭4
  秋風やその後苦吟三十年  昭6
  月過のよき薄取る子規忌かな  昭10

と、毎年のやうに子規忌を修し、酬恩のこころを俳句に表はし續けた。直接の師弟(仲間、明治三十年から「ほとゝぎす」へ投句、明治三十二年秋から約八ヶ月間、上京して編集を担当した)であるのだから、この心は素直に理解できる。子規忌に仲間だった者が俳句を作る事によつて、「子規忌」といふ季語が徐々に定着していつた。

忌日俳句にはもう一つの流れがある。有名な、

  芭蕉忌や芭蕉に媚びる人いやし 正岡子規
  祖を守り俳諧を守り守武忌  高濱虚子

のごとき句で、直接知つた人ではない過去の人の忌日に句を詠むといふ流れである。子規の句は大變に厄介。何も子規は芭蕉など意に解さぬと言うてゐるのではなく、芭蕉とて一人の俳人としてその俳句一句一句に正面から向かふぞと言うてゐるのだらうが、子規の俳句革新に賭ける気概が単語や語調にあからさまに剥き出しなのが面白い。

この流れは歴史上の人物への忌日俳句を生むこととなる。俳人なのだから、俳句の先達をその忌日に思ふといふことが多いやうだが、文人や政治家や、時に國外の偉人まで、それはありとあらゆる方面の個人が對象となつていつた。

  六七句一気に成るや鬼貫忌 (俳人)陰八・二
  蛙等も兎も出でよ覺猷忌 (鳥羽僧正)陰九・一五
  去来忌や実に十日の菊の主 (俳人)陰九・一〇
  大坂の落つ火むかしや高臺忌 (北政所)陰九・六
  長養の筆に見らるれ寂厳忌 (江戸の僧)陰八・三
  若沖忌頑石を見に山に行く (画家)陰九・二〇
  世は移り六百年の夜寒かな (ダンテ忌)陽九・二四
  定家忌や薄に欠けし月一ッ (歌人)陰八・二〇
  その大を國に忘れじ南洲忌 (西郷隆盛)陽九・二四
  吉野忌やあたりゆかしき鷹が峰 (遊女)陰八・二五

すべて、作者は松瀬青々。もちろん、青々ひとりがかういふ作品を書いてゐたわけではなからうが、青々が忌日季語拡充に大きく寄与したことは確かである。

普段から尊敬の念を持つて親しんでゐる故人の忌日ならいいが、その日が偶然誰々の忌日だからと忌日俳句が量産されるのはおかしな話である、と考へる俳人もゐるだらうし、僕の中にもさういふ思ひがないでもない。逆の面から見ると、たとへば爽波を読んだことのない人が十月十八日に「今日は爽波忌なのか」と知り、爽波を読んでみる、そして爽波忌の句を詠んでノートに記してみることにより爽波に近付く、ということもあるだらう。効用などといふと「忌日とは厳粛なものです」とお叱りを受けさうだけれど、僕の一面には、さうした効用を無碍にできないと思うてゐる部分もある。

いや、僕がけふ書き留めておきたいのは、以上のやうな忌日俳句の歴史でも、その是非でもなかつた。

今までに掲げた句の全てが、ある故人に対して、その忌日に際し、偲びつつ思ひを陳(の)べた句なのであり、忌日俳句とはどこまでも一故人へ向けて書かれる俳句だといふことを、先づは覚えておいて頂きたい。

そこへ大正末以降、新たな忌日俳句が登場するのだつた。

  わが知れる阿鼻叫喚や震災忌  京極杞陽
  原爆忌乾けば棘をもつタオル  横山房子
  つつぬけのこゑそらにあり廣島忌  日美清史
  消えてより蜥蜴の蒼さ長崎忌  鍵和田ゆう子(「ゆう」は禾扁に由)

これらを先の忌日俳句と同じに考へていいのだらうかといふのが、ぼくの疑問である。いや、僕にも作例はある。考へ無しに使つてゐた過去があるのだけれど、阪神大震災に際して「阪神忌」といふ単語が生まれ、それが季語として流布するやうになつた時、僕はすごい違和感を感じただつた。

「忌」とは何か。音読みは「き」、訓読みは「い - む」「い - まはしい」。もともとは「おそれる」とか「はばかる」といふ意味の漢字らしい。その昔、死は忌まはしいものであつた。だから忌中とか喪中といつて家人は家に籠り、人に会ふことすらはばかられたし、晴の席に出ることも嫌はれた。「忌」のもともとにはさうした死への畏れがある。たとへば「Wikipedia」には「故人のための祈りに専念する期間」といふ説明があるが、本来「忌中」とは死者を出した家のものとして、その穢れを払ふ期間であつたのだらう。

ただし「子規忌」「芭蕉忌」等の「忌」は、もつと単純に考へればいい。「命日」といふほどの意味だ。僕たちが芭蕉忌や子規忌の句をなすといふのには、「故人を偲びつつ、その業績を改めて見直す」といふ意味もある。

言つてみれば、故人への尊崇の念があるからこそ、僕たちは直接謦欬に接することのなかつた人の命日にも故人を偲び、故人へ身と心を寄せることができるのである。

しかるに、「震災忌」「原爆忌」「廣島忌」「長崎忌」「阪神忌」は言葉の形からしてさうはなつてゐない。「原爆忌」は原爆の命日ではない。「震災忌」は震災の命日ではない。この言葉、「原爆忌」の原爆に、「子規忌」の子規へ向けるがごとき畏敬の念を抱けとでも言ふのだらうか。ましてや、「廣島忌」「長崎忌」「阪神忌」。廣島も長崎も阪神も死んでいやしない。

日本語として、これはおかしくないか。「阪神忌」が生まれた (鷹羽狩行が推したと言はれてゐて、なんとなくさうだと思つてゐるが、今、実証する資料は手元にない)時、関西の人たちは「阪神は死んでなどゐない」と猛反撥した。自然に腹から沸いた声であつたらう。これから復興に立ち上がらんとする被災者へ向けて、その土地の名へ「忌」と名付けること。そのおぞましさ。僕の違和感はそこにあつたのだと思ふ。

しかし、生まれてしまつた季語は歳時記編纂者によつて認知されれば掲載され流布する。角川書店『角川俳句大歳時記 冬』には「関西震災忌」といふ耳慣れない言葉が季語として立ち、傍題に「阪神忌」「阪神淡路震災忌」が記され、小路紫峡ら阪神在住の方たちの「阪神忌」俳句が多数登載されてしまつた。

六月二十三日、昭和二十年のこの日、沖縄の地上戦で守備軍が全滅した。県の定める「慰霊の日」だが、「沖縄忌」といふ単語が俳句の世界ではまかり通つてゐる。

僕は、これら俳人の言葉に対するデリカシーの無さに、無力にただ愕然とするしかないのだらうか。「廣島忌」「長崎忌」はすでに慣用化され、地元の人たちも使ふらしい。しかし、この言葉が生まれた當初、反撥の聲はなかつたのだらうか。今はSNSなどの發達もあり、小さな聲がいち早く掬ひ取られるが、「廣島忌」「長崎忌」が生まれた時、「廣島は死んでない」「長崎は死んでない」といふ聲はなかつたのだらうか。

「毎日新聞」九月十八日東京版夕刊の「季語の力 黒田杏子さんに聞く」という記事を毎日新聞社のホームページ「毎日JP」で讀んだ。杏子さんには既に、

  原發忌福島忌この世のちの世

といふ句があるらしく、また「多くの俳人が詠み、名句が生まれたなら、『原發忌』が歳時記に収められる日が来ます」と語つてをられるのだ。原發忌つて、何だらう。福島忌つて何だらう。原爆忌とも違つて、これは實体すら掴めない。

僕たちは「日」といふ言葉を持つ。なぜ「廣島原爆投下の日」「阪神大震災の日」「福島原發事故の日」ではいけないのか。

フェイスブック
https://www.facebook.com/gajau.simada/posts/567606259985921
に少し書いたら、廣島原爆犠牲者の遺族でもある俳人が「惨たらしさが傳わりませんし、わが一族の過半数が殺された命日のイメージが湧きません」と意見を開陳してくれた。

「廣島原爆投下の日」と「廣島忌」に違ひがあるとしたら、その違ひとは言葉にもたれかかる情緒なのではないのかと思ふ。原爆の悲惨にも、東日本大震災にも、情緒による装飾は不要だ。「忌」といふ言葉で全てを包み込んでしまふことをこそ、僕は恐れる。「現実がある。それを見よ!」といふことだ。だから事実としての「日」を掲げるだけでいい。

三百六十五日のうちの、その「日」といふのは重い。

ましてや、俳句作りのために矢鱈「○×忌」といふ言葉を発明する行為は、事件や災害被害者への冒瀆ですらある。

「○×忌」といふのは、我々がその人の死後も尊敬の念をもつて寄り添ひたいと願ふ大切な「個人の命日」としてある言葉なのであつた。

事件・事故・天災に用ひるのは誤用だし、すでに流布してゐるものがあるにしても、今後僕が使ふことはない。

(「東北忌」「東日本大震災忌」といふ単語も既に、俳句関係のホームページサイトに出現してゐる。それを発語してゐる多くが俳人であるといふ事実は痛い。)

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