2014-01-12

【週俳12月の俳句を読む】冬の夜には夏の印象を 小池正博

【週俳12月の俳句を読む】
冬の夜には夏の印象を

小池正博



昨年、句集『仮生』を出した柿本多映の新作10句。
口語作品と文語作品が混じっているが、私は川柳人なので、口語作品の方に反応してしまう。

豚に背広斜塔には枯向日葵  柿本多映

「豚に真珠」という表現がまずあって、ここでは「豚に背広」なのだという。
「枯~」は冬の季語として使われて、「枯蓮」「枯薄」「枯芝」「枯菊」「枯草」など、いくらでも思い浮かぶが、「枯向日葵」というのはあまり聞かない。向日葵は夏のものだが、冬になるまでには切り倒されてしまうのだろう。「豚に背広」「斜塔には枯向日葵」という2セットの取り合わせから、イメージの意図的な落差やずらしが感じられる。

落椿夜は首を持ちあげて  柿本多映

椿は花びらが一枚ずつ落ちるのではなく、花全体が落ちる。切られた首が落ちるのと似ている。ここまでは誰でも思うことである。けれども、この句は更にその先を考えてみせる。落ちた椿は深夜に首を持ち上げているというのだ。「落椿」の後に切れがあるのかも知れないが、首を持ちあげているのは落椿だと受け取れる。
目に見えることがすべてではなく、見えていることの前や後のことを考える。そこに時間が存在する。古川柳に「祐経は椿の花のさかりなり」という句がある。工藤祐経はいま椿の花ざかりだが、次の瞬間には曾我兄弟によって首を落とされてしまうのである。
現代川柳では「キリンでいるキリン閉園時間まで」(久保田紺)という句がある。ふだん見ているキリンは閉園後どんな姿をしているか、私たちは実際に見たことがない。

蛇の目に鏡は眩し過ぎないか  柿本多映

「鏡」の句はいろいろ詠まれていて、鏡に映るものも様々である。
鏡には蛇が映っているのだろうか。それとも、別のものが映っているのだろうか。この句ではそのどちらでもなく、眩し過ぎて何も見えないのであるが、本当は何かが映っているはずなのだ。

怪盗王関の辺りで引き返す  柿本多映

怪盗王とは誰だろう。関とはどの関所だろう。また、なぜ引き返したのだろう。
白河の関などの古典的なイメージを思い浮かべることもできるし、西欧の怪盗を連想することもできて、読者は自由にイメージを代入することができる。それだけ、読みの楽しさがある句だと思う。

霜の夜はでんでん虫を考へる  柿本多映

でんでんむしは夏の季語。霜は冬の季語。
霜の夜に夏のでんでん虫はどうしているだろうと考える。ここでも眼前に見えないものが想像されている。
そういえば、ドストエフスキーに「冬に書いた夏の印象」という文章があった。


「豈」55号の「第二回攝津幸彦記念賞」で準賞を獲得した小津夜景。詞書と俳句のセットを連ねて、散文と俳句を融合する試みだった。
今回の「ほんのささやかな喪失を旅するディスクール」は俳句と詩の融合。融合詩といっても「豈」発表作と異なるのは、俳句→詩→俳句と三つのパートに截然と分かれていること。単独句として読んでもあまり意味はないかも知れないが、前半と後半からそれぞれ一句ずつ取り上げておく。

絵屏風の倒れこみたいほど正気  小津夜景

「正気」というのだから、当然ベースにあるのは「狂気」である。
絵屏風が倒れ込むのはどちらかと言えば狂気に属するだろうが、それを正気と言い張っているのである。

しろながすくじらのようにゆきずりぬ  小津夜景

シロナガスクジラが通り過ぎたら誰でも振り返るだろうな。それを敢えてゆきずりだと言っている。

残念に思ったのは、せっかくスケールの大きな試みなのに、最後の止めの句が「性懲りもなく愛という煮こごりを」という陳腐な表現になっていることである。



第345号 2013年12月1日
石 寒太 アンパンマン家族 10句 ≫読む
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第346号 2013年12月8日
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第347号 2013年12月15日
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