2014-01-12

桑原三郎 新句集『夜夜』を読む エッセー 季節はずれですが 池田澄子

【句集を読む】
桑原三郎 新句集『夜夜』を読む
エッセー 
季節はずれですが               

池田澄子


八月十五日あのとき御昼食べたつけ  桑原三郎

句集『夜夜』(現代俳句協会刊)を読むことで、私の2014年は始まった。

「よよ」と読むのではない。「よるよる」と読む。「よよ」と「よるよる」は同じ意味だけれど、重さ濃さがちょっと違う。

行く人は必ずまがりあきのくれ
春の風邪うはくちびるは舐めやすい

そうだわ、何処かで必ず曲がるんだわ。私は憑き物が落ちたように、いや、憑き物が憑いたように呆然とした。

三が日は過ぎて一応の日常に戻ったのに、『夜夜』を開いては呆然としている。時々、上唇を舐めて、次に下唇を舐めてみる。上唇のほうが舐めやすい。あんまり舐めて、唇が幾分かさかさになったような気がする。

昔、確か『俳句空間』に、桑原三郎の句集評を書いたことがあって、そのときの出だしを覚えている。「桑原三郎は変な人である」と書いたのだった。(ふらんす堂刊『休むに似たり』所収「巧みさを隠す」)

だって本当に、彼は普通の人じゃないのですよ。

普通の人は、「行く人は必ずまがる」なんて思わない。例え直線の道を真っ直ぐ歩いただけにしても、目的の家に入るには曲がらなければ入いれない、確かに。平仮名の「あきのくれ」が、どの道をも迷路につなげている風情。

あまりにも当たり前なので、普通の人間は、そんなこと気に留まらないし、それを言いはしない。ましてや一句の主題にしようなんて、とても思い付かない。

普通の人は、「うはくちびるは舐めやすい」なんて書かない。書かないだけではなく、そんなこと思わない。例え上唇の方が舐めやすいことに気が付いたにしても、そのことを言葉で反芻して、そのことを作品にしようとは思い付かない。黙って舐めていて、ひょっとしたら、それが癖になるだけだ。

この句集を読み終わるのは大変。頁を捲る度に呆然として、頬杖など付いてしまうから進まないのである。なにしろ唇を舐めてみては、なるほどー、とか、ホントだわー、なんて思っているのだから進まない。7ページから始まる俳句の、ここはまだ11ページ。19ページに、私がひどく痺れた俳句がある。けれど決心して、今夜はこのまま素通りする。

そして掲句。この句を前にして思考が止まった。まだ「Ⅰ」の項にある句だが、このところ日に何度か思い出しては、考え込んでいる。

母に聞いたら分かるかしら、などと思い、あぁ母はもう覚えていないだろうか、と、この数ヶ月前から急に衰えた母を思い出して心細くなったりしながら。

八月十五日、あの日、あの正午の様子は、昨日のことのように鮮やかに覚えていて、誰が居たのか、誰に何を言ったのかも、映像として見え、聞こえる。

正午、どうせ食事らしい食事ではないにしても、何かの用意は済んでいた筈の時刻、正午。大きいだけで美味しくないサツマイモか、食べると何故か私は頭が痛くなった饂飩か、トウモロコシか、そんなものが既に用意されていて、家族が食卓に集まる時刻。私はそのために遊びから帰ってきたのだった。

家の前に、近所の大人たちが集まってラジオを囲み聴いていた。大声を出すわけでもなく、皆がうろうろと、ただその場を離れられないという様子だった。言葉を失っていて、ひたすら暑かった真昼。

その景色を何度思い出しながら生きてきたことか。小学校低学年だった私がそうなのだから、大人達はどれほどその日を強烈に記憶し、どれほど切なく思い出してきたことか。と私は、言ったり書いたりしてきた。そして記憶も想像も、其処でぴたりと終わっている。

それなのに、小学校高学年だったのではないかと思われる桑原三郎の思考は、其処でストップしていなかったらしい。いや、そうではないのかもしれない。何年か前にふと気が付いてしまったのかもしれない。でも、どうして、そんなこと思い付くんだ?

あの玉音を聞いたあと「御昼食べたっけ」? 誰か覚えているだろうか。蒸した不味いサツマイモ、食べると頭が痛くなる饂飩は、どうなったんだろう。

本当に「あのとき御昼食べたっけ」? いくら考えても、玉音を聞いたあと何をしたのか、どういう午後を過ごしたのだったか、かすかにも思い出さないのである。

あのあと、私たち何をして一日を過ごしたのだろうか。映像はぴたりと止まったままだ。止まったままだということにさえ気付かずに、気付かないことを不思議とも思わずに生きてきた。

三郎さん、いつ、そんな疑問を持ったのですか? 何かきっかけがあって思い出したのですか? そして思い出しましたか?

思い出せないでしょうね、私たち。この一句によって私たちは一生、あぁあの日、あの昼、食事したっけ? 何か食べたっけ? と呆然とし続けなければならなくなってしまった。この一句を見てしまったから。

あの八月に生きていて、今も生きている人がこの一句を見たら、俳句に関心が無い人であっても百人が百人、あぁ あの日あの時、御昼どうしたっけ? と思うに違いない。

多分全員が、覚えていないことに気が付いて、以後、時折その覚えがないことを思い出して、すっきりしない老後を暮らすことになるのである。

桑原三郎という俳人が居なかったら、この一句がなかったら、誰も気にすることさえせずに一生を過ごすところだった。あの日に、午後はあったのだろうか。そんなことも思わずに、生きて死んでいくところだった。

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