2014-02-02

【週俳1月の俳句を読む】レース 澤田和弥

【週俳1月の俳句を読む】
レース
 

澤田和弥


俳句はレースである。
最初から飛ばす先行逃げ切りか。
中盤からじわじわと追い上げるか。
最後尾から、最後に一気に駆け抜けていくか。
光速は人類の憧れである。
ジョギングには、ほのぼのとしたゆとりがある。
私は高校時代、余力を残して、
最後の300メートルで一気に駆け抜けるタイプだった。
長距離は先頭集団にいて、最後に
光速のように一気に駆け抜ける
帝王ゲブレシラシエが好きだった。
帝王は小躯であった。
私もまた小躯である。
十七音を小躯と見るか。それとも大河と見るか。
大馬が颯爽と駆け抜けるレースよりも、
小さな馬が必死になって、先頭に立つレースを
私は好む。
私はマラソンよりも、同じコースをぐるぐる回り続ける
10000m走をより好む。
以上の嗜好が、私を俳句に向かわせる理由なのかもしれない。
「週刊俳句」1月のレースを振り返ってみよう。


変電所正月四日よく晴れて   上田信治

不思議な馬がいる。スタートは馬なりに走り、
先頭集団にいるものの、さほど目立たない。
しかし鞭もいれていないのに、
いつの間にかするする先頭にたって、
楽勝をしてしまう。
なんとも晴れやかな新年詠である。
「変電所」という上五にいささかの戸惑いを受けるものの、
いきなりの大勝負という訳ではない。
「四日」でいいものの「正月四日」という、
いささか音の無駄遣いにも思えてしまう中七の伸びやかさが心地良く、
その快さを下五のあっけらかんとした表現で、
しっかりと受け止めている。
大勝である。しかしレースを仕掛けた様子はいささかも見受けられない。
魅力的な句である。


剃り残し無き顎撫でて初詣   岡本飛び地

先行逃げ切りである。
集団に呑み込まれると、どうしても走りにくい。
最初にハイペースで行く。
周囲はそのハイペースが続くとも思えず、
様子を見る。少しペースが落ちるものの、
追いつけない。そのまま先行逃げ切り。
「剃り残し無き顎」がいかにもめでたい。
気持ちがよい。
「撫でて」でペースが一瞬落ちるが、
下五でしっかりと逃げ切っている。


初雀にまじりて一羽眼白なる   小澤 實

昔、ダンサーズイメージという馬がいた。
レースはいつも最後尾、そして最後の直線で
あざやかに全ての馬を追い抜き、
勝利を手に入れた。
上五、中七は助走である。
そのために下五のあざやかさが見事である。
渋い勝負である。
最後にハナ差で追いこんだ感はある。
しかしそれが俳句という文藝の醍醐味である。


正月の雑踏ブラジャー販売機   木野俊子

こういう句が私は本当に好きである。
「正月の雑踏」には何の驚きもない。
しかし、そこからの飛躍。
「ブラジャー販売機」には何のエロスもいやらしさもない。
この開けっぴろげな明るさ。
最後まで読んだあとに、もう一度頭に戻ると、
「正月の雑踏」がいかにも効いている。
どんなレースもどんな演出がなされるか分からない。
最初の凡走が実は計算されたものであることに気付くのは、
どうしてもレース後のことになっていまう。
しかし俳句はそれを許してくれる。


初日差さっとダビデを羽交いせる   金原まさ子

美しい。美しい肉体は、レースの結果よりも、
その姿を愛でるだけで充分に恍惚とした気分になる。
この句は美しさだけでなく、
レースの結果も伴っている。
美しいことが、そのまま速さに比例した佳句である。


正月の母のうずうずしてゐたり   齋藤朝比古

いかにも手堅い句である。まさに俳句的である。
しかしそこに「うずうず」というオノマトペが入ることで、
このレースはたいへんに面白い。
単なる本命馬ではない。道化師も演じることのできる本命馬。
安心感とともに、レースそのものも非常に楽しい。


レースに例えるのも、いささか疲れてきた。
ここからはオープンレース。
自由に走らせていただく。


ヌ―やいま処女のどよめく月の川   佐々木貴子

上五に惹きつけられる。突然「ヌー」の巨体が現れる。
しかもヌーはいつも群れている。
巨体の大群が突然現れた。そこに間投詞としての「や」が効いている。
「処女の」が多少安易な言葉にも思えるが、
「どよめく」で盛りかえす。
「月の川」でしっかりと締めた。
ヌーの大群が満月の夜の川にひしめいている。
誠に美しい景である。
神秘的ですらある。
この聖性は「処女」だからではない。
やはり「ヌー」に起因するものである。


枡酒の盛り上がりたる淑気かな   清水良郎

めでたい。いかにも「淑気」である。
本命馬の手堅いレースも私の好むところである。
やはりレースに例えてしまった。
先行句を感じない訳ではないが、
この正月のめでたさには、
酒好きとしても、諸手を上げたくなるのである。


木々に雪妻にわれある四方の春   鈴木牛後

なんと幸福な句であろうか。
「われに妻ある」ではない。
「妻にわれある」がとても佳い。
そして四方は春なのである。
木々の雪も日に輝いている。
一点の陰もない。
正月だからこそ、この幸福感を充分に受け止めることができる。


一億のアイヒマン顔(がほ)初詣    関 悦史

「一億」「初詣」から、ここに描かれているのは日本人だろう。
その全てがアイヒマンの顔をしているという。
アイヒマンには「忠実なる下僕」という印象がある。
その忠実さは忠犬ハチ公のようなものではない。
心がないという忠実さ。
それを作者は初詣に浮かれる日本人の顔に見たのである。
この国の現状が如実に表されている。
ところで、「アイヒマン」を変換したら、
「愛肥満」と出てきた。
なんとも皮肉めいている。


初日の出親父がひどくかすれ声   髙井楚良

取り合わせの妙である。
「が」が気になるが、
全体として句の調子を崩すほどではない。
ここでは「初日の出」をともに拝する、
親父のひどいかすれ声の微笑ましさを味わうべきであろう。


初夢や誰かの足を踏んでゐる    高梨 章

上五で大きく切れる訳ではない。
あくまでも初夢の中の話と捉えたい。
足を踏んでいる感覚はある。
誰かはわからない。
目隠しをされているのか。
それとも満員電車の中か。
後者であれば、初夢から満員電車とは、
なんとも現代日本のせちがらさを感じさせる。
しかし全体にたゆたう軽みによって、
この句はしっかりと俳句として愉快である。


神までの裏道とほし初手水     仲 寒蝉

「裏道」と言えば、本道よりも近くて楽だから、通るところである。
しかしそれが遠い。
なにせ「神までの」ですから。
安易に神社という実体とは捉えたくない。
八百万の神へは裏道を通っても、
やはり遠い存在なのである。
その遠い存在へ、現世利益的な、卑近なお願い事をするために、
日本人という生き物は初詣へと向かうのである。


バベルの塔更地に手毬よく弾むよ  福田若之

バベルの塔は神のいかづちによって崩された。
そこを更地にした。
そうしたら手毬がよく弾む土地になった。
「更地に」で切らなければ、
句意はそのようになる。
バベルの塔は現存しない。
勿論実在したかも定かではないが。
塔は更地になり、何もなかったことになった。
そこからの飛躍。いや、飛翔と呼ぶべきか。
「手毬よく弾むよ」というフレーズを
私は愛してやまない。


戦前来何色と問ふ初鴉   渕上信子

虚子の名句をベースにしていることは言うまでもない。
それにしても初蝶ではなく、来たのが
「戦前」である。
それが何色かと問われても、
初鴉も困ってしまうだろう。
しかし初鴉にはそれすらも答えてしまう、
何か飄々としたものを感じる。
その感覚を技巧をこらして、
見事に表現している。
この技術力は圧巻である。


息吸つて止めてまた吐き姫はじめ   松本てふこ

下五でひっくり返った。そう来たか。
見事である。
句意を語るほど野暮ではない。
これ以上の感想を言うのも照れくさい。
とにかく、見事である。
全くいやらしくないいやらしい句とだけ言っておこうか。


乳飲み子の大きなおなら初笑   矢野玲奈

やはり新年詠はめでたくありたい。
この句のめでたさは、或る意味で小市民的だが、
それのどこが悪い。めでたいことはいいことだ。
家族円満、それほどの幸せはない。
読むことに幸せを感じさせてくれる。
俳句とはやはり佳い文藝である。


自己破産させた人から賀状来る   山田きよし

「した」ではない。「させた」のである。
これは尋常ではない。その人から年賀状が届いた。
「今年もよろしく」。本当によろしくしていいのだろうか。


葉牡丹の氏素性など知るか、なあ   山田耕司

この句は下五というよりもラスト「、なあ」に全てがある。
ゴール直前、全ての馬がストップモーションになったなかを、
猛烈なスピードで追い込む一頭。
強烈な追い込みである。
私がもっとも好むレース展開である。


なま白き初日抽斗半びらき   渡戸 舫

まず「なま白き」が気持ち悪い。
そんな初日があって、抽斗が半開きになっている。
嗚呼、ちゃんと閉めたい。初日もちゃんと白くしたい。
もう身悶える。ああ、もう、ああ。
しかし俳句として提示された以上、
この句のなかではいつまでも初日は「なま白」いし、
抽斗は「半びらき」である。
この「半びらき」も「半開き」にしたい。
なんでここでひらがなにするのか。
もう、こう、かちっと漢字にしたい。
ああ、もう、ううううううううう。
これは嫌がらせである。
それもすごく上質で心地の良い嫌がらせである。
私のもっとも好むところである。


冬青空鶏隙間無く積まれ   玉田憲子

鳥インフルエンザを思った。
殺処分である。
あの景色には尋常ならざる寒々としたものを感じる。
殺処分をするのは、動物担当の役人だろう。
獣医師か薬剤師か。
獣医師であれば、動物が好きでなったことだろう。
しかし、仕事として猛烈な数の鶏を殺していく。
そこに「冬青空」は、なんとも悲しい。悲しすぎる。


寺山修司は八頭立てのレースには少なくとも八篇の叙事詩があると書いた。
「週刊俳句」1月のレース、悲喜こもごも、多くの物語が紡ぎだされた。
さてトップは誰か。単勝は大穴か。それとも手堅い本命ガチガチのレースか。
レースはファンの夢の中で描かれる。
実際のレースはその確認作業に過ぎない。
さて、あなたの夢のレースはいかに。


第350号2014年1月5日
新年詠 2014  ≫読む

第352号2014年1月19日
佐怒賀正美 去年今年 10句 ≫読む
川名将義 一枚の氷 10句 ≫読む
小野あらた 戸袋 10句 ≫読む

第353号2014年1月26日
玉田憲子 赤の突出 10句 ≫読む



7 コメント:

ノラ さんのコメント...

私は感動しています。良くぞこれだけの俳句擬きの駄句を集めたと。
変電所と自己破産の句、単なる報告。

ノラ さんのコメント...

ブラジャーの自動販売機などない。全くウソの句。
黛まどか曰く「私にとって俳句とは、美しいウソをつくことである」俳句にウソがあっても構わない。だが、このウソに美も感動もない。ブラジャーを自動販売機で買う女がいるか?
女心を知らない奴が詠んだ句を女心を知らない奴が褒めている。

ノラ さんのコメント...

羽交いせるとはどこの言葉だ。
ダビデ像を羽交い締めにしたといいたいのだろうが、羽交い締めとは対象の背後から脇の下から手を入れ後頭部で組むこと。
この句もくだらねぇ嘘。

ノラ さんのコメント...

セックスする奴は皆息を吸い吐く。季語「姫始め」を使いたいなら勉強不足。
姫始めの名句を教えてやる。
姫始め無き寂庵の乱れ籠

ノラ さんのコメント...

淑気に「盛り上がる」は鈍感。
枡酒を酌めば満ちたる淑気かな

木々に雪。雪は冬の、春は春の季語。一つの俳句に季語は一つだけしか使うな。やむ終えず使う場合は同じ季節の季語にしておけ。

ノラ さんのコメント...

このサイトに初日の出がギンギンになる句があった。
冬の日差しはギンギンにはならない。奇をてらっても名句にはならない。
取り敢えず眼科に行け。

なかやまなな さんのコメント...

気が済みましたか。
ものの芽や人にやさしくしたくなり 江國滋(滋酔郎)