2014-02-02

朝の爽波102 小川春休



小川春休




102



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の夏の句。今回鑑賞した中に〈とうすみのこの愼しき訪ひは〉という句がありますが、爽波さんはとうすみが好きだったんでしょうねぇ、としみじみ。『骰子』に収録された〈煙草盆までとうすみの来ることも〉にもとうすみ愛をひしひしと感じます。ちなみにこの時期、年譜上は特にこれと言った記載がありません。

とうすみのこの愼しき訪ひは  『一筆』(以下同)

身体が糸のように細いとうすみとんぼは、初夏の水辺に生まれ、弱々しく飛ぶ。爽波はこのとうすみを好んだようだ。こちらへ飛来するとうすみの速度や佇まいまでもが、「愼しき訪ひ」から想像される。句末の「は」は、親愛の情の籠もった感嘆と読むべきだろう。

金亀子とび続けをりいま何時

夜更けに目覚めると、金亀子(こがねむし)が飛び続けている。飛び続けると言っても、街灯の周りを飛んでは止まり飛んでは止まり、断続的に飛んでいるのであろう。人通りも無くなり、他に物音とてない中、金亀子の羽音と、街灯にぶつかって止まる音とが続く。

夏館廊下長きを舞ふごとく


夏館とは、夏の趣のある館のこと。かなり幅のある言葉だが、掲句の夏館は長い廊下を備えた、立派な館だと分かる。「舞ふごとく」から、足取りの軽やかさ、そのスピード感、風通しの良い衣服が揺れる様子などが、様々に想像される。恐らくは若い女性であろう。

老人よどこも網戸にしてひとり

どちらかと言えば質素な住居、窓という窓を網戸にして、寛いでいる老人が一人。掲句は偶然それを外から見た場面か。網戸から風を入れて寛ぐのは気分が良いが、そうしている時の姿は緊張感の欠片も無く、普段にも増して、老いを感じさせるものであったろう。

辻と言へば言へるところの噴井かな


噴井とは、山麓などで清水が湧き出ているところを井戸としたもののこと。言われてみればここが辻か、というような、あまり密でない集落の辻。貴重な水を求めて集落の人々が集まる、集落の中心であったのは昔のことだが、今も噴井の水は湧き続けている。

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