2014-02-23

俳句の自然 子規への遡行28 橋本直

俳句の自然 子規への遡行28

橋本 直
初出『若竹』2013年5月号
 (一部改変がある)

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正岡子規がもっとも句に多く詠んだ季語の一つとして、時鳥の句を検討してきた。時鳥は、単に子規の俳号であるというだけではなく、雪月花ともども和歌以来の伝統を持ち、数多く詠まれてきた夏の季語であった。とはいえ、雪月花とはことなり、時鳥は実際に姿を目にすることは稀であって、主に鳴く声を詠まれてきたものである。すなわち、句に詠む対象が視覚ではなく聴覚優位である。そのことと写生との関連について、子規はどのように考えていたのであろうか。以下、子規がまとまって時鳥の句について言及している文章を検討する。はじめに、『獺祭書屋俳話』(明治二八年)の所収の「時鳥」「扨はあの月がないたか時鳥」「時鳥の和歌と俳句」三章から。まず「時鳥」冒頭部分を引用すると、
連歌發句及び俳諧發句の題目となりたる生物の中にて最多く讀みいでられたるものは時鳥なり。此時鳥といふ鳥は如何なる妙音ありけん昔より我國人にもてはやされて萬葉集の中に入りたるもの既に百餘首に上る位なれば其後の歌集にもこれを二なく目出度ものに詠みならはし終には人數を分けて初音の勝負せんとて雲上人の時鳥きゝにと出で立てることなど古きものゝ本に見えたり。されば其餘流をうけたる連歌俳諧に此題多きも尤の譯にて若し古今の發句の中にて時鳥に關したるものを集めなば恐らくは幾萬にもなるべからんと思はるゝなり。(中略)あはれ果報なる鳥よ。なの一聲は命にもかへて聞かんことを思はれ千餘年前より今日に至るまで幾千萬の詩人をして其の腦漿を絞り出さしめたり。(引用者注・傍点等は省略した。)
このように、本稿でも触れてきた時鳥の歌語以来の来歴に触れた後、後の二章では、複数の古句と古歌の引用の相関関係の問題を指摘している。一例をあげると、杉田(杉木)望一の「それときく空耳もかなほとゝぎす」を、『後撰集』伊勢の「時鳥はつかなる音をきゝそめてあらぬもそれとおほめかれつゝ」に拠ったものと推量している。子規は「前の句が得たる名譽」を明らかにすることが「文學に限らず天下此の如きたぐひ多し其寃を雪き其微を闡くは學者の義務なるべし。」という。もちろん日本の伝統的な詩歌観では、本歌取りはタブーではないから、いかにも近代的な著作者の権利(作品の起源)の価値の重視のようだが、『去来抄』の記事などにもあるように、それ以前においても、必ずしもまねや同じ発想の作句をよいことだとみていたわけではない。その意味で子規のこの指摘は穏当なものだが、その仕事が「学者の義務」だという当たりに当時の子規の問題意識が見えて興味深い。大学をやめた子規自身は、自分を学者とは思っていなかったであろうが、俳句を学問としてやっているという意識は維持していたと思われ、高浜虚子に自分の文学の後継者になって学問をしろと言って断られたという、いわゆる「道灌山事件」は、この年の十二月のことである。そしてこのころ既に子規は写生に開眼していたが、冒頭のべた写生と聴覚に関連する記述はまだない。

次にまとまった量の記事が見出せるのは、明治三十二年の「俳句と聲」(初出「ホトトギス」明治三十二年四月)である。その冒頭において、視覚の聴覚に対する優位を説いた上で、声を詠むことの困難について「人は聲を區別する事少く、且つ其區別を文字に現すこと極めて難し。故に單獨に聲を敍して之を詩にし文にする者其例稀なり。」と述べ、一旦誰かに詠まれれば、同じものを再び詠むことは難しいという。その上で子規は主に鹿と時鳥を詠んだ古句を例にあげて検討しているが、その多くが平凡な作であることを指摘し、平凡な句になることを避けるために配合する必要を述べる。

なお、子規たちが写生と配合を矛盾するものとは考えていなかったことは、以下の記事にうかがえる。

虚子曰、今まで久しく写生の話も聞くし、配合といふ事も耳にせぬではなかつたが、この頃話を聴いてゐる内に始めて配合といふ事に気が附いて、写生の味を解したやうに思はれる。規曰、僕は何年か茶漬を廃してゐるので茶漬に香の物といふ配合を忘れてゐた。(「墨汁一滴」明治三十四年四月十一日)

子規は「俳句と聲」で、配合には①「聲と配合する者」(声=音)、②「形と配合する者」、③「事と配合する者」の三種類があるとする。子規は百句ほどあげているが、そこから数例を引用すると、

①奥山や砧にまじる鹿の聲   士朗
 烏賊賣の聲まぎらはし時鳥   芭蕉
②夜の明けて山の高さよ鹿の聲   舊國
 時鳥啼くや湖水のさゝ濁   丈草
③床敷いて鹿を聞く夜の友もなし   昌平
 時鳥筍を折る其時に   成美

子規によれば、①のような声(音)と声(音)の配合は陳腐になりやすく、②の声(音)と形の配合は、鳴いた生物の形とそれ以外の形、それ以外の声(音)でバリエーションがありうるという。そして③声(音)と事の配合は形の配合もその中に含まれ、幅広い配合が可能になるので、「今時新派の傾向は總ての物に事を配合するを以て常手段とす。」といいつつ、「聲を詠ずる者亦此手段に寄らば陳腐ならざるを得ん。」という。

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