2014-03-16

特集・三年目の3.11 「東日本大震災は起こらなかった(仮)」が…… 高山れおな

特集「三年目の3.11」after 
「東日本大震災は起こらなかった(仮)」が、
なし崩し的に高野ムツオ『萬の翅』の書評その他になる

高山れおな


本稿は本来、前号の特集「三年目の3.11」の中の一本として依頼された。しかし、なんやかやで間に合わず、一号遅れでの掲載となった。そのなんやかやの理由は幾つもあるが、根本的には3.11について、筆者になんの定見らしいものもないためである。要は、書きしぶり。

「東日本大震災は起こらなかった(仮)」というのは、週刊俳句編集部(この場合は上田信治)の依頼状にあった仮題で、そもそもは筆者が(先日創刊号が出た)「クプラス」の第二号の編集会議で幾つか出した企画案の一つだった。もちろん、ジャン・ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』(塚原史訳 紀伊國屋書店 一九九一年)の書名に引っ掛けたタイトルだが、内容がそれに見合ったものになったかどうかはわからない。なにしろ実現しなかったのでわかりようがない。その不採用になった企画案が、めぐりめぐって提案者の首をしめているわけである。

三年を経ずして「フクシマ」はすでに忘れられた、というのが僕の印象です。「フクシマ」は今でもたしかに話題にはなります。テレビのニュースや善意に満ちた政治家の演説のなかに影のように現れ、その影響が新聞でとりざたされはします。しかし、ほんとうのところ、僕たちはすでに「フクシマ」を忘れたのです。

これは、昨年十月に刊行されたミカエル・フェリエ『フクシマ・ノート 忘れない、災禍の物語』(義江真木子訳 新評論)に付された日本の読者に向けた序文の冒頭である。著者はフランス人で、一九九二年以来、日本在住。作家で、中央大学教授としてフランス文学を講じている。フェリエは代々木上原の自宅で地震に遭い、短期間、京都の友人のところへ避難。それから今度はボランティアで東北入りする。本書はその間の経験を、日本・中国の古典やポール・クローデル(駐日大使として在任中に関東大震災に遭遇)を踏まえての考察をまじえながら記した、文学色の濃いルポルタージュということになる。母国でも評価を受けている人のようで、『フクシマ・ノート』も原著はガリマールから出ており、賞(エドゥアール・グリッサン賞)も受けている。

僕たちはすでに「フクシマ」を忘れた――との言明は、フェリエ自身についてならば逆説的なものとも言えるだろうが、日本社会一般、例えば筆者などにおいてはごくベタな事実かもしれない。いや、フェリエとは全然別の意味でとすべきであろうが、筆者においてもある程度は逆説に違いない。なぜなら筆者とて、今日この日が端的に震災後という時間に属していることを、三年のあいだ一日たりとも忘れたことはないからだ。もちろんフェリエの言明は、現在も続く東北の被災者の苦闘に対する共感、関心を基準にしていて、その意味ではやはり筆者は、〈「フクシマ」を忘れた〉一人なのであろうけれど。筆者が忘れていないのは、東日本大震災と関東大震災という二つの震災後の政治や社会情勢の展開のアナロジーであって、これはむしろ日に日に痛感している。言うまでもなく、大日本帝国は関東大震災では破滅しなかったが、多分に大震災の余波としての政治的プロセスを経て二十年後に破滅したのである。

先日、高野ムツオの第五句集『萬の翅』(角川学芸出版 二〇一三年十一月)が読売文学賞の詩歌俳句賞を受賞したが、その贈賞式に筆者も顔を出した。十一人の選考委員のうち、『萬の翅』の推挙者はおそらく高橋睦郎なのであろう。会場で配られた冊子に記された選評も、高野については高橋が書いている。

三・一一大災という新千年紀の大事件に真に対応しえたのは、ことを詩歌に限っていえば、詩でも短歌でもなく俳句ではないだろうか。理由は五七五なる究極最短の定型が含み込まざるをえなかった沈黙の量にあろう。その沈黙のみが大災の深刻によく応ええたということだろう。なかんずく直接の被災地である東北地方の俳句作家たちの仕事が注目を集めたのは言うまでもない。その決定版ともいえるのが、昨年十一月に満を持して出た高野ムツオ句集『萬の翅』だ。収めるは平成十四年から二十四年春まで足かけ十一年間の四百九十六句。この編集によりみちのくという受苦の地の、しかしとりあえず平穏な時間の流れの中で突然噴出した大災の衝撃が、透明な説得力をもって迫ってくる。

十一人の選考委員を代表しての贈賞式での挨拶もたまたま高橋の担当で、そこでは小説賞など他部門と併せての言及であったが、だいたい上記と同じ内容の話をしていた。ただその時は、9・11については短歌が積極的にテーマにしていたのに対して3・11では俳句が充実していたと、短歌俳句を対比して語っていたように思う。さらに3・11というテーマをめぐっての俳句の充実が〈沈黙の量〉に由来するという点については、小説や詩の饒舌さに否定的に言及する形で強調していたと記憶する。思うとか記憶するとか、腰の引けた言い方なのは、迂闊にもメモを取っていなかったからである。

贈賞式での発言にせよ上の選評にせよ、いかにも高橋睦郎らしい言葉だし、基本お祝い事なのだからそれでいいようなものだが、個人的には必ずしも額面どおりに受け取る気にはならない。だいたい、「俳句」三月号が「特別企画―東日本大震災から三年」とやれば、「俳句界」は「3・11は終わっていない」と特集を組むし(もちろん「週刊俳句」にしても、また未遂に終わったが「クプラス」も)、長谷川櫂や角川春樹の震災句歌集のことを考えても、なにが〈沈黙の量〉であろうかという感想も湧く。もちろん、こんな言い方は現象と形式を混同しているには違いないのだが。

ともあれ、『萬の翅』である。本書を最初に読んだ際には、多少肩透かしを食ったような心持がしないではなかった。それはこちらが震災句集を期待していたからだろう。現に高橋睦郎は、〈この編集によりみちのくという受苦の地の、しかしとりあえず平穏な時間の流れの中で突然噴出した大災の衝撃が、透明な説得力をもって迫ってくる〉と述べた後で、専ら震災詠から十二句を引いており、あくまで震災句集としてこの句集を遇している。しかし実際には、震災のあった平成二十三年の章は収録百二句で、句数はたしかに一番多いが、二位の平成二十一年の五十八句の二倍にもならない。ごく普通の編年体の構成のうちに、自然とその年の作品が多くなったという以上ではないように見えるうえに、あとがきにも震災という言葉は出てこない(〈少なからぬ艱難〉という言葉で示唆はされているが、この句集には咽頭癌の手術を詠んだ句もある)。高野が被災地俳人のスポークスマン的な存在として俳壇に迎えられてきたことを思えば、かなり抑制的な本の作りだとは言えよう。

『萬の翅』を再度読んだ際には、また別の感じを持った。余計な期待がなくなったためもあってか、高野の変わらなさが際立って受け止められた。前句集の『蟲の王』からも変わっていないし、震災が起こっても変わっていない、という印象が強くなってきたのだ。すでに人口に膾炙した、従って筆者も見覚えの句はなるほど3・11後に集中しているが、それより前の章にも好ましい句が多いし、むしろそちらこそ本句集の底力を示すようにも思えてきた。

光れるはたましいのみぞ黴の家   H14
裸木となる太陽と話すため
花野の空胎児に還り浮くとせば   H15
落葉溜りあるべし日本海溝に
剥出しの精神として冬の崖
また一つ光を吐きぬ梅雨の鯉   H17
月面を吹き来たるなり葛嵐
わが火口あるべし寒夜地続きに   H18
みちのくの夕焼すべて鯨の血
細胞がまず生きんとす緑の夜   H19
沼に生えていそうな少年らも夏へ
人はみな熱き砂なり上野駅   H20
大靴は春の星座を巡るため   H21
みしみしと音はしないが白魚喰う
秋風の味がするなりコッペパン
仮の世のビニール傘と鶸の声
この星の匂いが櫟落葉より
霜夜眠ろう地球にへばりつきながら
雪の夜の万年筆の中も雪   H22
炎熱の白骨ハーレーダビッドソン
秋草の揺れわたくしはわたくしは
寒鯉が頭を星空へ突き出しぬ   H23

ここまでが震災以前の句で、寒鯉の句の数句あとに、

四肢へ地震ただ轟轟と轟轟と

があり、

車にも仰臥という死春の月
瓦礫みな人間のもの犬ふぐり
陽炎より手が出て握り飯摑む

などの、すでに有名な句が続く。ただ、高野自身が、「俳句」三月号の照井翠との対談で言っていることだが、〈震災であるとか、それ以外であっても何か背景になる現実というもののバックボーンなしで、どこまで読めるか、かなり難しいところが出てくる〉という誰もが抱く感想は、じつは〈車にも仰臥という死春の月〉〈瓦礫みな人間のもの犬ふぐり〉のような句においてすら例外ではないはずである。これらの句の価値は今のところ圧倒的な映像の記憶と共に担保されているが、筆者としてはむしろ、震災以前の句の中にも、しかるべく配列すれば震災詠に読めそうな句が幾つもあること、そうなってしまう原因としての高野のロマンチシズムに改めて感じ入ったのだった。

そうこうしているうちに三月十一日となり、第四回芝不器男俳句新人賞の公開選考会が行なわれた。これは偶然ではなく、同賞運営の中心人物である西村我尼吾が、意図的に設定したわけだが、それかあらぬか、同賞は、

薄明とセシウムを負い露草よ
桐一葉ここにもマイクロシーベルト
燃え残るプルトニウムと傘の骨
放射状の入り江に満ちしセシウムか

などの句を含む曾根毅作品に決まった。読売文学賞にせよ、芝不器男賞にせよ、その選考の結果に、社会が〈すでに「フクシマ」を忘れ〉ている一方でのバランサーの役割を文学が期待されている(買って出ている)光景を見ることが出来るかもしれない。

ところで、高野ムツオの評価されている震災詠が、津波を主とする純粋に天災による被害を対象としているのに対して、曾根がむしろ原発事故の方を焦点にしているところは注意しておきたい。ここに引いた曽根の句は、プレスリリースに〈説明的〉とあるように一句一句としては必ずしも高く評価されたわけではないにもかかわらず、百句全体の受け取りに強く影響を与えるというあり方をしている。『萬の翅』の場合は、原発事故を詠んだ句として、

ヒロシマ・ナガサキそしてフクシマ花の闇
春天より我らが生みし放射能
残りしは西日の土間と放射能
原子炉の火もあえぎおり秋夕焼

などがあるが、やはりあまり感心出来るものではない。高橋睦郎が言うように3・11に〈真に対応〉し得たのが仮に俳句なのだったとして、それは基本的には天災の部分であって、原発事故の部分ではないだろうとは、高野・曾根に限らず、これまで多少は目に触れてきた震災詠のことを思い返しての見通しである。原発事故は追悼や詠嘆の過程ではなく現実の過程に属しているはずのものだから、〈沈黙の量〉などが出る幕はないのではないか。逆に言えば、俳句以外の分野でよりすぐれた表現がなされていることも予想出来るし、「週刊俳句」前号に載った斉藤斎藤の仕事など一つの例証かも知れない。また、木村朗子『震災後文学論 あたらしい日本文学のために』(青土社 二〇一三年十一月)という本があって、これは主に小説を対象とするものだが、それを読むと「震災後文学(=小説)」の中心的モティーフは原発事故の方であるようだ。木村の手際の悪さゆえか、そこで紹介されている作品が全く魅力的に思えないのは遺憾であるが。同書でただ一つ興味深かったのは、〈3・11直後の文学界では、クマのイメージがくり返し召還されていた〉という指摘であった。

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