2014-03-02

絶妙な言い足りなさ 齋藤朝比古『累日』の一句 上野葉月

絶妙な言い足りなさ
齋藤朝比古『累日』の一句

上野葉月


句集を読む習慣のない私ですが、休日にアニメサイトで日がな一日アニメを見たりするとさすがに気分を変えたくなって句集を手に取ることもまったくないわけではない。

秋刀魚からしたたるものの爆ぜにけり  齋藤朝比古

俳句を始めた当初から句座を頻繁に囲む句友に齋藤朝比古のような押しも押されもしない本格派と目される俳人がいたことは幸運なのか不運なのかよくわからないと時折思ったりもする(ここまで書いてきてやっぱりどちらかと言えば幸運だというところに至るけど)。

まさか海で泳いでいる秋刀魚から何かしたたっているわけではあるまい。当然、食卓にのぼる直前の秋刀魚である。

私のような読者にはこういう消費者的な季節感が理解しやすく思える。

歳時記を眺めていると生産者側と言ってよさそうな季節感が横溢していてクラクラするような気分になることがある。もっとも七十年前は日本人の90%超が第一次産業に従事していたのだから不思議なことでもないわけだが。

水道の蛇口をひねることすらなくボタン操作だけで洗濯が終わってしまう人間にとって四季の移ろいは70年前の人間に比べればかなり限定的なものだ。

消費にのみ従事し今後も生産的な生活を送らずに一生を終えようという人間の季節感しか持たない自分を今更後ろめたく感じているわけではない(なんだか苦し紛れ、というか嘘だな)。

さて「したたるものの爆ぜにけり」、「もの」という言葉は俳句や詩にあまり向いてないと思うのだが、この「したたるもの」はおそらくこの表現しかあり得ないという説得力をもって迫ってくる。

火とか煙、あるいは焼くとか料理、内臓、脂という言葉を使わず、秋刀魚の爆ぜる様子が人の五感をどのように刺激するか一瞬にして想起させる一句。にも拘わらず絶妙な(ほんのわずかな)言い足りなさのようなもの。これが俳句の力か。

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