2014-04-13

【週俳3月の俳句を読む】 今日は外出の用事がなく わたなべじゅんこ

【週俳3月の俳句を読む】
今日は外出の用事がなく

わたなべじゅんこ


 
たまたま今日は外出の用事はなく、それぞれのページを開いた途端にもう書きたくてうずうずしたのでほぼ一気呵成に書きました。なにより論じたくなる作品に出会うというのは幸せなことです。

ちなみに作者の背景は考慮していません(知らない方ばかりなのでしようがなかった、が正しいのですが)。


白井健介 乾燥剤

魚の氷にファスナー喉ぼとけ咬みかけ

これは難解。パーカーかなにかのファスナーをあげたとき喉仏を咬みかけた、という情景?ほんとうはタートルネックのセーターを咬んだだけなのかもしれない。事実と虚構、この作者は事実に重きを置いている気配を感じる(百十余回とか雄犬とか)が、実のところは「ほんとうらしさ」を追求しようとしているだけなのかも?「ノドボトケカミカケ」何度か読んでいると早口言葉のように、あるいは呪文のように馴染んでくるのが楽しい。

「倒れてはる」て、鉢の椿に敬語やなぁ

日常、思わずこういう言い方が飛び出す。それが意外なのか日常の風景として馴染みがあるのか、いずれにしてもついつい「ほんまやなあ」と大きくうなずきたくなる。読点もこの句の魅力。


山口優夢 春を呼ぶ

破水して愚かに眠き春の空

薄氷をぴしと踏みゆき父となる

妻の出産がどこか他人事のようで、一歩引いたところが男というものか。それが僅かな圧で変化する怖さ。

今産みし子を呆然と見て春暁

そのつもりで読んでいるとこの一句が引っかかる。「産んだ」のは妻、「産まれた」のは子。その関係の中には本来男(父もしくは夫)の入る余地はない・・・。理で解けばそうなるのだけれども。まさに「男女共同参画」「協働」(古!)ということを地で行ってるということか。一句単独で読んでいれば気にならないことが並びの中に入ると気に掛かる。そのことが実はずっと気に掛かっている。

乳をやる妻早春をうつむきぬ

「妻」が「母」に転じた光景。傍観者としてそれを眺めている。その距離感がいい。「早春をうつむく」。美しい。この季節に、この情景に出会えた僥倖を思う。

父も娘も初恋から遠くてすみれ

そういえば父からは十五年前、娘からは十五年後にその言葉は存在するのだな、と(15年である必要はないが・・・)。今を原点に対称となる時間軸。父がそう思っていてもいいし、娘をあやす夫を見ている妻がそう詠んでもいても構わない。ここで「すみれって、すみれって・・・」と口ずさんでしまうのはトシのせいか。


海鳥 山崎祐子

綾取は梯子から塔空青し

母の息思はぬ近さ石鹸玉

懐かしい遊びの風景。

近道をする節分の豆を踏み

足下でばきぼきと鳴る豆に辟易としながら急ぐ道。庭なのか、あるいはキッチンから玄関までの廊下なのか。夕べの名残を惜しみつつ、今日はもう今日を急ぐ、それが日常。


雪兎 関根かな

真つ黒と真つ赤と三月十一日

「真っ赤と真っ黒と」震災の痛みを思う。

海の音留めてをりぬ桜の実

こういう抒情もありか、と感心した。

充電も放電も未完夏に入る

泥鰌鍋以前と以後のある男女

畳みかけ(対句的表現)はインパクトもあるが、そのものの発見でしかないことも。


福島に希望の光を  風間博明

全町避難踏み込みたれば雨水かな

仮置き場フェンス高しよ春の雪

斑雪なる団地くまなく日のあふれ

春の水流れを急ぐ安達太良野

句会よし後の酒よし鳴雪忌

故郷へ戻れないことへのいらだちやもどかしさのせいもあるのか、あるいは同情が高じているのか、全体に破調気味。それが読者をすこし置き去りにしているような気がする。思いの丈を全力でぶつけられるとたぶん読者はひく。


はるまつり 大川ゆかり

紅梅のまはりの闇の密々と

梅の香が闇のなか重くまつわっている感じ。空気の重さにかおりの華やぎを添えるための「密々」という措辞。

深海に育つ巻貝はるまつり

敢えてひらがな表記した「はるまつり」、柔らかい感じとその巻いた円を連動させたかったのだろうか。深海にしずかに蜷局を巻きつつ巻き貝は今日もまた少しずつ大きくなっていく。


春の音 小澤麻結

ビル近く港の遠く春寒く

ものの芽の二人の話聞いてをり

春愁を紡ぐ指先ハープ抱き

やなせさんまどさん歌ひ雪解道

春泥に冷たき雨の降り初むる

縫針の如き草生ふ春の泥

街の音。楽器の音。唄。芽の育つ音。葉の開く音。雨の音。泥を踏みしめる音。春はほんとうに音があふれる季節だと思う。

雪解けて東京に三月十日

これだけが異質な雰囲気。3月10日?平常運転の一日を挙げただけなのか、それとも震災の前の日を呼び起こそうとしたのか。意図があるようで、それが見えないもどかしさにすこし頭がくらくらする。この便利なご時世、ググってみた。

「昭和20年3月10日 東京大空襲」…これか。あれ?楸邨の火の記憶は牡丹だったし、日付もたしか5月と思ってたけど東京の空襲って3月の方がメインなのか。そういえば神戸も空襲があったが、あれは何月だったか、3月?いや5月?あれ?6月だったような気も・・・。神戸では「空襲のような」と冠されるようになった阪神淡路大震災以降、1月17日の方が記憶される日付になっているが、こうして悲劇の日付はどんどん上書きされる。それを風化、という人もあるか。


梅 藤永貴之

二の丸は梅の名所梅ふゝむ

梅園にぐるりのビルの点りそめ

梅ってわりとそういう感じだよね、と。梅のたたずまいを賞美するわけでもなく、老梅をいたわる気配もあまり感じられないのが残念。いやべつに賞美する必要はないのだが感動や関心といった作者の心のあり方がみえないのは事実の報告に過ぎないのでは(その作品に共感できるものがあるかどうかは、どっちにしても賭けみたいなものだが・・・)。作者はむしろビルに囲まれた梅園、実は外の世界の方が気になっているのかもしれず・・・。ビルに囲まれてしまったという事実への哀惜と哀傷、同時に住むべき世界へ戻る安堵感の方が共感できた。


鈍器 齋藤朝比古

卒業の日の樹の幹に触れてをり

兄弟の無くて従兄弟やあたたかし

あたたかし、とまで言わなくてもいいような気がするなあ、と思いつつ、夕べ読んだweb上での記事を思い出す。「禁断の恋の相手」第五位はいとことか。(そもそも「禁断」の対象になるものが5つもあることが驚きだが・・・・)。いとこ、ここでは従兄弟というだけである情緒を抱かせるので下五で違う世界に転じても面白かった。 同じように別の句「浸みゐる」もイイスギの気配。

墨東にゐて蓬餅日和かな

私は「墨東」だと桜餅のような気がしている(もちろん根拠も言われもないけど)が、このひとは蓬餅なんだなあと。そこで気が付く。川と言えば土手!土手でした蓬摘み!!ならばやはり蓬餅か。

とそこで、ハタと気づいて東京住まいが長かった相方にメールを送る。

「隅田川って蓬摘みできる?」
「隅田川で蓬摘み?コンクリートで護岸されてるから土手って感じじゃないなー。上流に行けば荒川だから違うだろうし・・・行くの?」

いや私は桜餅だと思うんだけど、とこの句を送り返したら帰宅して開口一番

「墨東、長明寺、桜餅は定番だね。だいたい江戸っ子ってのは、この桜餅の葉が二枚か三枚かで争い、食うか食わないかで争うよ。」「……桜餅の葉っぱはふつー一枚で、ふつーに食うだろう…?」「いやそれがね、(長いから省略)、……でさ、墨東って言うけどさ、本来隅田川って言うのはね……(長いから省略)、そもそも下町って言うのはさ、……(これもまた長いので略)、ほら、秋桜子のさ、『葛飾』桃の籬の句、あれ思い出せばいい。その一帯だけはずっと田園風景が広がっていてね。ほんとうの江戸の下町はあのあたりなんだよ。柴又とかね、というか墨東はもともと江戸じゃないんだよ。江戸の外れだったんだ」

「いや、私はアナタの口から秋桜子とか桃の籬の句を暗唱されたことに腰が抜けるほどびっくりだわ」

「うん、そうだろ?でね、この墨東の地域は江戸前の魚と上越あたりの織物と、蕨あたりの山菜やなんかが川伝いに入ってくる一大商業地域になったんだよ。築地、日本橋とか江戸橋とかね。」「あ、日本橋、とか呉服屋さん多いね」「だろ?だからその山菜から蕨餅を売りにしているお菓子屋さんとかもあってさ(長いので以下省略)、」

……江戸川、荒川、隅田川、大川。きみの小学校時代の地図には隅田川は載っていないはずだよ、とかなんとかグラス片手に川を巡る江戸と東京の物語を延々聞かされながら、ふと「かわせみ」の玄関先で川を眺めるおるいさんの姿が浮かんだ。さて、我が家にこれだけ長い夜をもたらした一句。ああ、きっと大川の土手に腰掛けて蓬餅食べたくなる、そういう今日の長閑さが眼目に違いない。桜餅の地で敢えて蓬餅食べてみました、じゃあつまらない。


藤田めぐみ 春のすごろく

流星になる真夜中の逆上がり

号泣をしたのは羽化をするきざし

すごろくの目を待つ春の総武線

思い切りのいい題材。なるほどセックスはすごろくか。上がりに達するまでさいころを振り続ける男女のゲーム。なかなか言い得て妙。ただ、ここまで描かれるとやはりあとは好みの問題として処理されるだろう。それを言いたいか、それを読みたいか。私は他人のセックスには興味がない。

すべてがセックスの現場を意識して作ったものかどうかはわからないが、その現場を離れて、時空と思いを共有できそうな3句。


堀下翔 転居届

残雪に詩碑あり署名のみ自筆

異説かも知れぬ風聞蠅生まる

転居届のつづきのやうに苗札よ

飛行機の音夜桜の中で聞く

季語がどれもぴたっと嵌まる。この「ぴたっ」というのが難しいと常々思うから、こういう句に会うと嬉しくなる。

春月やテルミン博士おほきな手

カーソン忌舟になる木の下にをり

テルミン、カーソン。いずれも人名だが果たしてどれだけの人が知っているのか。知らなくても前者は読める(想像で補完できる)。「博士」とよばれる人の大きな手は自信と安心感に通ずる。

問題は「カーソン忌」。カーソンなる人の忌日をさてどれだけの人が知っているか。当季、ということを手がかりにして、たぶん春の句なんだろうとしかわからないのでは。おそらく、作者はレイチェル・カーソンを意識し(4月14日が忌日)、その著『沈黙の春』を根底に据えていたのだろう。それを分かるか分からないかがたぶん評価の分かれ目になる。私はこういう作りが好きだし、謎解きも大好きなのだが(だから敢えていうのだが)、この手の作りはおそらく多くの無理解と「わからない」をなぎ倒す覚悟が必要だ。「分からないヤツがムチなんだ」と開き直ってもいいが、ただそれは独善に陥る危険もあるということを知っておかなければならないのではないか。博覧強記にも万人受けにも「ほど」というものがあるのかもしれない。


最後になりましたが、読ませていただいた中での私のベスト7(おこがましくも)です(読んだ順)。

「倒れてはる」て、鉢の椿に敬語やなぁ 白井健介

薄氷をぴしと踏みゆき父となる   山口優夢

父も娘も初恋から遠くてすみれ    〃

流星になる真夜中の逆上がり    藤田めぐみ

号泣をしたのは羽化をするきざし   〃

残雪に詩碑あり署名のみ自筆    堀下翔

転居届のつづきのやうに苗札よ    〃

同一の作者から二句、というのはどうかと思いましたが、考えてみれば最後はどう論じても自分の好みに行き着くのでそこは仕方あるまいと(今回も)割り切りました。




第358号2014年3月2日
白井健介 乾燥剤 10句 ≫読む
山口優夢 春を呼ぶ 50句 ≫読む
第359号2014年3月9日
山崎祐子 海鳥 10句 ≫読む
関根かな 雪兎 10句 ≫読む
風間博明 福島に希望の光を 10句 ≫読む
第360号2014年3月16日
大川ゆかり はるまつり 10句 ≫読む
小澤麻結 春の音 10句 ≫読む
藤永貴之 梅 10句 ≫読む
第361号2014年3月23日
齋藤朝比古 鈍器 10句 ≫読む
第362号2014年3月30日
藤田めぐみ 春のすごろく 10句 ≫読む
堀下 翔 転居届 10句 ≫読む

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