2014-04-13

特集「ku+」第1号 創刊号編集つづり方、第二号の予定もちらり。 高山れおな

特集「ku+」第1号
創刊号編集つづり方、第二号の予定もちらり。

高山れおな


注文は、「クプラス」創刊号の作品を適宜に読み、あわせて刊行の感想をということでしたが、すでにアップされたみなさんの文章を読むと作品鑑賞については早や充分と思われ、編集裏話をつづることにしました。順番は目次通り、メンバーについては敬称略。

P1
総扉。ここには写真家・飯田鉄さんの写真が掲げられ、雑誌ロゴが小さく入っているのみです。写真には、季節外れの海水浴場の砂浜に建つ監視塔らしき構造物と穏やかな海が写っている。人影は皆無。この写真、本誌のデザインを担当してくださったグラフィックデザイナー日下潤一さんの持ち物で、額装されて事務所に飾ってあります。これを使いたいと言われた時、創刊号の扉にしては淋しすぎやしないかと思いましたが、実際に雑誌が出来てみると淋しいというよりは温かい感じがします。日に温もった砂浜の質感と、凪いだ海面が白っぽく輝いているのがそういう印象を与えるのでしょう。静かだが何かが起こりそうなヴィジョン――というところが、いかにも導入にふさわしいようです。

P2~3
「創刊あいさつ」。本当はダダ宣言やシュルレアリスム宣言みたいに格好良くきめたかったのですが、菲才の身で欲をかきすぎて煮詰まってしまいました。で、山田耕司に執筆をパス。山田の草案に高山が手を加えて成ったものを掲げました。三・三・五・三・三で全部で十七行にしてみました。参加メンバーの句風からしてかなり幅があり、そう乱暴にダダ宣言かますわけにはゆかぬ事情にも配慮して、内容はしごく穏当。だいたいトリスタン・ツァラは十九歳だったのに、こちらは住宅ローンと子供の教育費で頭を悩ます中年のおじさん。その現実の重みを痛切に思い知らされたことでした。

P6~11
依光陽子の特別作品50句。締切通りに第一稿が来たものの、まだ直したいということで二週間くらい後に到来した第二稿が掲載作です。個々の句の推敲というよりは、配列や取捨という編集面での変更が大きかったように記憶します。作品評は他のメンバーが書いているので踏み込みませんが、数が多いだけでなくて、内容的にもとても意欲的な作品で、新機軸を打ち出す試みがなされています。依光作品をかねてよく知る人たちの感想が聞いてみたいです。

P12~57
四十六頁にわたる「第1特集 いい俳句。」は、◆絵入りの見開き扉 ◆プレ論文(by上田信治) ◆アンケート『いい俳句』とはなにか ◆メンバー六名による座談会 ◆アフター論文(by関悦史)という構成。責任者は上田信治と佐藤文香ですが、アンケートの送付と回収は山田・高山も分担しての総力戦でした。アンケートは約百四十名に発送して、五、六十人分の回答があれば充分だろうという見込みでいました。ところが、メールやら電話やらで催促して回収にこれ努めた結果、百二人分の回答が得られ、これに特集関係者を除いたメンバー五人の回答を足して百七名の回答が並ぶ壮観となりました。回答率が高いのはめでたいのですが、回答が多ければ頁数も多くなるという理の当然を誰も計算していなかったため、というか編集部に算数が出来る人間がいないため、総頁数は膨らむわ、部数設定は間違えるわ、あとあと大変なことになるのでした。創刊号の刊行が予定より二ヶ月遅れたのも、仕込みから組版まで、この特集に手間取ったのが一番大きな要因です。

「いい俳句。」というテーマは、編集部四人で酒精入り編集会議をしているうちにあれよあれよと決まりました。山田が「いい俳句の例を挙げろと言われた時、とっさに挙げる句と、じっくり時間をかけて考えて挙げる句って違うよね」みたいな発言をして、それが山田・上田の禅問答に発展。聞いていた高山が、それでアンケート特集したらどうですかと提案したと記憶します。ただし、文書によるアンケートの回答というのは、仮にどんなに適当に答えたとしても、山田発言の「とっさ」とは違うわけで、そこは当初イメージとずれがあるのは当然であります。

アンケートに対しては面白がってくれる人も反撥する人もあって、これは予想通り。高山としては「いい俳句」を実体的に問題にしているというよりは、みなさんがどうパフォーマンスを返してくるかの方に興味がありました。編集部の他のメンバーもそういうつもりだろうと思っていましたところ、豈図らんや、上田は激しく実体的に「いい俳句」を追求。要するに、担当者としてやはり彼以上の適任者はいなかったということだと思います。

座談会(高山は立ち会っていない)は、終了後、上田からあまりうまくいかなかったと落ち込んだ感じのメールが来ていましたが、とてもそうは思えない仕上がりになりました。上田のプレ論文「龍太はなぜ、それを言ってくれないのか」は気迫といい緻密さといい見事なもので、これに対して関悦史氏のアフター論文「『いい俳句』とは俳句の差異化である私だ」は、難儀な課題をどう捌くかといったところから書き始められた印象。しかし結局、〈「どうすれば」ではなく「どうしたいか」を考えるべきなのだ。〉と力強く結ばれていて、そうよそうよと相槌を打ったことでした。

ちなみに、見開き大で使用している扉絵は、講談社出版文化賞さしえ賞も受けている実力派イラストレーターの丹下京子さんの手になるもの。アンケート回答の中で田島健一さんが「いい俳句」の例として挙げた、〈上着きてゐても木の葉のあふれ出す 鴇田智哉〉にインスパイヤされた作品です。帽子をかぶり、マフラーを巻いて空中に浮遊する男のコートから、「木の葉」が「あふれ」出している叙情的な絵。同じ図柄で昼景と夜景の二点送られてきましたが、夜景の方を選んで使用しました。現代的な俳画の試みにもなっていようかと自負しております。

P58~67
ようやく俳句作品第一グループ(福田若之・杉山久子・阪西敦子・関・山田)です。「クプラス」では特別作品は別にして、作品発表は十四句か二十句か、どちらかを選ぶことになっており、こちらは十四句グループです。杉山、阪西、関はリラックスした中できっちり自分の句を書いています。山田は編集部という立場上もかなり気合入っている感じで、流しているところが全くありません。以上四名だけでも必要な水準を充分クリアしてると思いますが、福田の「悲しくない大蛇でもない口が苦い」に至っては感涙。スチームパンクな意匠を纏った青春詠の傑作です。ここに二十一世紀の寺山修司がいるっちゃ。わかれ!

P68~75
杉山久子と佐藤文香の往復書簡「伝書鳩」の連載第一回です。特集二本がヘビーなので、気楽な息抜き頁ともなれかしと思っていましたところ、非常にハイテンションかつスピード感溢れるいけいけエッセイが到来。タイトル脇のかわいい鳩のカットは、イラストレーターの浅妻健司さんによるもの。そして女子大生水着写真…・・・。これ、俳句雑誌史上初ではないのか。そうでもないのか。毎号水着写真を、いや表紙を水着グラビアで、と妄想する編集人でしたが、そうだ、欲をかきすぎるのはいかんのでした。

P76~79
古脇語による「Furuwaki Katariの俳句断章Ⅰ 後藤比奈夫句集『夕映日記』ノート」。当初のタイトルには『夕映日記』の語こそあったものの、それが後藤比奈夫氏の句集であることが明示されておらず、古脇オリジナルの句入りエッセイかと思って読んでしまいました。なかなかやるなあと思いつつ、しかしいくらなんでもこなれた句が多いし、〈谷崎の頃の芦屋の鹿威〉なんてどうもおかしいと思って問い合わせたら、後藤さんの句集を論じていることが判明。慌てて本を買ってきて校閲しました。案の定、引用句の誤記が二箇所くらいあったぞ。古脇君、俳句作品の引用は気を付けた上にも気を付けてくれたまへ。

P80~89
インタヴューコーナー「ハイジ、ハイジに会いに行く」の第一回で、インタヴュイーは「野の会」主宰の鈴木明氏。聞き手は高山。もともと「クプラス」は、かなりの確率で「ハイジ」の誌名で創刊されるはずでした。それが流れて「クプラス」となった経緯は、昨秋の週刊俳句の「クプラス」特集で記した通りですが、その名残がこのコーナー名となりました。

鈴木さんのインタヴューは、筑紫磐井氏とか中村裕氏とか大本義幸氏とか一部うるさがたには好評のようで結構ながら、〈発行人で若手論客の高山れおなによる、親子ほど年齢差のある鈴木明へのインタヴューなどには、世代的自閉世界を抜け出ようとする意欲が感じられ〉って、相変わらずラフな中村さんなのでした(「赤旗」俳句時評)。氏の使い方だと、インターネットに触ってる全員が「インターネット世代」というくくりになりかねませんが、常識的にはネット環境が社会化の前提になっている三十代以下を指すのでは? 実際、五十三歳の上田や四十五歳の高山と二十三歳の福田のように「親子ほど年齢差」のあるメンバーが、どこをどうすると同世代意識を持って「自閉世界」を形成することができるのでしょうか。氏の支離滅裂なエール(なのでしょうね)は、別口で全文が掲出されているようですからそちらをお読みください。中村氏にこそ、自身の新興俳句至上主義のドクサへの自閉から抜け出る意欲を持っていただきたいものだというのが、まずは率直な感想です。

P90~121
「第2特集 番矢と櫂」は、◆見開き扉 ◆プレ論文(by 山田) ◆長谷川櫂論(by 福田) ◆夏石番矢論(by 生駒) ◆メンバー四名による座談会 ◆アフター論文(by 高山)で構成。編集担当は山田と高山。

山田のプレ論文「流産した『番矢と櫂の時代』をやっかいな鏡とする」は、第一稿とは完全に面目を一新した第二稿を掲載。お読みいただくとわかりますが、掲載稿では山田自身と長谷川・夏石との、淡いものであれはっきりと存在した出会いを、論の糸口にしています。これに対して第一稿は、当事者としての山田が登場せず、ために論旨が韜晦をきわめてわかりにくくなっていました。山田の登場は必須要件ではないかも知れませんが、ともかくあえて我が身を文中に入れることで、結果的にこのテーマと山田のがちんこ相撲が成立し、クリアな論旨が得られた印象を持ちました。歌人の荻原裕幸氏がツイッターで、この創刊号の「急所」だと述べてくれましたが、そうかも知れません。〈急所に実にいい文章が据えられていた。秘密兵器のような文章だなと思った。〉

生駒、福田は、この特集を機に長谷川・夏石両氏の句集を一気読みしてくれましたが、よく考えると結構な無茶振り。両氏は、あの年代で例外的に句集を大量に出している人たちだからで(あとは中原道夫氏が匹敵するくらいか)、しかしそれをちゃんと完遂してくれたのはさすが、と編集担当として深謝あるのみです。

第2特集の扉絵は、先の丹下さん同様、講談社のさしえ賞を受けているイラストレーターの伊野孝行さんの作画。番矢氏、櫂氏の似顔絵を、彼らの有名句を踏まえたシチュエイションにはめ込むというのが当方の提示したコンセプトでしたが、最初の下図は構図などいまひとつピリッとしませんでした。いろいろ手直ししていただいた結果、一部に「くいしん坊!万才」ではないかとの声もあがる現在の形になりました。長谷川氏が水の中に入っていると、より端的に句の絵解きにはなりますが、あまりやりすぎると無理が出るので現状くらいが良い加減かと思います。もちろん、水辺の草の中に座った氏のズボンのお尻は必ずや「濡れてゐる」に違いありません。

P122~131
俳句作品第二グループ(佐藤・生駒・谷・高山・上田)。いちおう二十句提出のはずなのに、普通に二十句を並べたのは上田のみ。佐藤、生駒、高山は二十句に足りませんが、それは一行アキを取ったり、アステリで章分けしたり、前書を付したりと表記の必要からそうなっています。そうした仕掛けをするわけでもなく、十四句か二十句だと言っているのに黙って十七句送ってくる谷雄介。しかも、タイトルは「父の爆発」……。まあ、表記は普通なれど、中味はかなり変でハラショーなのですが。

タイトルといえば、佐藤の「あたらしい音楽をおしえて」は秀逸でした。佐藤、生駒と、透明感のある叙情的な二篇が続いたあと父が爆発し、高山作品となります。この見開きは創刊号の汚点ですね。高山以上に仁平勝氏のせいでもあるのですが。で、作品の締めは上田「野兎」。これは正解でした。粒が揃ってるし、二十句のラストが、〈スケーターワルツいきな り 止まる〉なのもいかにもトリにふさわしい。

P132~138
「アキヤマ香さんに聞く『ぼくらの17―ON!』の作り方」は、谷雄介構成。俳句甲子園を舞台にしたマンガ『ぼくらの17―ON!』を連載中のアキヤマ香氏を囲んで、担当編集者氏と佐藤と谷で座談会をしているのですが、取材後、谷に動きがなくやきもきさせられました。佐藤からは「谷が一人で喋ってた。途中からずっと雑談だった」と当日の様子についての一報もあり少し心配していたところ、結局それは杞憂で、俳句マンガの俳句をどうやって作るかという前代未聞のお題について貴重なレポートが得られました。短歌の方ではだいぶ以前、高橋源一郎の小説に穂村弘が書き下ろし短歌を提供するなんてやっていたはずで、遅ればせながら俳句も短歌に追いつきましたかのう。

P139~141
「うーふー」は、野口る理と関悦史のメール対談による「謎のおまけコーナー」。君たち二人でなんかやってとの編集部からの丸投げにより発足しました。全体にハイテンションな雑誌の中で、唯一テンションの低さが売りの頁・・・というつもりではなかったはずですが、結果的にそうなっています。デザインの日下氏には、とにかくカワイイ感じに組んだってくださいとお願いしました。原稿を読んで、二人がそうされたがっているという直感が働いたためです。

P142~143
「ku+ members」は、メンバーの自己紹介欄。俳誌でいうと「鬣TATEGAMI」の自己紹介欄などを参照しております。あと、奥坂まや氏がかつて書いていた「鷹」の編集後記とか、超ショートエッセイみたいで面白かったですが、あんなふうになればいいと思っていました。依光や阪西の自己紹介など、実際ちょっとそんな感じになってます。

P144
編集後記はもっと軽くていいのに、なんか固かったかも。年末でいろいろ切羽詰っていた気分も反映していそうです。

最後に表紙。これもイラストレーターとして活躍するシモーヌこと霜田あゆ美さんの作品。描きおろしではなく、既存作からデザイナーの日下氏がセレクトしたものですが、面識が無いにもかかわらず、どうしても佐藤文香にしか見えない絵を選んでしまっているところに神の見えざる手を感じます。「ku+1」のロゴは、タイプフェイスデザイナーの岡澤慶秀さんの「どうろのじ」というフォントをアレンジしたもので、最初、高山は創刊号なのにひび割れとは不吉だとかなんとか苦情を言ったりしたのですが、出来上がってみると格好良いです。岡澤さん、日下さん、失礼しました。ちなみに表紙周りの趣向は、毎号一変する予定で、第二号はたぶん写真を使います。

第二号は十月刊行。特別作品50句は福田若之で、じつはすでに第一稿が来ております。その鼻息相応にパワフルで、早くお披露目したいですが、だいぶ先ですね。創刊号では文章の執筆がなかった阪西、依光も、阪西は「季語に似たもの」を連載開始、依光は神とも呼ばれるベランダーの能力を遺憾なく発揮してのエッセイを書く予定。特集テーマは秘密にしておくとして、

  ほととぎす東京城を筋かひに

てなものです。請御期待!

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