2014-04-13

特集「ku+」第1号 読み合う 人見知り、句見知り 阪西敦子

特集「ku+」第1号 読み合う
人見知り、句見知り

阪西敦子

「ku+」のメンバーは13人。自分のほかに、12人がいる。

まだ、顔を合せられてないメンバーも数人いるけれど、どっちにしても13人というのはなかなか大変な数だ。がばと知り合うには大勢で、何となく知り合うには少数だ。創刊号が出て、どんな塊だかなんとなく手触りが知れてきたようなものだけど、そう簡単にはなじめない。

今、私の見知り度合いはこんな感じ。



依光陽子さん、今回はじめてお会いする。

海桐の実日の方に船消ゆるとき

その生息地からも、字面からも、確実に海を想起させる海桐。なかなか広がりを見つけ出すのは難しい。低いところにある日へふと船が掻き消えつつあることを見つけ、海桐の暗い赤から海の眩しさへ視線がうつる。海桐から太陽へ、海へ、無理なく引き出される視界。

柿の秋どの鳥籠も開けてあり

たくさんの柿が生って、ぎっしりとしたような、すかすかとしたようなそんな景色に、鳥籠がいくつもあってみんなあけてある。二つの事柄は、ありえない遠さではないけれど、やはり虚を突かれる。

そんな、季題にちょっと油断していると、がっと掴んで持って行かれるような、マイペースなところ、苦手。



福田若之さん、面識有。でも久しぶり。

そんな銛一本で鯨が待っているのか

鯨はまだ登場しない。「待っている」わけだし、そもそも待っているかさえもわからない。銛で、きっと鯨を狩るつもりなのだろうということくらいしか、わからない。

順番もおかしい。銛によって、鯨がいるのかいないのか、大きさが、強さが、待っているかどうかが変わるわけではない。待っていてほしいのか、欲しくないのか、それも良くわからない。

この急で、根拠がなくて、始まりも終わりもないところ、苦手。



杉山久子さん、まだ会えていない。

手をつなぐ影をながめて秋祭

普通、手をつなぐ人があれば、そちらを見るだろう。しかし、その影を見る。そこが、影の濃いような、充足して気が抜けてしまったような、秋祭の実態で、詩情。

近距離からすごくよく見られて、その内側まで見抜いてしまうところ、苦手。



関悦史さん、たびたび面識有。

激甚夕立やみし舗道に牛蒡かな

夕立というだけでですでに、特にこのところは、激しいのだけれど、それの激甚なるものである。それが去って、歩道には牛蒡が残されていた。泥も落ちてしまって、普段より、白々としてしまった牛蒡に、何か哀れさもある。

産地にお住いの関さんであれば、本当に出くわしたことでもあろうが、読後において途端にいろいろ感じさせてしまう、余韻に飛距離のあるところ、苦手。



山田耕司さん、今回はじめてお会いする。

文鳥や用もなく見る野菜室

ところで、本当は「ku+」は年末に出るはずだった。2月に、いや3月か、に結局出たのだけれど、季節派にちょっとずれた感のある並べが多いのはそのため。

半年に一度刊なので、まああまり影響はないのですが。耕司さんは新年から年末へ向かってなんとなく句を並べていて、これは秋あたりにある句。

野菜室は冷蔵庫の野菜を入れるところであろう、それを見たのは文鳥ではなくて作者であろう、文鳥にやるわけではなくて、ただ、文鳥といる部屋の空気がなんとなくそうさせていて、別に文鳥のソテーのつけあわせとして考えているわけでもなくて、でもその可能性の全部であるような、そぞろでつかみどころのないところ、苦手。



佐藤文香さん、会えばよく会うが、会わないときは何年も会わない。「ku+」以降、会うこと増。

月のひかり 家から見える家並みに

家から見る家並みの中に、見ている家もある。家並みに月の光があるのだけど、たぶん自分にもその光は届いている。家から見える家並みは、それに降る月の光は、毎回同じに見えるけれど、実はいつも新たで、この家並みは本当はもうない。

こういう胸が苦しいところ、苦手。



生駒大祐さん、わりと面識あるような、そんなにないような。

秋草に窓あり少し開きあり

秋草の中に、窓のある家があって、少し開いている。離れていても良く見える。少し開いているというのは、硝子と奥の暗さの色の質感の違い。それを秋草がぼかしているような、楽しさがある。

この親切なようでいて、わりと不親切なところ、苦手なようで、苦手ではない。



谷雄介さん、すごく久しぶりにお会いする。

まつしろな果物ばかり盛られけり

白い果物とはなんだろう。桃か、林檎か、梨かわからないけれど、ほとんどあまり香らない。香りだけではない。意味も、機微も、肌理も、強い光に全部飛ばされてしまったようでもある。

言葉の感興に寄りかかっていなくて、句面と余韻が、食い違って惑わされるところ、苦手。



高山れおなさん、今回はじめてお会いする。

落葉踏む韻律の木(rhyme tree )はありてなし

ライム(lime)は葉を落とし、韻律の木(rhyme tree)はあってなきもの、落葉を踏み、韻律を踏む。それでも見えるのは、葉の音に、一歩一歩変わりゆく日差し、ライムの落葉の香り。

なんだろう、なんだかもう、しゃれ過ぎて、苦手。



上田信治さん、たびたび面識有。

肌近く冬の小鳥の鳴きにけり

肌近くというのは、どこで感じているのか、何に比べてなのか、わからないことも多いけれど、それは冬の肌の敏感さであって、空気の硬さなのだろう。謎めいていささか直観的な物言いだけれど、乱暴ではない。
触れそうで触れない、その遠巻きなところ、苦手。



苦手はやっぱり、減るより、増える方が楽しい。


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