2014-04-13

特集「ku+」第1号 読み合う 高山れおなの俳句を無理矢理に誤読してみる。 谷雄介

特集「ku+」第1号 読み合う
高山れおなの俳句を無理矢理に誤読してみる。

谷雄介


ひじょーーーに難しいです。

何が難しいかというと、高山れおなさんの作品です。

他のメンバーの作品は読めます。一読して、この句は好き/嫌い、ここが良い/悪いといった感想らしきものが言えます。しかしながら、高山さんの作品は確かに日本語で書いてあるのですが、それぞれの作品をどう読んで、捉えていけばいいものか、僕にとっては非常に難しい作品ばかりが並びます。

つきましては、知識が足りない、理解が及ばないなりに高山さんの俳句をいくつか取り上げながら、辞書を開いたりググったりはせずに無理矢理に読み進めていくとどうなるのか、試してみようと思いました。高山さんの意図からは全くはずれた誤読のオンパレードになりそうな気もいたしますが・・・どうかご笑覧ください(TO高山さん)。

陽物
(ファロス)出て悲の海照らす朝飯まへ

冒頭の作品です。早速「陽物(ファロス)」という言葉が分かりませんが、この一連の作品が大英博物館での「春画」の展示会に際して作られたもののようなので、きっとこれは男性器のことですね。すると「悲の海」というのは女性器の象徴とも考えられます(「火の海」との掛詞かも)。男性器で「照らす」ってなかなかすごい表現ですね。すなわち、「朝ごはん前に激しいセックスしちゃいました」といった内容で宜しいでしょうか。しかも、「前」ではなく「まへ」です。ファローーース!!!

澄みては消ゆ水のわ印わを連ね

つづきまして、この句は意味は分かります。波紋が水の輪として広がっていく様子。その輪が連なっていて、それらが消えていく様の中に「澄む」という感じを覚えました、といった意味合いでしょうか。しかし、これも春画展の中でのスケッチと考えると、さらに想像は膨らんでいきます。すなわち、「わ」とは女性器であり、「わ」に波紋を与える性交という営みがあり、あるいはそこで起こる情感や声の高まり、その反響、「連ね」は営みの連続性・複数性を表しており云々、というような気もしています。

恋すてふ蛸おほひ来る天高し

この作品も比較的分かりやすいものかも知れません。蛸というのは女性器のことでしょう。しかも「恋すてふ蛸」です。古来からの「名器」の条件として、いそぎんちゃくが何たらとか、天井が何とかだとか、確かその中に蛸もいたような気もします。「天高し」は、ぽーんと上空へ抜けていく感じ、「絶頂感」を託した季語だということが言えましょう。すなわち「すっごい名器の女の子とセックスしてすっごく気持ちよかった」という内容で宜しいでしょうか。

放心の日へ陰門魚
(つびうを)ぞ飛び交へる

「陰門魚」という言葉は造語でしょう。「トビウオ」を語源としての上流に置きながら登場した幻の魚類「つびうを」。これもやはり男性器のことでしょう。「放心の日」はセックスの後、オルガスムスの峠を越えた後の空に光り輝く、これまた幻の太陽と見ましょう。春画に描かれているような隆々とした男性器たる「つびうを」が部屋中を飛び交っているのです。恍惚とした気分の中で、それは幻よりももっとリアルに感じられる光景なのかもしれません。

高山さんの作品の前半からいくつか作品を選んで、読んでみました。何だか男性器と女性器の話しかしていないような気がしますが、この品のない文章のことはさておき、今更ながら意外と高山さんの作品は読めるんじゃないかという気もしてきています。誤読と言っておきながらそれなりに読めているような。一見、読者を拒むかのような難しい言葉、言い回しがあるものの、きちんと読むための手がかりは残してくれているような気もして、何だかんだで楽しんで読めてしまいました。そんな日曜日です(締切過ぎてすみません)。高山さん、ありがとうございました。
 

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