2014-05-18

蛇口の見える暮らし 閒村俊一『拔辯天』の二句 西原天気

蛇口の見える暮らし
閒村俊一『拔辯天』の二句

西原天気



一間(ひとま)のアパートでは、どこからも蛇口が見えたりする。ふとんからも卓袱台からも玄関からも。

いまどきの学生さんは、そんな風呂も付いていないようなアパートは、想像もできないでしょう。

  長き夜の蛇口を拔けて來し女  閒村俊一

アパート一間の暮らしには女っ気など皆無(と相場が決まっている)。ところがある夜、夢か幻か、蛇口を抜けて女がやってくる。「水も滴る」という慣用句は男に使うものなのですが、この蛇口女は、充分に水気を含み、なおかつ透明感もある、いい女(と相場が決まっている)。

そのまま住み着いてくれるのか、朝になったら跡形もなく消え、「あれは何だったのだろう?」と振り返るだけなのか。どちらにしてもファンタジーには違いない。

この句、どこにも安アパートとは書いていないけれど、どうしたって、ピカピカのシステムキッチンとは思えない。15秒間のCMに出てくるような蛇口に、ファンタジーはない。

そして朝。

  きぬぎぬのカップラーメン秋近し  同(ぎぬは踊り字)

蛇口からヤカンに水を注ぎ、ガスコンロに載せて、湯を沸かし、カップに注ぐ。

泣けます。

悲しいから、情けないから、じゃなく。

オシャレなカフェやホテルの朝食じゃあ、泣けません。


句集『拔辯天』は乙(オツ)な句、粋な句が数多い。掲句二句は、乙なだけ、粋なだけでなく、心にじんわり響きました。

 

ちなみに、私事で恐縮ですが、東京に出てきて最初の下宿はたしか家賃8,000円でした。相場は1畳2,000円(地方は1,000円)。トイレも炊事場も共同。隣の部屋からはフォークギターを爪弾く音。絵に描いたような学生下宿。想像も妄想も夢もまた「安かった」。けれど、あそこにもう一度戻れるなら、きっと戻ると思うのですよ。



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