2014-06-29

俳句に似たもの9 子供 生駒大祐

俳句に似たもの 9
子供

生駒大祐

「天為」2013年1月号より転載


ドラえもんという藤子・F・不二雄の創作した有名なキャラクターが居る。2112年生まれの猫型ロボットで、好物はドラ焼き、ネズミが大の苦手である。また、同じ作者には「パーマン」という作品があり、パーマンセット(マスク、マント、バッジ)を装着すると怪力や空を飛ぶ能力などを授かり、その力を生かして正義のヒーローになるという物語である。

一方、子供というものは知の体系においては二次元に生きているようなもので、得られた知識を全て平等に地べたに並べて眺めているような生き物だ。

上の両者が交わると何が起こるかというと、創作物が生まれた背景であるとか経緯というものに兎に角気づかない。

すなわち、ドラえもんは「猫」型ロボットなのに「ネズミ」が嫌いであるという逆転が味であり、「パーマン」は先行のキャラクターである「スーパーマン」の断片として名づけられたという、大人にとっては自明であることに気づかない。

そして、恐ろしいことに、一端知識の並列・平等化が起こるとそれがなかなか解けないのか、いい大人になってようやくそれに気づく、という現象が起こり、驚くというか、その「気づかなかった」ということに一種の感動すら覚えることがある。少なくとも僕の場合はそうだった。

知というのは本来構造的であり、土台となる前提があって初めて帰納的・演繹的に結論が導かれるはずのものである。初等教育というものは、その科目を問わずして、「世界は体系的に構成されている」というメッセージをゴールとしてなされる。そして、子供は大人になっていく。

俳句における写生という方法のもたらす一種の効果は、世界は体系的には成り立っていないという事実を示すということにある。

鶏頭や海近くして蟻聡し  波多野爽波

かき冰食ひ桔梗の花を見る  田中裕明

俳句の切れは各事象の二次元化を引き起こし、作者、あるいは世界にとって何が原因であり何が結果であったのかを無効化する。さらには、「写生」という言葉が、その無効化された構造体が現実に確かに存在していたのだということを証言する。

そこに現れるべったりとした風景は、大人にとっては奇妙で面白いものであり、子供にとってはごく自然な風景である。「俳諧は三尺の童子にさせよ」という芭蕉の言葉があるが、写生を子供にやらせると大人にとってはとても面白いものができると同時に、子供にとってはその面白みが全く分からないのではないか。

写生俳句の面白さが俳句を見慣れない人に伝わりづらいと言われるのは、そこが原因ではないかと思う。季語の世界という非常に三次元的な言語体系の性質を知らなければ、それを無効化する写生の刃の切れ味は判らない。三次元における連続曲線を二次元に射影すると点が離散的に存在するようにしか見えない。

写生の面白さは、そのアナロジーで語れるのではないだろうか。

涎掛縫へば鶯飛んで来し  岩田由美


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