2014-06-22

【八田木枯の一句】天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし  角谷昌子

【八田木枯の一句】
天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし

角谷昌子


天にまだ蜥蜴を照らす光あるらし  八田木枯

草の根元を抜け、石の陰を這い、蜥蜴は全身を日にさらされることを拒むように、大地に腹を擦りながら進む。日差しを浴びれば己の影がくっきりと映り、存在が際立ってしまう。敵の眼に触れぬよう逼塞(ひっそく)するさまは、誠に心もとない営為のようだ。果たして敵から逃れる己が虚像で、地面を滑る影が実像なのか。それとも切り落とされてうごめく尾だけが本当は実像か。

掲句では、どんよりした空から微かに光が差している。暗がりを縫ってきた蜥蜴が立ち止まったとき、背中の幼い縞が光にぼんやりと浮かび上がった。いや、蜥蜴の背に金属めいた反射をわずかに目にしただけかもしれない。だがここには作者の戸惑いが滲み、生命の輝きを詠もうとする積極的な姿勢はあまり感じられない。

塚本邦雄が木枯の句〈洗ひ髪身におぼえなき光ばかり〉を『百句燦々』に収め、木枯の根源的な「光」に対する懼れを指摘したが、掲句の蜥蜴にある光にも、畏怖の思いが濃い。木枯の原初的な闇への畏敬や親愛、安堵の情が、光への懼れに反転するためではないだろうか。

木枯の師である山口誓子には、〈蜥蜴照り肺ひこひことひかり吸ふ〉〈蜥蜴出て既に朝日にかがやける〉など多くの蜥蜴の句がある。ここには生命の躍動と光への希求があった。誓子は病身の己を労わる思いが強く、身ほとりに居る小さな動物たちを分身のごとく見つめ続けた。いのちの凝視は、モノトーンの背景の中、光への願望となって作品に表れる。

一方、木枯の作品には、生の眩しさへの怯え、実存へのかそけき問いかけがある。光と闇を描くことは、その生涯のテーマでもあった。木枯の本名が「光」であり、自ら「日刈」と称したことも、運命的な課題を負った証左とも言えようか。

詩人の会田綱雄(1914~90)は、異界の者が跳梁する世界を描いた。「鹹湖」に、「生きていることが/たえまなしに/僕に毒をはかせる/いやおうなさのなかで/僕が殺してきた/いきものたちの/おびただしい/なきがらを沈めながら」と書く。その作品には実存のさみしさが漂う。

木枯俳句は諧謔に富み、秘する花がある。決して暗くはないが、いずれの作品も中村草田男のような向日性があるとは言い難い。それは基調にある無常観と生きることの哀しみが、鈍色の尾を曳いているからだ。木枯の場合も、実存のさみしさが、詩人会田のように虚を捉え、異界の者を登場させることに結びつくのかもしれない。第一句集『汗馬楽鈔』の時代は、家族を詠んだ境涯詠や写生句も見られるが、第二句集からは虚実あわいの世界が積極的に描かれる。いよいよ木枯独自の作風が展開するのである。


『汗馬楽鈔』(1988年)より。


 

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