2014-06-29

「俳句と住まい」 ~根岸の里の侘び住まいをリノベーションする~ 中村安伸

俳句と住まい
 ~根岸の里の侘び住まいをリノベーションする~ 

中村安伸

2014.5.24 現代俳句協会青年部勉強会
配付資料とスクリプト

1. introduction

・住まい
・家
・住宅
・住居
・家屋
・屋敷
・邸宅
・部屋
・マイホーム
・住み処

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今回の勉強会は「俳句と住まい」をテーマといたします。このテーマを選択するきっかけは、昨年から今年にかけて自宅として中古マンションを購入し、改造をおこなったことです。その過程で住まいに関心を持つようになり、俳句と住まいの関わりについて考えてみたいと思うようになりました。

住まいについて関わりをもたない人は存在しません。一方で衣食住にかぞえられる重要性のわりには意識されることが少ない、あるいは意識される部分が限られているのが住まいであるといえるのではないでしょうか。

本日は俳句と住まいの関わりについて、私の意識にのぼったトピックを議論の題材として提供したうえで、時間の許す限りみなさまのご意見やお考えを伺い、俳句と住まいについて私としても新たな視点を得ることができたらと思っております。

なお「住まい」という語をタイトルに選択した理由を述べておきたいと思います。他にも同様の意味を持つ語が多数あるので、それらとの比較において、この語がもっともふさわしいと感じられたからです。必ずしも適切ではないかもしれませんが、それぞれの語のもつニュアンスについては以下のように考えております。

・家→もっとも古く、普及している用語だが、その分派生した意味が多い。

・住宅、住居、家屋→それぞれニュアンスの違いはあるが、いずれも建造物としての住居をあらわす。

・部屋→本来は住居のなかの区画をさすが、集合住宅のなかの一戸をさすこともあり、特に一人暮らしの住居を部屋と呼称することが多い。

・屋敷→一戸建てのみが対象で、大きく、立派、伝統的、歴史的、和というニュアンス。立派で歴史あるイメージを逆転させた「ゴミ屋敷」「お化け屋敷」等の用法もある。

・邸宅→こちらも大きく立派な一戸建てだが、より現代的で洋風のニュアンス。

・マイホーム→ある時代のライフスタイルと関係が深い。住宅業界によるマーケティングにも使用された。

・住み処→より個別的な使い方。

・住まい→「住まう」の名詞形であり、建造物としての住居と人の住生活の両方を含む。私がテーマとしてイメージしているものに近いためこれをテーマに選択しました。ただ、含む範囲が広くて曖昧なので、テーマ以外の部分では文脈に従いほかの用語も使用していきます。また、住まいにも含まれる人の行為に特化して「暮らし」という語を用いることもあるでしょう。

他に関連する用語として以下のようなものもあります。

・居住空間→他の施設に付随する居住のためのスペース、また、概念としての居住スペース

・家庭→関連用語として、住まいにおいて営まれる人々の暮らし。家族よりも住居への関係が深いニュアンス。

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2. リノベーション

1.購入時(2013/8/5)













2.解体後、墨出し確認時(2014/2/1)









3.完成、引き渡し後(2014/3/21~22)










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今回の勉強会のサブタイトルを「根岸の里の侘び住まいをリノベーションする」としたのですが、このタイトルそのものに深い意味があるわけではなく、直感的に選んだものです。

根岸の里の侘び住まい」というフレーズに五音の季語をくっつけると俳句になると言われており(八代目入船亭扇橋の「梅が香や根岸の里の侘住居」に拠るとも言われる。)以前話題になった十二音技法の元祖のようなものかもしれません。根岸というと子規の住まいがあった場所で、そうした歴史的背景への接続も感じられます。

「リノベーション」とは、住宅関連の用語として近年少しずつポピュラーになってきたものではありますが、一般的にはまだまだなじみの薄い言葉でしょう。伝統的な住まいと最新の住まいの双方に目を向け、その関わりを考えたいという意識の働いたサブタイトルということかもしれません。

このたびの勉強会を行うきっかけが、自宅を購入、改造であったということを冒頭で述べましたが、その際、私はリノベーションとよばれる大規模な改造を行ったのでした。

具体的には、マンションの専有部分に施された内装をすべて除去しスケルトン状態にした躯体に、改めて内装をほどこすというもので、表面上は新築同様となり、間取りを含むデザインや素材なども、ほぼすべて一新することが可能になるというものです。

資料の写真の二枚目は解体された室内を撮影したもので、内壁や床、天井などがほとんどすべて取り払われています。部屋を垂直に貫いて三本の管が通っているのがお分かりいただけるでしょうか。これらの排水管を移動させることはできず、それによってある程度レイアウトも限定されます。

リノベーションを行うにあったっては、専門の業者(Style & Deco)にコーディネイトをお願いしたのですが、デザイナーと打ち合わせを重ね、要望を伝えたり、図面を見て修正をお願いしたり、使用する素材や建具、キッチンや浴槽等の什器や照明器具などの選定を行うなかで、最も重視し、考えるべきであると思ったのは、家とはさまざまな機能をもつシステムであり、さまざまな制約のなかでどれだけの機能を盛り込んだシステムを構築できるか、機能の取捨選択をするにあたって優先度をどのように決めていくかといった点でした。

そのためには、我々がこれまで毎日どのような暮らし方をしてきたか、そのうちでどのような点を維持し、どのような点を改めたいかを検討する必要がありました。

家をシステムとして考えるということはこのプロジェクトにあたっての私の基本方針になったのですが、そのご説明をする前に、まずは俳句と住まいについて、思い切りオーソドックスな視点から検討してみたいと思います。

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3. 住まいと季語


・煤払、掃納、畳替
・蒲団
・冬構、冬籠、冬館、冬座敷
・目貼、北窓塞ぐ、風除、障子、襖、屏風、絨毯、寒燈
・暖房、ストーブ、ペーチカ、炭、炭火、埋火、消炭、炭斗、炭売、炭俵、炭団、練炭、石炭、炬燵、置炬燵、囲炉裡、 榾、火桶、火鉢、助炭、手焙、行火、温石、足温め、湯婆、懐炉、敷松葉、湯気立て、吸入器
・雪卸、雪掻、雪囲、藪巻、雪吊
・火事

赤き火事哄笑せしが今日黒し  西東三鬼


・春炬燵、春暖炉、春火鉢、春の燈
・炬燵塞ぐ、暖炉納む、目貼剥ぐ、北窓開く、雪囲解く
・垣繕ふ、屋根替


・夏館、夏の燈、夏炉、夏座敷、露台、泉殿、滝殿
・夏布団、夏座布団、花茣蓙、油団、籠枕、陶枕、竹婦人
・日除、青簾、夏暖簾、葭簀、葭戸、籐椅子、竹床几、ハンモック、水盤
・蝿帳、蠅除、蝿叩、蝿取器、蚊帳、蚊遣火
・冷房、花氷、扇、団扇、扇風機、風鈴、釣忍、走馬灯、岐阜提灯
・晒井、打ち水、行水、撒水車
・端居、昼寝

端居して濁世なかなかおもしろや  阿波野青畝


・秋の燈、燈火親し
・秋の蚊帳、秋簾、秋扇、扇置く、行水名残
・障子洗う、障子貼る、冬支度

『合本俳句歳時記 新版』 角川書店編 より

家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑きころ比わろき住居は、堪え難き事なり。 (吉田兼好『徒然草』第55段)

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「住まいと季語」という観点ですが、季語のなかでも人事あるいは生活のカテゴリーに属するもののなかに、住まいとかかわるものが多く含まれています。

『合本歳時記 新版』(角川書店編 昭和49年)から住まいに関する季語をピックアップしてみました。

新年は儀礼的なものがほとんどなので省きましたが、冬と夏が多く、春と秋が少ないという傾向は一目瞭然です。

また、春と秋に関しては、夏と冬に使ったものの名残としての季語(春炬燵、秋の蚊帳など)や冬や夏に施したものを取り外すといった季語(北窓開く、目貼り剝ぐなど)また冬や夏に向けての準備の季語(冬支度など)が多く、実際には住生活に関連する季語のほとんどが夏と冬で占められているといっても過言ではないでしょう。

また夏と冬の季語を比較してみると、数にはそれほど差がありませんが、冬は寒さへの対策として実効性のあるものが多いのに対し、夏は演出効果によって涼しい気分をもたらすことを期待するものが多いということがわかります。

この理由に関連するのが『徒然草』第55段の有名な記述です。

兼好法師の時代というとやや古すぎるかもしれませんが、たとえば子規が根岸の里に暮らした時代の住宅と、現代のそれとを比較したときに、機能面での進歩や変化は数え切れないほどあると思います。そのなかで目に見えてもっともインパクトの大きい発明が「冷房」であると思います。

冷房や冷蔵庫など、冷媒を用いて電力による冷却を行う技術が普及するまで、空気を暖めることについてはさまざまな方法で可能であったものの、空気を直接冷やす方法はほぼありませんでした。

そのため前述の『徒然草』の記述のとおり、住居の構造は夏にあわせて作る一方、冬においてはさまざまな工夫を施す余地があり、その工夫が季語として残ったものと考えられます。

たとえば「目貼り」が冬の季語「目貼り剥ぐ」が春の季語として存在しているということは、冬以外の季節には隙間風が入ることを前提にして住居が作られていたと考えるべきではないでしょうか?

住宅の気密性が高まり、目貼りという言葉は日常生活においてはほぼ死語になってしまいましたが、冷房の登場が、一年を通じて気密性の高い住居の開発を促したという面もあると思います。

前述のとおり、歳時記のなかの暮らしと現代の暮らしとの機能面における大きな違いの一つが、空調や気密性によって、より積極的に空気をコントロールできるようになったという点であろうと思います。

さて、個人的に住まいに関する季語のうちベストを夏編と冬編で選びました。

冬編が「火事」こちらは住まいそのものの破壊という暴力性、ドラマ性を季語に盛り込んだもので、他に類を見ないのではないでしょうか。例句にあげた三鬼の作品もそうですが、取り合わせには使いにくく、神の視点から俯瞰的にとらえたような作例が多い気がします。

夏編は「端居」です。部屋の隅や端に居るということだけでいくばくかの涼を感じるという感受の繊細さ。火事とは対称的に取り合わせによって良い効果をもたらしている作例が多いと思います。

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4. 住居という「システム」

・空気のコントロール
気密性の確保と換気、温度・湿度の調整 →屋根、外壁、窓、換気装置、空調装置 

・光のコントロール
日中の採光/遮光、夜間の照明 →窓、照明器具、カーテン、ブラインド

・水と火のコントロール
調理、入浴、排泄等に使う水と火(加熱) →給排水管、給湯装置、加熱器具、付随する換気装置

・スペースのコントロール
人、モノのためのスペースの確保と配分 →内壁、扉、収納、家具

・導線のコントロール
人の移動のためのスペースの確保 →廊下、階段、室内の導線

・境界のコントロール
セキュリティ、景観の確保、外部との接続と遮断 →庭、ベランダ、バルコニー、門、塀、鍵

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季語と住まいとのかかわりについて考えるなかで、季語にうたわれた伝統的な住居と現代の住居の違いの一つとして、空気のコントロールということを挙げましたが、住居の機能はもちろんそれだけではありません。

私が自宅のリノベーションを行いながら、住まいというシステムの機能にはどのようなものがあるか、おおまかに整理したものを挙げてみます。

ご意見はさまざまにあるでしょうが、ひとまず住まいというものの全体的なイメージとして心にとめておいていただき、次章では具体的な作品をもとに住まいと俳句の関わりについて述べていきたいと思います。

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5. モチーフとしての住まい(最新の二句集より)

・(現代の)住まいの素描

・住まいと恋愛/性

・住まいと老、病、死

・住まいの劣化、破損、喪失、終焉

・暗喩、象徴としての住まい

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住まいに関する季語を用いた俳句に限らず、モチーフとして住まいにかかわる事象をとりあげた現代俳句作品は数多いのですが、そのなかで特に二冊の句集をとりあげ、例を挙げていきたいと思います。

取り上げた句集は以下のとおりです。

・関悦史『60億本の回転する曲がつた棒』(2011年/邑書林)

・榮猿丸『点滅』(2013年/ふらんす堂)

近年の句集のなかで、住まいやそれに関連する事柄が句集のおける大きな題材となっている点、また、それらを独特の視点や手際をもって取り扱っている点でこの二句集を選びました。

偶然ですが作者は両名とも男性であり、私自身とほぼ同年代(すこし年上)ということで、私にとって共感しやすく、また問題意識にも共通するものがあったのかもしれません。また、どちらも第一句集であり、「田中裕明賞」を受賞しているという点で共通しています。

上記二句集を読み、住まいと関連する句をピックアップしているうちに、いくつかのトピックがが浮かびあがってきました。まずはトピックごとに分類し、作品を提示していきたいと思います。

・住まいの素描

マンモス団地は横へ綱張り鯉幟 関悦史
空室のいつせいに透く花火かな  同
大マンションの影の内なり盆の町 同 

秋の灯の紐こそよけれ紐引ける 榮猿丸
壁のポスターいつ剝がしけむレノンの忌 同
ノートパソコン閉づれば闇や去年今年  同
呼鈴の釦に音符蔦枯るる        同
風呂に読む本波打てる暮春かな     同


現代の住まいに関して描写した作品群だが、二人の手つきはまったく異なる。関は集合住宅の存在感を不気味な方向に誇張して描き、榮は住まいのディテールをどこかなつかしさをこめたタッチで描いている。

・住まいと恋愛、性


木造アパート和姦の悲鳴漏れて秋 関悦史
小鳥来て姉と名乗りぬ飼ひにけり  同

春泥を来て汝が部屋に倦みにけり 榮猿丸
別れきて鍵投捨てぬ躑躅のなか   同
収納ケース積んで同棲鉄線花    同 

・住まいと老、病、死

客来たる 祖母は祖母で私は私で玄関に着けず 関悦史
病めば布団に電車来て祖母何も食へず 同
灯らぬ家は寒月に浮くそこへ帰る   同
春暁のからのベッドがまたもある   同

上記二つのトピックはセットと考えてもよい、つまり生まれてから死ぬまでの人のライフサイクルに関するものである。

ライフサイクルにあわせて住まいも変化していく、四畳半からはじまってマイホームというひとつの類型的な物語が想定されているかもしれない。また、作者の実体験が反映される部分が大きいのもこのトピックにおける作品群の特徴である。

たとえば独居の若者にとって恋人の「部屋」とは特別な意味をもつ場所である。恋人を部屋に招くこと、また招かれること、そうした特別な行為は繰り返されるうちに日常となり、二人の暮らしへと移行する。

関の二句目は多様な解釈が可能なものであるが、独居から恋愛を経て二人の住まいへ移るにあたっての様々な様相のうちに、ペットを飼うこととのアナロジーを発見することも可能であろう。

一方で、ライフサイクルのゴールはマイホームではなく、死をむかえる場所としての住居ということも考えなくてはならない。

同居する家族にとっては介護という問題となり、また、孤独死ということもある。

・住まいの劣化、破損、喪失、終焉

夏うぐひす廃墟の便器かはきたる 関悦史
旧家壊され秋刀魚の腸の如くなる 同
地下道を蒲団引きずる男かな   同
壁紙蝕むばけものとして春の雨  同
永き日の家のかけらを掃きにけり 同
ブロック塀を縛るロープに雷雨来し 同
縦横に罅入る家やなめくぢり   同

毀されて長屋みじかし茄子の花 榮猿丸

人のライフサイクルのみならず住宅にもライフサイクルは存在する。寿命を迎えた住居をどのように終了させるか、とくに多数の区分所有者によって分かち持たれている集合住宅においては深刻な問題となってしまう。

ある不動産業者の営業マンが「マンションとは究極の土地の有効活用である」と言っていたが、人が増えて土地が不足したところに高層建築物を区分所有するというのは、とても有効な処方箋と映ったことであろう。

ただ、その終わらせ方ということまでは十分に検討されてこなかったように思う。原子力発電とのアナロジーなども含め、こうした人間の行為も興味深いものであり、将来現出するであろう巨大な廃墟としての高層マンションというのは、俳句や他の文芸のモチーフとして重みを増していくだろう。

関作品においてこのテーマが大きく扱われており、榮作品にはあまり見当たらないのは、震災体験ということも要因の一つであろうが、俳人としてのスタンスの違いという点が大きいように思う。

三句目にとりあげたのは、住人側の理由によって住まいを失うようなケースが想起される。すなわち失業やホームレスの問題であり、現代の都市においては殊に、金銭や社会的信用と住まいの関係は見落とせない問題であり、職は住まい連動し、歯車が少し狂うだけで悪循環によって容易に人はすべてを失ってしまう。

・喩、象徴としての住まい

鷹は鳩我は扉となりゆくや   関悦史
廊下の奥に峰雲生えかけ固まりをり 同

家具や建具など、住まいのさまざまなディテールが喩、象徴として作用すること。俳句にかぎらず様々な文学において作例は多く、また様々な角度から研究もされている部分であり、今回は深くはとりあげません。

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6. 俳人と住まい

・俳句を生み出す場――田中裕明の例

翌日は帰る日という夜中に携帯に間違い電話がかかってきて起こされ、眠れなくなってしまいました。それで、句帳を開いて朝まで句を作っていたそうです。

その日は帰る車中でも声に出しながら句帳に次々と書き込んで、みな淀みなく俳句になっていく。句を詠んでいる間にも、特許を思いついたと言って、それも句帳に四つか五つ書きとめていきました。あの時は何か降りて来たのか、怖いとさえ思ったんです。

(「澤」2008年7月号 特集/田中裕明「対談 思い出の田中裕明」森賀まり・小澤實より、森賀まり夫人の発言)

・俳人の終の住処――攝津幸彦の例

そんな外出先で見つけた掘り出しもの、それが後に新しい我が家となるマンションでした。

この四階建てマンションの最上階の部屋にはロフト(屋根裏部屋)が付いていて、幸彦はその小さな空間を見るなり、すっかり気に入ってしまったのです。散歩がてらにちょっと立ち寄っただけのマンションを、どうあっても購入したいと彼から言われたときには、私は仰天してしまいました。

「これから契約手続きをして、内装工事に時間がかかったとしても、恐らく半年も先には入居できるだろう」と彼は事もなげに申します。けれど今の彼に半年も先までの長期計画はあってはならないことでした。(中略)ところが順次ことが進んでいき、やがて内装工事が始まってみると、半面、思いがけない天の恵みがもたらされたのでした。幸彦が日一日と活力を増してゆくのです。

(攝津資子『幸彦幻景』より)

・「定住漂泊」とは――金子兜太の例

漂泊とはるはく流魄の情念であって、山頭火や放哉の場合は放浪を伴ったが、かならずしも放浪を要しない。さすらいの現象様態ではないのだ。

そうではなくて、反時代の、反状況の、あるいは反自己の、または我念貫徹の、定着を得ぬ魂の有りてい態であって、その芯に〈無〉がある。無は、諾う対象としてあり、あるいは、絶つべき対象としてある。人さまざまだ。

(金子兜太「定住漂泊」 初出「週刊読書人」1971年10月11日)

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俳人と住まいとの関係は、作品の題材としてのみではありません。いくつか目にとまった事例を挙げましたが、田中裕明、攝津幸彦の事例については、いづれも本人の死後、夫人によって語られたエピソードであるという共通点があります

・田中裕明の例

旅に出た時にトランス状態となって大量の俳句がとめどなく生み出されたという話。

そうしたトランス状態をもたらすものとは何か、住まいという空間をどのようにすれば、そうした経験をもたらす空間を作ることができるだろうか?

・攝津幸彦の例

一人の俳人が、自ら命の長くないことを悟ったときに「終の棲家」をつくることに情熱を傾けたということ。

家をつくるということは、自分と家族の日々の暮らしに対して創造性を発揮できる数少ない機会かもしれない。

また、ロフトという狭い空間に魅力を感じる感覚。

上記の田中裕明の例とも通じるが、俳人が俳句を生み出す場として書斎のような空間を求めるとしたら、雑音、雑念をシャットアウトできる狭い空間、資料にいつでもアクセスでき、大量の本や雑誌(送られてくる)を整然と詰め込むことのできる収納などを求めるかもしれない。それが果たして俳人にとって最適な空間なのだろうか?

・金子兜太の「定住漂泊」

たとえば家を失った、あるいは捨てた漂泊者の心を、家を失う不安のない定住者が知ることができるのだろうか。

定住しながら心は漂泊に置くということが「漂泊ごっこ」でないと言いきれるのだろうか。

山頭火や放哉には漂泊が必要だったが、自らには必要ないと言わんばかりのこの文章からは傲慢さを感じずにいられない。

事実、家を失った者の気持ちは家を失った者にしかわからない。ただ、わからないからといって、わかろうとすることをあきらめるべきではない。想像力やコミュニケーションを全く信用しないのでは、俳句に関わる意味はないだろう。そうでなければ、たとえば震災について詠むことができるのも、それを読むことができるのも被災者のみということになってしまう。

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7. 全体のまとめ

いま私が住まいについて最も興味を持っているのが集合住宅の終焉というトピックであり、自宅を作ったことをきっかけに今日の勉強会を企画しましたが、自分の住まいを得たことによって、逆に住まいを失う、失われることに関心が移ったということは、皮肉にも思えるが、当然のことのような気もします。

多数のマンションが建て替えすることもできずに廃墟化、スラム化していき、原発が放射性廃棄物を垂れ流し、人の作ったものの多くが人のコントロールを離れ、手に負えないものとなってのさばっていく未来を、私達はは描いていくことになるのでしょうか?

今回とりあげた関さん、榮さんの句集には、そのような未来を予感させる気分があったと思います。

関さんの作品はすでに現実の暮らしを侵しつつある崩壊の予兆を掬いあげて誇張し、読者を戦慄させるのであり、榮さんの作品は現実の暮らしの細部を、それらがすでに失われたものであるかのように懐かしく感じさせます。

集合住宅の老朽化という問題についてはじめから考慮されたマンションがなかったわけではありません。

黒川紀章設計による中銀カプセルタワービルというマンションは、基本的な家具をそなえたカプセル個室の集合体で、老朽化したカプセルを随時取り替えていくメタボリズム(新陳代謝)がコンセプトでした。

しかし築40年以上が経過したいま、一度もカプセルの交換は行われておらず、アスベスト問題もあって取り壊しの危機に瀕していると言われています。

一方、このマンションの独特のデザインや、立地の良さを気に入って、好んで住もうとする人たちも増え、良さを残していこうという動きも起こっているようです。

私が経験した中古マンションのリノベーションも、集合住宅の寿命を少しでも伸ばしていくという試みの一つと捉えることもできます

未来を信じることが、無責任な楽観論につながり、深刻な崩壊をもたらすこともある一方で、やはり住まいにせよ俳句にせよ、作るということの根本には未来を信じるということがあって、それを忽せにはできないと思っています。

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