2014-07-06

12句作品 関悦史 ケア 二〇一四年六月三〇日 - 七月一日

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週刊俳句 第376号 2014-7-6
関悦史 ケア
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19 コメント:

座間味島三郎助 さんのコメント...

デリダの弟子ラクーラバルトは詩と政治の縫合をハイデガー=ナチス的なものとして批判してましたよね。
フランス現代思想が大好きな関さんが安易に政治をネタにする俳句を書くのは理解に苦しみます。
まさかとは思いますが、現代思想を持ち出すのが好きなだけで、その精神まで理解できていないわけではないですよね?
ウェブ文化に引きずられて時代を追いかけるのが危険であることは、小生に言われるまでもなく理解しているとは存じますが(笑)

samaria さんのコメント...

恐るべき安易なコメントを拝見しました。ハイデガー=ナチス的というなら安倍晋三の「美しい国」やら右翼思想そのものに対していうべきことでありましょう。
民主主義に立つデリダを使って民主主義を貶めようとする脱構築もどきは結局は単なる長いものに巻かれる日和見相対主義でしかないという好例を提供いただきありがとうございます。

座間味島三郎助 さんのコメント...

人に文句を言うのなら、内容を理解してからにしてほしいものです。
小生はデリダの話なんかしていませんよ(笑)
ラクーラバルトをご存知ない方もいるかと思って、デリダの弟子と書いたら、「デリダを使って民主主義を貶めようとする」とはどういうことでしょう?
小生がいつ民主主義を貶めたのか、説明していただけませんかね。

そもそも、小生は関さんに質問をしたのですが、知らん顔をしている関さんこそ日和見主義ではないのですか?
少数意見を封殺しようとする人が民主主義とは恐れ入谷の鬼子母神(笑)

だいたい、関さんの俳句はどれも集団的自衛権に反対 する内容じゃないですよね。
政治的主張もないのに、なんで政治を題材にしたがるのか、これも御本人から説明をいただきたいですね。
小生が言いたいのは、詩は絶対にジャーナリズムにはなりえないということです。
政治を詩に回収することは、たとえ各論に賛成でなくても、時代のロマン主義的風潮を強化するだけです。
いいかげん「知識人のフリ」はやめていただきたい。
反対なら普通に反対の声明でも出せばいいでしょう。
(自分の立場を明確にする覚悟があれば、ですけどね)

安倍晋三と比べれば誰でもマシでしょうが、安倍晋三よりマシだからっていい俳句というわけではありません(笑)

座間味島三郎助 さんのコメント...

西原天気さんのツイートによると、小生のコメントは放置されるらしいので、もう一言だけ(笑)

匿名コメントができないようにするなら、それでいいんじゃないですか(笑)
読みたくないものは目にしたくない、という幼稚な感性なら、たとえ小生が顕名で書いても対応は同じでしょうけどね。

小生は真面目な話をしていたつもりなんですが、こちらが悪いことを書き込んだとしか思われていないのは残念です。
顔見知りで仲良くやりたいなら、雑誌のような体裁を取るのはやめてしまいなさい。

週刊俳句 さんのコメント...

はい。しばらくは、認証などの管理は、しないことにします。めんどうなので。

田島洋一 さんのコメント...

はじめから真摯に書かなかったことを反省しています。

関さんはサンプリングのような感覚で俳句にいろいろなものを取り込むのがスタイルのようですが、
彼の知識は政治にしても現代思想にしても生半可なものです。

あなた方だって、俳句をたいして勉強していない人にいいかげんなことを言われたら不愉快でしょう?
哲学を長く勉強してきた小生には、関さんの手前勝手な現代思想の利用は、学問への冒涜にも思えるのです。

俳句について関さんが語ることに、必ずしも現代思想の参照が必要だとも思えません。
ご自分の見識だけで充分に勝負できるはずなのに、わざわざ現代思想を誤用までして持ち出すのは、褒められる態度でしょうか?

現代思想に詳しくもない人たちにとっては、思想の学問的な正確さなどどうでもいいのでしょうが、それでも関さんを英雄扱いすることに躊躇いがないのは不快です。
いくら井の中の蛙でも、それを外の人が読んだらどう思うか考える責任はあると存じますが、小生の言いたいことは伝わったでしょうか?

関さんが日和見であったのは、小生の書き込み方が悪かったせいなのでしょう。

samaria さんのコメント...

Eichmannノ後ニシテ物ヲ思ハザリ 座間味島三郎助ノ日ノ本ナルカナ

後をつけてみました。
ラクーラバルトのいうところの国家-審美主義はベンヤミンから来ていますが、ベンヤミンはこういった国家や権力による政治の審美化に対して、市民は芸術の政治化で対抗するとしていますね。
いうまでもなく関氏の社会詠は後者であって、前者ではない。これらを区別できずに現代思想などとまあ噴飯ものというべきでしょう。
ちょうど小津氏の評論にあるところの「小市民的凡庸さという存在のありようにおいて、現代を代表する人格的類型」が登場したおかげで、関氏の句がますます輝きを得ることになりましたね。

田島洋一 さんのコメント...

まあ、絶句ですね。
これも自分の蒔いた種ということで反省しましょう。

関さん、あなたのファンはこんな人ですよ。
神格化されて気持ちいいのか悪いのか。

匿名 さんのコメント...

田島洋一さんに質問なのですが、この「ケア」12句の、具体的にどの部分が「現代思想」の利用/誤用なのでしょうか? 教えていただけませんでしょうか。

現代思想について不案内で、どの部分を言っていらっしゃるのか、わからないのです。

samaria さんのコメント...

おや、田島洋一さん、座間味島三郎助に逆戻りでしょうか。
関氏の問題ではなく、これはあなたの問題ですよ。小市民的凡庸さを発揮して人に責任転嫁する前に、もう少し真摯に内容のあることを書いてみてはいかがでしょうか?

匿名 さんのコメント...

ちょっと事実誤認の訂正を(多すぎて気持ち悪い。)



>ラクーラバルトをご存知ない方もいるかと思って、
>デリダの弟子と書いた

ちがいます。

単にラクー=ラバルトが、デリダの本から影響を受けただけで、
二人は学生時代も教員時代も、別の現場。
思想もちがう(デリダは彼に批判的)。



>ラクーラバルトは詩と政治の縫合をハイデガー=ナチス的な
>ものとして批判してましたよね

彼のハイデガー批判の中心は「政治の美学化」であって、
「美学の政治化」の話ではないです。

つまり彼の主張は「美しい日本」「固有の歴史ある日本」といった
「神話による政治の虚構化」の文脈に乗るはなしであって、
芸術作品そのものの審理・再考ではありません。

なお、彼の芸術解釈に重大な問題があることについては、
一般に認識されている通り。



>政治を詩に回収することは、たとえ各論に賛成でなくても、
>時代のロマン主義的風潮を強化する

そのロマン主義的風潮に対抗するテーゼとして、
「美学の政治化」(ベンヤミン)が出て来たのです。

「芸術の政治学」とは、これまで多くの芸術家が
共産主義の文脈を越えて積極的に関わってきた問題で、
重要な仕事および研究がたくさん存在します。



>哲学を長く勉強してきた小生には

それならラクー=ラバルトの名はノン・コンポゼだと気づいてください。人名は正しく、が鉄則。



>関さんの手前勝手な現代思想の利用は、
>学問への冒涜にも思えるのです。
>関さんの俳句はどれも集団的自衛権に反対する内容じゃないですよ

関の「ケア」には現代思想などどこにも出てきません。
そして(あなたの言うとおり)集団的自衛権についても出てきません。

それを持ち出しているのはあなたです。

これは「デモ」を書いた作品なのであって、
書かれてないことを持ち出して、思っていたのと違うというのは奇妙。

まずは作品をそのまま読む必要があるのです。
そして「作品に書かれてあること」を評価もしくは批判しなくてはいけないのです。


まだありますが、めんどくさくなったので、これだけ。

田島三郎助 さんのコメント...

おっ、正解が出ましたね(笑)

ラクーラバルトが「政治の美学化」ではなく、「美学の政治化」を批判したというのはその通りです。
お見事でした。
ただ、これで不案内って嫌味が過ぎますね(笑)
(まあ、これだけ時間があれば読む暇はあるでしょうが)

デリダの弟子か弟子筋かはよくわかりませんが、そういう関係だと思ってました。
そこが重要なら謝ります。

現代思想の乱用はケアの句についての話ではなく、クプラスを含めた関さんの論考全体なのですが、たしかに小生の書き方ではイチャモンでしかありませんね(笑)
でも、匿名さんは小生の意図がわかってワザと書いているようなので、真摯な謝罪は必要ないでしょう。

ラクーラバルトはノンコンポゼ(って言うんですね)にしたかったんですけどね。
カタカナと=が同時に書けないもので(笑)
こだわりが薄くて申し訳ないですね。
まあ、こだわりたいなら、小生が無知でもいいですよ。

小生の間違いを指摘したがるのなら、小生の問題提起も理解できるでしょう?
関さんが不必要に現代思想を援用したがることには何も言わないのですね。
イチャモンをつける人間を撃退すれば、関さんの知性が深いと証明できるとでも思っているのですか(笑)
ただ関さんを守りたい、という気持ちなのでしょうが、小生には甘やかしにしか思えません。
だいたい、本人でなく仲間やアニキ(?)が出て来るばかりなのは、ヤクザかと見紛います。

内容なく個人攻撃をするsamariaは放置して、詫びている小生だけを攻撃するその心性は、敵と味方の二分法で行動する右翼とどこが違うのでしょう?

だから、「デモ」を書いたのであって、「集団的自衛権」に触れていない、というのが自己保身だといっているのですよ。
それがジャーナリズムの真似事でなくて何ですか。
サンプリングやパロディの手法でやるなら、政治的な題材は慎むべきだと思います。

もうヒヨリミ悦ちゃんも出て来ないようですし、一人でいろいろな匿名の方を相手するのも疲れました。
そろそろ休みます。ごきげんよう。

samaria さんのコメント...

まちがいどころか正反対のイチャモンで個人攻撃しておいて問題提起(笑)ですか。とことん小市民的凡庸さを発揮されるご所存のようで…
まああなたのような人物という問題は存分に提起されましたね。これも関氏の功績というべきでしょう。善哉善哉。

3番目の匿名 さんのコメント...

>現代思想の乱用はケアの句についての話ではなく

これを読んで、椅子からずり落ちそうになり、大笑いしました。

「だったら、ここに書くな」

田島さん。少しはモノを考えてから、コメントを書き込みましょうよ。


それと、2番目の匿名さんに、いろいろな間違いを指摘してもらっておきながら、「おっ、正解が出ましたね(笑)」。

これは見苦しい。

おまけに
>(まあ、これだけ時間があれば読む暇はあるでしょうが)

現代思想に関する見識において、田島さんと2番目の匿名さん、どちらがホンモノで、どちらがパンパなニセモノかは、ここを見ている者全員が判断できました。

これ以上、コメントの応酬があっても、成果はないように思いました。

2番目の匿名(変な名前で失礼します) さんのコメント...

>おっ、正解が出ましたね(笑)
>ラクーラバルトが「政治の美学化」ではなく、
>「美学の政治化」を批判したというのはその通りです。
>お見事でした。
>ただ、これで不案内って嫌味が過ぎますね(笑)

嫌味のつもりはないです。直す必要があっただけ。
あなたのこの誤認に基づいた意見が、話の発端なので。

でも、まだ間違っているので、もう一度だけ書きます。

ラクー=ラバルトは、ハイデガー=ナチスによる「政治の美学化」を批判したのです。
一方「美学の政治化」は、それに対抗するためのテーゼ。
どちらの用語もベンヤミンの本に出てきます。



>現代思想の乱用はケアの句についての話ではなく、クプラ
>スを含めた関さんの論考全体なのですが、たしかに小生の
>書き方ではイチャモンでしかありませんね(笑)
>でも、匿名さんは小生の意図がわかってワザと書いている
>ようなので、真摯な謝罪は必要ないでしょう。

いえ。「ケア」の話だと思っていました。
最初にあなたが「デリダの弟子は詩と政治についてこう言っている。関は現代思想好きなのにそんなことも知らないのか。ならば政治をネタになどするな」と書いたので。

その後も「集団的自衛権」「ジャーナリズム」などという語彙がつづき、「ケア」という個別的事案が問題にされています。



>だから、「デモ」を書いたのであって、「集団的自衛権」
>に触れていない、というのが自己保身だといっているの
>ですよ。

表現されたことを見て批判するというのがまず鉄則です。
これは、表現されなかった部分に真実がこめられている場合でも、そうなのです。
そうでなければ作品は、作家の主張を確認するだけの作業となり、芸術の自立性(政治と宗教から区別された、特有の秩序領域)を失ってしまうのですから。

芸術の自立性とはカント以降の考え方で、自明なものではありません。
とりわけ昔なら「党と文学」、昨今なら「ポリティカリ・コレクトネス」といった「正しい政治的 or 社会的 or 伝統的メッセージに依存していればば作品も良し」とされる文脈に、つねに晒されています。
芸術の自立性はそうした流れに抗しつつ、しかしみずからの自律性がただの閉鎖性となってしまわぬよう、現実との関わりの中でつねに再定義される必要があるのです。

つまり「読む」とはそういうこと。



>それがジャーナリズムの真似事でなくて何ですか。
>サンプリングやパロディの手法でやるなら、政治的な題
>材は慎むべきだと思います。

「ケア」にはサンプリングもパロディもありません。
ジャーナリズムの真似事も。
この連作は、ごくありきたりな「機会詩」です。

詩のポイエーシスとは、しばしばジャーナル(日の暮らし)を契機とします。
そして俳句は、いまだかろうじて機会詩の発想を保持しているジャンルです。
俳句の「ジャーナル性」は「ジャーナル主義」より古く、かつイズムを回避している点が本領です。


>関さんが不必要に現代思想を援用したがることには何も言
>わないのですね。

>わざわざ現代思想を誤用までして持ち出す

>現代思想に詳しくもない人たちにとっては、思想の学問的
>な正確さなどどうでもいいのでしょうが、それでも関さん
>を英雄扱いすることに躊躇いがないのは不快です。

関の句集をみれば、現代思想など殆ど出てこないことがわかりますよ。
毎週ウラハイで他人の句評をするときも、その句にあわせた読み方をしています。

エッセイに関しては、あなたが「ここが間違い」「不正確だ」と指摘しないと何のことか不明です。

>内容なく個人攻撃をするsamariaは放置して、詫びている
>小生だけを攻撃するその心性は、敵と味方の二分法で行
>動する右翼とどこが違うのでしょう?

わたしはあなたを攻撃していません。
あと詫びてもらってもいません(もちろんそんな必要もないです)。

誰かを論破するとか、擁護するとか、謝罪させるとか、そんなことはどうでもいいのです。

あなたが関を批判するために切り出した思想家の名前、その経歴、そして内容がことごとく不正確&間違いなので、それを指摘しただけ。
また美学のリテラシーについての誤解も指摘した方がいいと思ったので、それも合わせました。

あと、わたしは関悦史を英雄だと思っていません(というか、誰の事も)。
そんな人はたくさんいます。どうぞ不快になどならず、安心して下さい。

2番目の匿名 さんのコメント...

あ、失礼しました。
自立という字が違っています。すべて自律です。

田島洋一 さんのコメント...

あはははは(笑)
田島さんが間違ってて、
誰かさんが正しくてよかったですね(笑)

かくして同盟国の関への攻撃に、
反撃する輩たちは見事に集団的自衛権を行使したのでした。

人の間違いを指摘するのも良いですが、
ご自分たちの行動は全て正しいのですかね。
都合の悪いことは避けてコメントしているように見えますけど。

都合のいいところを切り張りして、
もっともらしいことを言う。
そんな人たちがサンプリング俳句のファンなのは当然でしょうね。

誤認ですか。
あはははは(笑)
だから小生は真摯でない書き方をしたと反省していたでしょう。
まあ、こちらの言うことなど聞く気はないでしょうけどね。

匿名さんなんて相手にしてませんよ。
(一応正解したので労っただけで)
匿名でも内輪の人間であるのはバレバレです。
でも、匿名なんたらと関さんの関係なんて怖くて聞きたくありませんが(笑)

小生はずっと関さんに質問をしていたのですが、
彼は結局なにも答えなかった。
誤認だらけの馬の骨にケチをつけられても、
何ら自分の作品を守れないとはどういうことでしょう?

と言うと、また「負けられない戦い」が始まるんでしょうね。
人が立ち去ろうとしたら、アホみたいに追い討ちをかける精神が素敵です。
そうだ、あなた方がヤクザまがいであることにもコメントしてくださいよ。
こちらは多勢に無勢ですし、そんなに必死にならないでほしいものです。

それにしても、
小生は関さんに質問していたのに、どうして関さん以外の人にこちらの言い分を説明する必要があるのかわかりません(笑)

ああ、関さんもそのファンも気持ち悪いなあ。
(小生も気持ち悪い人でしょうが、あなた方には負けそうです)

杉下右京 さんのコメント...

「ケア」の句は「機会詩」だと言うのは書き手側の主張でしょうが、
俳句は主体の位置を曖昧化する文法を持っているので、
具体的な政治的題材に関しては気を遣うべきだと思うのです。

賛成か反対か曖昧なまま、反対デモを題材にして、
主体が反対の位置にいるというメッセージを送りながら、
同時に主体の曖昧化によって、中立的(もしくはメタ的)な立ち位置を獲得する、
そんなダブルスタンダードを関さんが「利用」している句に思えたのは私も田島と同じです。

「サンプリングとパロディの手法」と言うのはそういうメタ的主体への依存のことでしょうし、
それが「ジャーナリズムの真似事」と感じられる原因になっても不思議ではありません。

そもそも、関さんの俳句は写実性や実感表現から遊離した言語の構築性を重視する西洋的な言語論と親しいものとお見受けします。
現代思想を援用したいのは、その概念的な純粋性に惹かれているからだと想像していますが、
そのような欠損ある西洋主義の外に俳句はあったはずです。

ただ、言語構築的な俳句はいけないということではありません。
問題は、関さんの俳句の言語構築性がサンプリング程度の薄いものだということです。
それがポップさを生む効果となって、人気もあるようですが、やはり薄いということが問題です。
(ただ、薄いか否かはそう感じない人には永遠にわからないことかもしれませんね。
ただ薄いからこそ句が次々に垂れ流されるということはあると思います)
その薄さを現代思想の援用によってごまかしているような印象は私も感じますし、
そう思われないためにもエッセイ等で現代思想を持ち出すのは控えられた方が良いように思います。

書き手側は「こういうつもりだ」と言えば責任は果たせるのかもしれませんが、
メタ的主体を確保している限り、
受け手には「何か言っているふりをして何も言っていない」ようにしか見えません。
それだけに政治的な題材には気を遣うべきだという田島の意見に私は納得しました。
こういうことは大江健三郎などの知識人を考えれば、お気楽な態度に思えますし、やはりいい気持ちはしません。

田島が大きな迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたが、それも田島一人に責任があることとは思えません。
関さんをはじめ皆様がご不快になられたことは、私が代わってお詫びします。

杉下右京 さんのコメント...

ひとつ、よろしいでしょうか。

私の書き込みには返事がいただけないようですねえ。
関さんの代弁者の書き込みを楽しみにしていたのですが……

匿名さんは「芸術の自律性」や、俳句の「ジャーナル性」はジャーナリズムより古いという論理で田島に反論されていますが、
俳句という表現形式をとっていれば、「芸術の自律性」や「ジャーナル性」が確保されるなら、俳句とはずいぶん便利なジャンルなのですねえ。

俳句に西洋由来の「芸術の自律性」があるかも疑問ですし、これは実際に作句している方々でも様々な見解があるのではありませんか?
(俳人は顔見知りが評価することも多く、作者の人物と句が切り離されて読まれていないことも多いですよね。評価の時はそれでよし、批判の時はそれはダメではダブルスタンダードです)
自律性(のアリバイ)を持たせるためには、一句屹立を放棄して連作に向かわないと苦しいことぐらいは、作句している方なら実感していることだと思いますがねえ。
ベンヤミンやカントの名前を出したがる理由もよくわかりません。田島の美学リテラシーを正すと言いながら、ただ御自分が好むイデオロギーを押し付けているだけでしたね。
(ちなみに芸術の自律性を持ち出すなら、作品だけを読め、と迫るのは御門違いではありませんか。自律性を言うなら、その作品から作者にどんなイチャモンがつこうとも、作者には関係ないはずですから、馬鹿の言うことなど無視すればいいのです。匿名さんの態度からは、自律性を盾にして作者への攻撃を禁じたい欲望が透けて見えていることを自覚していただきたいものです)

俳句には古くから「ジャーナル性」があるから、というソモソモ論では関さんの句がジャーナリズムの真似事だという印象を与えることの反論にはなりません。
私は俳句の主体は位置が曖昧であり、安易にメタ的になれることが問題だと思っています。
ジャーナリズムにも同様の問題はありますが、安易なメタ化を避ける意識や工夫があり、それを含めて私たちはジャーナリズムと見なしています。
俳句の「ジャーナル性」の出自は「イズム」より古いという発想は、仮にそれが正しかったとしても、ただの言葉遊びに思えるのですがねえ。
(より古ければ後発の要素を含んでいるということにもなりなせんしね。ユダヤ教がキリスト教の要素をすべて持っているわけでもないでしょう)
関さんの俳句はメタ化を積極的に推進している点で、「ジャーナル性」については知りませんが、政治的な題材には責任の曖昧さにおいて不適切だと思いますよ。