2014-07-13

【週俳6月の俳句を読む】俳句の色彩感 仮屋賢一

【週俳6月の俳句を読む】
俳句の色彩感

仮屋賢一


最近、印象派の展覧会というものが至るところでのべつ開催されているような気がする。フランス印象派という語を聴いた時、誰を連想するだろうか。マネやモネ、ルノワールといった画家、もしかしたら、ドビュッシーやラヴェル、イベールといった作曲家。どの藝術家の作品も、自分自身の好みである。

それらの作品に共通しているのは、独特な色彩感覚。ぼんやりしているようで、鮮やかな彩り。かと思えば、はっきりと色分けされているのに曖昧なままの空気感。このような印象は、絵画だけでなく、音楽にも感じるから不思議である。自分に共感覚があるわけでもなさそうなのだが、非視覚的なものにも色彩を感じるのだから不思議だ。

俳句における色彩感覚ってどうなんだろう。とりあえず、色の名前が現れている俳句を取り上げてみよう。

●『祝日』 陽美保子
みどりの日犬は片脚あげにけり
大安の振替休日金魚玉
母の日の夜の青空仰ぎけり

●『六月ノ雨』 髙坂明良
しらたまを刺せばたちまち手錠かな  
父の日を埋める白魚集まりぬ
ソファーごと沈み宇宙で薔薇が浮き

●『お手本』 原田浩佑
重たさの紫陽花紺を身に受けて

●『六月の日陰』 井上雪子 
届かない深さにこたへ青銀杏
君だけを遺して暮れる枇杷匂ふ

●『夏岬』 梅津志保
青嵐明神の旗起こしけり
紫陽花やのれんを仕舞う定食屋
白玉や口ごもりたる話あり
翡翠の繰り返し打つ水面かな
白球の白さ受け取る夏の空

●『春の山』 西村遼
青年の太唇や春の雨
しろい野風あかい浮き輪は転々と

翡翠色、枇杷茶色なんていう日本語独特の色の名前もノミネートしてみた。こうしてみてみると、日本語の言葉は、色に溢れていることに気づく。
いや、日本人は色に対する感受性が豊かだから、様々な言葉に色が使われ、また、様々な言葉が色の名前となるのかもしれない。

話が逸れた。こうして並べてみて改めて思うのは、俳句の中に色が現れるということは、俳句の色彩感と別物であるということだ。

『祝日』は、等身大の日常を、そこに素直な感情も織り交ぜたような10句。
先に掲げた3句における色は、句の世界の背景となる。色というよりも、色の持つイメージが句をそれとなく支配する。

『六月ノ雨』に関しては、白の現れる2句は、色が前面に出てくるというよりも、「しらたま」「白魚」としてのイメージがまず先にある。
薔薇の句、薔薇の強い色は確かにそこにあるのだが、それも全て句の世界観に取り込まれ、色は単なる一要素と化している。
調性から脱却した音楽の中で鳴り響く和音のように、不思議な世界観の中で、色は無機質に作用し、空間を構成する。古典美・伝統美とは違う美が、そこにある。

『お手本』、ここからは、これから色彩が生まれてきそうな、そんな予感がある。色彩が生まれる、その直前の世界。逆説的な色彩感、とでも言おうか。
掲句もそう。紫陽花と紺という二つの要素によって色も響きあうが、まだモノトーンの世界。その先に、色彩あふれる世界が待っているのかもしれない。

『六月の日陰』の掲句、心の中を目の前の風景に投影したような色彩感覚が、そこにある。
青銀杏の句も枇杷の句も、印象としてはそこには似たような色しかないのだが、モノトーンの世界とはなまた違う。
青銀杏というただそれだけで、そこに光の明暗の対比が存在し、枇杷と夕日の強い色のイメージは、その裏にある闇をも髣髴させる。
心の内を色に託して語る。ロマン主義をも髣髴させるような言い方である。

『夏岬』は色彩が世界に輝きを与えている。
紫陽花の句は水彩画になりそうな定食屋だし、翡翠の句はその一瞬を捉えた写真のような光景の中に、翡翠が美しく映える。
白球の白さは、眩しすぎるほどの綺麗さ。どこか写実的な色彩感がそこにある。

そして、『春の山』。掲句にはないが、最初の句

楼蘭國蜃気楼庁喫煙室

が、どこかぼんやりとした空気感を作り上げているよう。
浮き輪の句は、ストレートなまでに色を詠み込んでおり、夏の句である。
だが、作品全体を支配する空気感に加え、春の気分が抜け切らない位置にこの句が置かれているせいもあるのだろう、「あかい浮き輪」は少しぼやけた感じで、点々とあるような印象。
「しろい野風」の白さが、鮮やかなはずの浮き輪の赤さと妙に融け合う。遠景として見るからこそ美しく見えるこの構図こそ、どこか印象派を髣髴させる部分がある。

花冷えの広場に烏降りたちぬ
胸間を蝙蝠が飛ぶ花が飛ぶ

これらの句にも、同じように、靄がかった色彩感があると感じるのは、自分だけであろうか。

そういえば、フランスで印象派が盛んだった頃、別の地では世紀末ウィーン文化が展開されていた。音楽では後期ロマン派の作曲家が活躍、また、十二音技法による音楽の誕生などといった出来事があり、別の分野ではゼツェッシオン(ウィーン分離派)が結成されたりと、この地でも大きな動きがあった頃であったのである。

同時期に別の地でそれぞれの大きな発展を遂げる藝術。そんな時代に憧憬を抱きつつ、これらの作品群をもう一度眺めてみると、こちらも盛りだくさんで様々な美があることに気づく。なんだ、十分面白いじゃないか。

これらの作品群に見られる十人十色の美を、1900年前後の時代の藝術家たちに見せてみたい。

そう、フランス印象派も、世紀末ウィーンも、そこにはある同じところの藝術に感銘・影響を受けた人々がたくさんいる。
19世紀といえば、幕末から明治維新。鎖国も解かれ、日本が国際社会に現れる、ちょうどその頃である。
1867年、パリ万博において、日本が初めて万国博覧会に参加した。
それを機に、ヨーロッパを中心に興ったのが、ジャポニスム。

彼らの目に、これらの俳句は、これらの日本人の美は、魅力的に映るのだろうか。


第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

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