2014-08-03

【週俳7月の俳句を読む】私はYAKUZA Ⅳ 瀬戸正洋

【週俳7月の俳句を読む】
私はYAKUZA Ⅳ

瀬戸正洋



ドボルザークの「新世界」第二楽章を聴くと、キャンプ場で過ごした頃のことを思い出す。夜は、キャンプファイャー、雨が降ればキャンドルファイヤー。カレーライスと飯盒の飯ばかり食べていると下痢気味となる。キャンプファイヤーの点火には蚊取り線香を使い自然発火を装ったり、針金を木の上に括り付け灯油に浸した布切れに火を付けて「ひとだま」のように空中を走らせたり、一番背の高い六年生を仙人に仕立て、たいまつを持たせ入場させる。いろいろな工夫をして遊んだ。(楽しんでもらった)Tシャツは火の粉でところどころに穴が開く。その穴の開いたTシャツを着ていることも、それなりのステイタスであった。

いつもある木に触れてゐる遠花火  木津みち子

花火を眺める場所が決められている。意志とは関係なく「ある木」に触れているのだ。昨年もそうであったことを思い出す。一昨年も、確かに、その木に触れて花火を眺めていた。不安定なような、確実であるような、あたかも、私たちの暮らしの中の出来事のような。群衆の中で眺める花火と違い、遠くの花火を眺めるということは、思いも寄らないものを感ずることができる。

六十路の子の涎をふきに官邸へ  関悦史

涎というものは意志に関係なく出てしまうものだ。それも、「六十路の子」の。それを拭くために官邸へ行く。「なんとか的なんとか権の容認を**決定」云々。賛成する人がいても、反対する人がいても、それは、それで当然のことだ。国会で充分に議論を尽くし決められたことならば、しかたのないことなのだろう。投票したのは私たちなのだから、責任は私たちにあると思えば諦めも付く。だが、この話は「**決定」なのである。加えて、本当のことを言わなかったり、騙したり、惚けたりする事だけは勘弁してもらいたい。「嘘つきは泥棒のはじまり」という諺は真実なのである。「言葉(こと)の技(わざ)」を侮ってはいけない。私は官邸に入ることの出来るような立派な人間ではないが、私の涎は、いったい誰が拭きに来てくれるのだろうか。

舗道は主権者ひしめき団扇拾ひ得ず  関悦史

舗道はデモ隊と「お上」の人たちとでひしめきあっている。反対する人たちも、「お上」の人たちも、等しく主権者なのである。団扇を「落して」しまったこと、「拾う」ことが出来なかったこと、肉体にとっても精神にとっても、安らぎを得る事の出来る大切なものを日本人は失くしてしまったのだ。

蜜豆に乳首が混じるじつと見る  西原天気 

誰もが変態なのである。これは私の偏見である。変態とは想像力により動き続けていくものなのだ。同じことであっても明日になると、それは変態ではなくなり普通の行為となる。蜜豆に乳首が混じっていると言われると何故か私は頷いてしまう。蜜豆をじっと見ることは、変態などではなく、なんでもない普段の暮らしの中の出来事なのだ。

夏ゆふべドンキホーテで鞭を買ふ  西原天気

ドン・キホーテで鞭を買う。専門店で一流のものを購入するのでなく、そこで買おうとすることは安易でとても軽い。そういう行為には、夏の夕暮が似合うのかも知れない。世の中には、「変態」など考えることも無く「変態」そのものの人と、「変態」だと言っているが、とても「変態」とは思うことのできない人との二通りが存在するが、この作者は「変態」を名乗り、まさしく「変態」である希少価値な人なのだ。そのような人は俳人に多いと囁かれている。何故ならば、「蜜豆に乳首が混じる」ことを発見してしまったのだから。

走れ変態あしたがないと思ふなら  西原天気

何かに凝るということは、確かに明日はなくなってしまう。変態ならばなおさらのことだ。ひたすらに走るしか方法はない。人生も同じことなのだ。老いも若きも、全力で走らなければならない。明日があると思うことは、あきらかに間違いであり、明日の私など誰も知ることができないのだ。

すりガラスから麦秋へ入りたる  鴇田智哉

引き戸には、すりガラスがはめ込まれている。昔の農家の玄関がそうであった。玄関の内は土間であり、テーブルと椅子が置いてある。他には農機具とか自転車なども置かれていた。庭の先には一面の麦畑。麦秋という言葉は麦が実って風に揺れているのを眺めて、はじめて実感の湧く言葉なのだ。訪問した家を出て麦畑に沿った道を歩き帰路に着く。用件が済みほっとした気持ちと、少し、汗ばみ、火照った気持ちの中、麦秋の中へ作者は消えてゆく。

火が草へうつり西日にとけこめり  鴇田智哉

刈り終えた草を炎天の中、そのままにしておけばカラカラに乾燥する。その草に火が移ったのである。それが燃え広がった。燃え広がった火は、あたかも西日に溶け込んでいくように見えた。そう見えたことにより燃え広がってゆくことの恐怖心は失せてしまう。美しさの裏には危険が隠れている。

いづこより豚来て夜釣してをるか  荒川倉庫
この世明るし豚はプールへ投げ出され  

私が一番興味を覚えたのは、一連の作品よりも荒川倉庫という人の意志の強さである。たとえば、私のような意気地のない人間は、同じ季語で十句作ろうとしても、直に、めげてしまい、諦めて他の季語に頼ってしまうのだ。もうひとつの興味は、何故「豚」なのかということだ。作者にとっての創作には『あるもの』が必要なのである。自身の無能さ、あるいは弱さ、汚さなどの負の部分を、『あるもの』に託す。作者にとっての言語表現とは、私から離れて眺めている私自身の『あるもの』に対し生命を吹き込むことなのであろう。

鏡にぶつかる小岱シオンと玉虫と  福田若之
日々を或る小岱シオンの忌と思う    
また別の小岱シオンの別の夏      

無学な私にとって理解するには難しい十句であった。三句抜いてみたが「勘」なのである。考えてみれば、理解できたつもりになっている作品であっても本当は何も解っていないのかも知れない。句作とは「孤独を表現する手段」あるいは「孤独から解放される行為」だと言った人がいた。言葉というのは平面的なものではなく立体的なもので、受け取る人の数だけ内容がある。それは、受け取る人の経験、ただそれだけに因るものなのである。

夏休みの四十日間、四十団体にキャンプ生活を体験してもらう。閉会式が終わるとキャンプ場の入口には、既に、次の子供会の団体が待っている。同じプログラムであっても、私たちの受ける印象は、ひとつとして同じものでは無かった。集団には個性がある。今にして、思えば不思議といえば、不思議な体験であった。私たちは疲れなかった。疲れることよりも楽しかった。翌年からの受け入れは半分の二十団体になり、一泊二日の二日目の夜は完全休養日となった。夏の夜の子供たちのいないキャンプ場は、淋しく、何かもの足りない気がした。そのキャンプ場で過ごした仲間たちのほとんどは、教師や、保母や、福祉関係の施設職員へと就職していった。

縁側に腰を下ろし、庭を眺めている。今年は父の新盆だ。老妻は「新盆までに植木屋を入れたら」と言う。その植木屋は尺八を吹き、その妻君は琴を弾く。彼らを招き、山中での演奏を依頼したこともあった。尺八と琴は山の風にとてもよく似合う。琴は、みんなで担いで登った。父の通夜の時も尺八が流れていた。四十数年前、老妻と私が知り合ったのも、そのキャンプ場であった。ここで、子供たちと過ごした数年に及ぶ夏の四十日間は、確かに私にとってひとつの青春であった。


第376号 2014年7月6日
木津みち子 それから 10句 ≫読む
関悦史 ケア二〇一四年六月三〇日 - 七月一日 12句 ≫読む
第377号 2014年7月13日
西原天気 走れ変態 9句 ≫読む
第378号2014年7月20日
鴇田智哉 火 10句 ≫読む
第379号2014年7月27日
荒川倉庫 豚の夏 10句 ≫読む
福田若之 小岱シオンの限りない増殖 10句 ≫読む






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