2014-08-10

【句集を読む】境界破壊者たち 樋口由紀子句集『容顔』の一句 柳本々々

【句集を読む】
境界破壊者たち
樋口由紀子句集『容顔』の一句

柳本々々



むこうから白線引きがやって来る  樋口由紀子

『句集 容顔』(詩遊社、1999年)の一句です。この樋口さんの句をはじめてみたときに凄く〈不安〉だったんですね。

そういった〈不安〉の所在をめぐっているのもまた川柳が追究しつづけているひとつの役割だとも思っているんですが、この句にはとりあえずふたつの〈境界線〉があるのではないかと思うんです。そしてそのふたつの境界線が〈不安〉とも関係しているのではないかと。

ふたつの〈境界線〉と〈不安〉。

ひとつは、「白線引き」が白線を引くことによって、いま、なにかしらの〈境界〉が自分とは無関係にかたちづくられていることをまのあたりにしている語り手の〈不安〉ではないかと思います。これはみずからの意味生成とは無関係にマテリアルに白線が引かれることによって〈場〉が分割され、それぞれの意味作用をもった〈場〉として境界づけられてしまうことの〈不安〉です。

ふたつめは、語り手が下五で「やって来る」と結語しているように、「むこうから」白線引きがいま語り手の方にむかってやってきていることの〈不安〉です。だから語り手がこれから経験しなければいけないのは、白線引きが〈やってくる前/やってきた後〉の〈時間〉を分かつ〈境界線〉です。つまり、白線のときの自分とは無関係の〈境界線〉とは別に、こんどはみずからが関係することによってしか生じえない〈境界線〉と〈これから〉出会うことになる。

そして実はその瞬間、この句に内在されてあるふたつの境界線上につくられた境界領域に、隠れていたみっつめの〈境界線〉が浮上します。

ふたつの境界線が十字形にクロスし交錯するであろう瞬間を語り手が川柳という言語行為によって構造化してしまった〈境界的〉な〈不安〉。これがおそらくは最後の最大の〈境界線〉です。

つまり、語り手は川柳としていまこの事態を言説化してしまった以上は、もう、あともどりはできません。

これは、川柳の川柳にまつわるすべての川柳詠みにとっての〈境界-不安〉だと思うんですね。詠んだ〈あと〉に、ひとは、詠む〈まえ〉にもどることはできません。「やって来る」のは「白線引き」だけではありません。川柳を詠み、発話し、言説化する〈この・わたし〉もまた「むこうから」やってきては去ってゆく〈境界的〉な存在なのです。

ですからまとめてみると、この句における〈境界-不安〉は、三重の境界線によってなされていると思います。

ひとつめは、マテリアルな白線としての〈場〉をめぐる〈境界-不安〉。ふたつめは、これからみずからが関わることになる時間系列としての〈境界-不安〉。みっつめは、ひとは川柳を詠んだ〈あと〉には詠む〈まえ〉には帰ることはできないということばを使用することの不可逆をめぐる川柳的主体としての〈境界-不安〉です。

わたしはその三次元の境界の立体的なクロスにこの句のボーダーのドラマを感じるのです。

そしてそのようなボーダーの〈主題〉は『容顔』において、〈死〉が潜在的に分割され・胚胎された「棺」という境界領域においても、次のような色彩の入り乱れる境界破砕的境界= border breaking border として展開していくようにも思うのです。す/な/わ/ち/そ/れ/は、

三十六色のクレヨンで描く棺の中  樋口由紀子



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