2014-08-31

「はなのいろ」はうつりにけりな 昔と今の字余り 佐藤栄作

「はなのいろ」はうつりにけりな
昔と今の字余り
 
佐藤栄作


おばさんとおばあさんの話 五七五論序説


花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに  小野小町

これは、「小倉百人一首」の9番目、小野小町の和歌(『古今和歌集』113番)です。この「花の色は」という初句(第1句)は、仮名で書くと6文字です。五七五七七の和歌において、五(5音句)が仮名6文字以上、七(7音句)が仮名8文字以上になっていることを「字余り」と呼びます。

この和歌を、われわれはどう読んでいるのでしょう。ここで「読む」というのは、「解釈する」ではなく、「音にする」という意味です。あなたはどうでしょう。

第3句は「いたづらに」ですから、これと比べてみましょう。5拍はそのまま短歌のリズム単位(数字で表すことにします)になっています。「はなのいろは」は6拍ですから、このまま読めば、下のAになります。五七五七七が六七五七七になってしまいますので、リズムが乱れたという意味の「破調」の歌ということになります。

Aが普通の読み方だと、私は思いますが、それ以外に、どんな読み方があるでしょう。例えば、BやCのように、どこかの2拍を縮めて、5拍の長さの中に6拍を入れようという読みはどうでしょう。あるいは、音楽の三連符のように3拍を2拍の長さにしたり、6拍全体で5拍分にする(少し速度を速める)というのはどうでしょう。いろいろ工夫はできそうですが、「破調」であることには違いないと思います。ただの平穏な五(5音句)ではなくなっています。



ところが、そんなに特別な工夫は必要ないと思われる人もいるようです。というのは、五(5音句)、七(7音句)というのは、休拍と合わせて、実は8拍の枠組みを持っているのであって、こういう字余りは、その枠の中で処理できる(発音できる)というものです。つまり、短歌は、次のようなリズムだというものです(●は休拍)。



つまり、先の小野小町の歌は、次のようになります。


もし、こうだとすると、8拍までの字余りは、リズムを乱していないということになりますが、果たしてそうなのでしょうか。

①五七五七七は、本当に八八八八八なのか。
②字余りは、八までならば許されるのか。

これらは、私にとっては大きな疑問ですが、いかがでしょう。

本年8月2日、小諸での日盛俳句祭のシンポジウムのテーマは「字余り・字足らず」でした。私は、実作者である俳人たちが「字余り・字足らず」をどうとらえているのかに興味があり、参加しました。そこで、いくつかの収穫がありました。

まず、島田牙城氏が、散文に対する語として、日本語では韻文より「律文」がふさわしいと提案されました。なるほどと思いました。私も「律文」を用いることにします。

さて、字余りの核心に関わることですが、やはりパネラーの一人である井上泰至氏は、五七五を八八八ととらえる別宮貞徳氏の『日本語のリズム 四拍子文化論』(1977講談社)を紹介され、その上でご自分の考えを示されました。たとえば、一部を挙げると、



この考え方・とらえ方だと、先の「はなのいろは」は、次のようになりそうです。



また、8月のウラハイに掲げられた照屋眞理子氏の「日本語のリズムと俳句について」にも、やや近い記述(「みず・の・おと」)があります〔注1〕。坂野信彦氏の『七五調の謎をとく 日本語リズム原論』(1996大修館書店)は、現時点での五七五研究の集大成ともいえるものですが、そこにも、同様の把握が示されています。

「一音の助詞のあとには、「を 」とか「が 」のように一音ぶんの空白が生じます。」

現代の五(5音句)、七(7音句)が、4×2あるいは2×4の8音の枠組みを持つということは、いくつもの実験によって、かなり「事実」に近いと認められてきました。しかし、たとえば「花の色」を俳句や短歌に読み込むと、必ず「はなの●いろ●●」と助詞「の」の後に休拍は入ったり、「はなのーいろ●●」と「の」が伸びたりするのでしょうか。皆様、いかがでしょうか。私は、「はなのいろ」と読んでも、「はなの●いろ」と読んでも、どちらでもいいと考えます。ですから、井上氏の「茄子汁」の読みについて、シンポでは質問しました〔注2〕

坂野氏らの考えの基盤には、4×2の構造、さらに2拍が一まとまりとなって基本単位を形成する2×4の構造があります。日本語の2拍が1単位となる性質については、日本語研究でもそれを認め、2拍を「フット」と呼ぶことがあります。2拍1単位は、律文におけるリズムにとどまらず、日本語そのもののリズムなのだという研究が進められています。

そうした韻律についての特性を有する日本語の律文ですから、2拍一まとまりということが一般の発話以上に顕現することは考えられます。しかし、それを認めた上で、私は、「「はなのいろ」は律文においては「はなの●いろ」である」という主張は、どうしても納得できません。私には、「はなの●いろ」は、「はなのいろ」の実現の際のバリエーションの一つとしか思えないのです。

ところで、先の小野小町の「はなのいろは」ですが、小野小町自身はどのように読んでいた(発音していた)のでしょう。ここでは「古代和歌の字余りは休拍を埋めたものではなかったこと」を、日本語研究の成果に基づいてお話ししておきたいと思います。

小町の歌を含む「小倉百人一首」100首の中には、35句の字余り句が存在します。1番の歌から順に挙げてみましょう。(○-○で、○番の歌の第○句を表しています)

5音句 
「とまをあらみ」(1-3)、「たごのうらに」(4-)、「はなのいろは」(9-1)、「こぎいでぬと」(11-3)、「みねにおふる」(16-3)、「なにしおはば」(25-1)、「こころあらば」(26-3)、「こころあてに」(29-1)、「かぜをいたみ」(48-1)、「たきのおとは」(55-1)、「めぐりあひて」(57-1)、「やまおろしよ」(74-3)、「ちぎりおきし」(75-1)、「おきのいしの」(92-3)

7音句
「うちいでてみれば」(4-2)、「はるののにいでて」(15-2)、「あはむとぞおもふ」(20-5)、「ありあけのつきを」(21-4)、「まちいでつるかな」(21-5)、「あらしといふらむ」(22-5)、「あきにはあらねど」(23-5)、「ぬさもとりあへず」(24-2)、「かれぬとおもへば」(28-5)、「ありあけのつきと」(31-2)、「をしくもあるかな」(38-5)、「いろにいでにけり」(40-2)、「ものをこそおもへ」(49-5)、「やどをたちいでて」(70-2)、「たたずもあらなむ」(73-5)、「こぎいでてみれば」(76-2)、「あはむとぞおもふ」(77-5)、「もれいづるつきの」(79-4)、「ものをこぞおもへ」(80-5)、「ものおもふころは」(85-2)、「よをおもふゆゑに」(99-4)

これら35句には共通点があります。それは、句中にア行音(あ、い、う、お)が含まれていることです。「ごぎいでぬと」「うちいでてみれば」「はるののにいでて」「いろにいでにけり」「やどをたちいでて」「こぎいでてみれば」「もれいづるつきの」と、「いづ(出)」が含まれる句が7句もあり、現代では「でる」と変化しましたから、古くから「いで」→「で」というような変化が生じつつあったのではないかと想像できます。「こぎいでぬと」が「こぎぃでぬと」だったなら、ほぼ5音句だといえます。

ところが、「色」が「ろ」になったり、「思ふ」が「もう」になったりはしていません〔注3〕。これらは、ア行音が、前の母音とくっついて1単位となっていたと考えられます。ア行音は、母音の前に子音も何もありません、裸の母音です。ア行以外は、すべて子音+母音になっています。つまり、普通は、子音+母音が1音節(1拍)を成し、それが五七五の1音(1リズム単位)となっているのですが、ア行音が句中に存在すると、子音+母音+母音となって、母音の連続ができます。二重母音のようなものです。これは1音節(一つ続きの音連続)であり、それが1単位と把握されていたと考えられるのです。

こう考えるよりなさそうです。たとえば、何例も「思ふ」が出てきます。しかし、「「思ふ」が句中にあれば、字余りでも許容される」という伝授があったとしても、では、なぜ「思ふ」なのかとさらに考えると、やはり、母音である「お」で始まる語だから、というところに行き着くのです。

このことを発見したのは、かの本居宣長でした。彼は著書『字音仮名用格』(1776年刊行)の中で、字余り句は「必ズ中ニ右ノあいうおノ音ノアル句ニ限レルコト也」と記し、勅撰集では『詞花和歌集』までは、これが守られています。

『千載和歌集』から、ア行音を含まない字余り句が登場し始めるということは、「小倉百人一首」が選ばれた時代には、すでにア行音を含まない字余り句も存在していたのですが、それが選ばれていないということは、ア行音を含むか含まないかに差があったといえます(後述)。

日本語の変化とともに、和歌の読まれ方も変化していったと思われますが、少なくとも『古今和歌集』の時代には、字余り句内の母音連続が1つにくっついて1単位で発音されていたことは間違いないでしょう。先の「花の色は」は、AからCのいずれでもなく、Dだったのです。


もし、当時すでに8拍の枠組みが存在していたとしたなら、xもaでもなく、dだったはずです。


平安の中期くらいまでの和歌には、ア行音を含まない字余りは原則として存在していません。字余り句中のア行音(単独母音)が、前の母音と1単位を成していたということは、古代の字余りは、まさに「字」が余っているのであって、リズムは乱れていなかったということになります。いわゆる中八が数多く存在する現代とまったく様相を異にしています。五七五七七は、確かに五七五七七だったのです。もし、当時から8つの枠が存在していたとするなら、五(5音句)には3音分の休止が、七(7音句)には1音分の休止が、必ず存在し、しかも、決してそれを埋めなかったということになります。

付け加えるなら、藤原定家の時代は、すでに「ア行音を含まない字余り句」が存在しています。そうすると、その時代には、字余りは破調となってしまっていると考えていいと思います(現代に一歩近づいた)。なのに、「小倉百人一首」(万葉歌から定家の時代までの歌を含む)に「ア行音を含む字余り句」しか存在しないのは、伝統の継承、わかりやすくいえば、「昔から使われている字余りなら認められる」という意識があったのだと思います。あるいはア行音を含んでいても少々気になり出した時期かもしれません。それゆえ、「小倉百人一首」の字余り句は古い和歌を含むのに、100首で35句にとどまっているのかも。『万葉集』『古今和歌集』の字余り句率はもっと高いのです。定家の時代に、「花の色は」がどう読まれたかは、そういうことで確定しづらいのです。

小野小町の時代には「花の色は」の句は、「のい」がくっついて1単位でした。これは間違いないと思います。ところが、現在は、「はなの●いろは●」と、「のい」をくっつけるどころか、間に休拍を置いて読む人もいます。1100年の間のどこかで、和歌のリズムにおける「花の色は」のふるまい・扱いが変わってしまったということです。私は、けっして現代の読み方が間違っているとは言いません。伝統的言語文化といいつつ、結局どの時代においても、その時代の読みで読まれるのが常なのですから。

ところで、あなたは「花の色は」の歌をどう読みますか。


〔注1〕照屋氏は、私のいう2拍分を「1拍」とし、「みず」「の」「おと」がそれぞれ「1拍」であるとします。ただし、5音句の末尾には必ず「1拍」の休みが置かれるとするので、「はなのいろは」は、こうはならないと思われます。
〔注2〕「ナス・ビ・ジル ○○・○●・○○・●●」について、「他のパネラーの皆さん、この読みを受け入れられますか」とたずねました。たいへん失礼で、ことば足らずの質問だったと反省しています。受け入れられないとお答えの方はいらっしゃいませんでした。
〔注3〕『万葉集』には、「思ふ」の「お」の部分が書かれていない例がありますが、いずれも「字余り句」です。「お」が前の母音とくっついて発音され、それゆえに「きちんと書かれなかった」と考えられます。

※井上泰至氏の資料を引用させていただいた部分については、本稿の都合で、中七を省略の上、表形式にしました。オリジナルは、表形式ではありません。井上氏の意図を反映したつもりですが、原資料のままの表示ではありませんので、一言、申し上げておきます。

【参考文献(文中で挙げたもの以外)】
桜井茂治1978『日本語の旋律』(双文社)
窪薗晴夫・太田聡1998『音韻構造とアクセント』(研究社)
山口佳紀2008『万葉集字余りの研究』(塙書房)
田中真一2008『リズム・アクセントの「ゆれ」と音韻・形態構造』(くろしお出版)
高山倫明2012『日本語音韻史の研究』(ひつじ書房)



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