2014-09-28

帰ってきた奥村晃作同好会〔前篇〕 太田うさぎ×西原天気

帰ってきた奥村晃作同好会〔前篇〕

太田うさぎ×西原天気


天気●あの、ちょっと聞いてもらえますか。オクムラさんて、阪神タイガースファンなんですよ。おまけに、ふたご座なんですよ。私と共通点、多すぎませんか?……(ふたつだけだけど)

うさぎ● まっ! 出しぬけの小ネタ、来ましたねー。そうなんですか。私みずがめ座なので相性いい部類。りゃ? 天気さんとも? ウレシヒデス…トテモ…。

天気●お気遣い、ありがとうございます。さて、今回は、オクムラさんの第13歌集『青草』を読んでいこうということで、よろしくお願いいたします。

うさぎ●こちらこそ、どうぞお手柔らかに。

天気●前回は『空と自動車』(短歌新聞社・新現代歌人叢書/2005年)という「選集」をいっしょに読んでいったのですが(≫前篇 ≫後篇)、今回は、いわばオリジナル歌集。やはり読んでいくときの感じが違いました。数首がユニットになる「連作」と読んでいいんでしょうか。連作単位のおもしろさです。

俳句にも「連作」はあるのですが、もう少し緩やかやつながりをもってひと塊になっている気がします。『青草』は、連作によって短歌同士のつながり具合は多様なのですが、それにしても俳句とはだいぶ違う。

歌集はあまり読んだことはないのですが、このユニットごとに読んでいく愉しみは句集にはないものと思いました。

うさぎ●2009年、2010年、2011年と大きな章立てがあって、そこにまたそれぞれ26、31、18の連作のタイトルが並んでいます。この目次 を見ているだけでも結構おもしろい。

オクムラさんは以前から連作形式を取っていますね。おっしゃるとおり、ひとつの事象をさまざまな角度から詠むものと、違う題材をひとつのタイトルの下に集約したものとあり、ユニットと呼ぶに相応しいのではないでしょうか。

天気●それでは、最初から見ていきましょう。2009年の作、最初は「究極の知恵」4首です。好きなのは2首目の、

ガラス戸に「手動」と書ける紙を貼るキヨスクの戸を手もて引きたり

1首目はチンパンジーの無為、3首目はマクドナルドハンバーガーの戦略、4首目はトイレの標識、それぞれ「知恵」の問題が扱われていますが、2首目を選んだのは、オクムラさんが登場するからでしょうか。登場しなくてもおもしろい歌はたくさんあるのですが、やはりお姿が見えると、うれしい。

うさぎ●タイトルがふるってますよね、「究極の知恵」。具体的にはマクドナルドの席の配置のことを指しているけれど、同じタイトルで括ることによってほかの3首についてもテーマは知恵なんだな、と読者は思うわけです。タイトル恐るべし。

この歌も、「それ知恵なんかい!」といきなり突っ込みたくなります。自動ドアは知恵というか引戸の進化形。この頃ではたいがい自動ドアだから、ぬぼーと立っていてしばらくして「あ、手動」と気づく、という、やや間の抜けたシチュエーションは誰しも経験あるでしょう。まあ、でもたいがいはそんなことを歌や句にしようと思わない。俳句はとくにこの種の素材を扱うには短すぎるようです。

天気●手動と書いた紙→「手もて引きたり」と過程・事の流れを、俳句で描くのはたしかに難しいですね。

うさぎ●「手動」というキオスクの貼紙も泣けますが、アナログな配慮に素直に応じて手で引く。その臨機応変も知恵なんですねえ、なるほど。チンパンジーのことを詠ったすぐ後にこれが置かれているのも「ぷぷぷ…」感があります。あ、いきなり語り過ぎでした。

天気●お気に入りをぜんぶ挙げていたら終わりそうにないので、すこし厳選で行きますね。このさきこってり語り合いたい箇所も出てくるはずですから。

うさぎ●ですね、語りたい歌ありますよう!

天気●まずは、

軽いカバン買いに来たけど男性用軽いカバンがデパートにない

「軽いカバン」3首の最初です。オクムラさんはカバンにこだわりますね。前回も、《われに不要の仕切りと袋あまた付くこの重いカバン買ってしまった》を取り上げました。重いカバンがお嫌いなんですね。でも、

ズッシリと重いカバンを肩に掛け腰に廻して手ぶらで歩く

いろんなものを軽いカバンに詰め込んで歩くスタイルです。

うさぎ●このスタイルも知恵と言えば知恵。片側の腰の重さに対して空いた両手が奇妙に軽いのですね。実際作り方としても畳みかけるように描写して最後の「手ぶらで歩く」。どこか足元をすくわれたような、それこそ手で空を切ってしまうようで、文体と内容が上手い一致を見せています。

それにしてもあまり重いものを持ち歩くのは腰に負担がかかるのでお気を付けいただきたいなあ。ウワサではかなり体を鍛えていらっしゃるようだけれど、そのためか?

天気●ツイッター情報では、筋トレや130球の投げ込みもされるみたいですね。

うさぎ●泳ぎも。

天気●鉄人です(笑。

次は「止まる理由」から。止まる、というのは踏切の話。

踏切の棒がいきなり跳ね上がり事故る場合もあり得るわけで

「止まる理由」の5首はどれも捨てがたいのですが、この4首目。「事故る」とクダケた言い方を挟み込んで、「あり得るわけで」と話し言葉で終わる。最後の「で」がコク深い。

うさぎ●私も頂いてます。「で」が余韻を醸し出してますね~。

天気●「亡母追悼」は御母堂逝去(2009年2月28日朝)に際しての8首。前回の記事で取り上げた《「父(とう)さんはディズニーランドも見たいって」声を低めて母の呟く》のあのお母さまです。

砂払温泉(すなはらいおんせん)、料理屋に娘(むすめ)にて器量よし頭脳よしわれを曲げぬ人

ほかの歌も、とてもていねいな伝え方になっています。追悼が礼賛になっているところが、すごくいい。

うさぎ●九十七歳というご長寿ですが、遺される者に年齢は関係ありません。お涙頂戴ではなく淡々とした叙述はオクムラさんらしいけれど、天気さんの挙げられた歌、「われを曲げぬ人」にはいろいろな思いが込められていそうですね。

第三歌集『鴇色の足』に《だれが見ても白い茶碗を黒と言ひ言ひ張る母の老いて変らず》があり、今からちょうど30年前の作品なんですね。今たまたま見つけたのですけれど、このような歌を知って読み直すとまた深みが加わるように感じます。

天気●「亀泳ぎ」5首は、オクムラさんのなじみの「しくみ」の話です。

〈亀泳ぎ〉われは出来ない亀のごと水に浮かないわれの体は

こっちが思っても見ないタイミングで自分に引き寄せるのも特徴のひとつでしょうか。亀の水棲にまつわる「しくみ」の話が進んでいるのに、誰も「ところでオクムラさんは亀みたいに泳げます?」とは聞きませんよ(笑。

うさぎ●5首連作の4首目。 対象を見ていた目が突然自分に向けられる。そしてまた最後に亀に戻る。その意識の寄り道が面白いですね。

天気●それと、「われは出来ない」というところが妙に本気で悔しそうで、すごく可笑しいんです。

うさぎ●本当に。亀と競わないって、ふつう。亀より人間の方が上等だという暗黙の大前提をくつがえしちゃう。甲羅凄い!とか。オクムラ目線は万物平等。確かに、亀の泳ぎ方は愛くるしくて、あんな風に泳げたら楽しいだろうな。うーん、やっぱり甲羅がないニンゲンがあの泳ぎしても醜いだけか。

天気●でもね、うさぎさんからお借りしている『多く連作の歌』(2008年)には、《七十を越えたるわれは亀のごと体を潮に浮かせて泳ぐ》とあるんです。この歌は実際に亀を見ていないので、亀のように泳げるとお思いになったのでしょう。でも数年経って、亀を見てみると、あんなには浮かないな、と。

「真白雪富士」4首からは、

富士山に登る機会はありしかど登らず老いて今は登れず

うさぎ●これもそうですね。4首のうちほかの3首は富士山の描写であり賛辞でありして、この1首だけが自分の感慨。天気さんの指摘がなければ気づきませんでした。

天気●「青草」6首からは、

青草は生きているのに掌(て)に圧せば冷たしわれは腕立て伏せす

この2つを見ると、自分は、オクムラさん登場に弱いのかな、と。全体に自分(オクムラさん自身)が登場する歌はそれほど多くない。だからこそ、登場してもらえると、「あっ、オクムラさん!」とこちらの気持ちが上がるのかもしれません。

ま、それはそれとしても、青草の冷たさを腕立て伏せする自分の掌が受け止める。これは美しくさわやかな瞬間です。

うさぎ●私も好きです。人間と植物を「生きている」という括りで平面に並べてしまう発想は過激なまでにリベラルじゃないですか?その平面上で見たときに、〔生きている=あたたかい〕が自分の単なる思い込みであることに気がついたのかしら。ここから「われは腕立て伏せす」への転換がまたいい。この青草の冷たさって、ヘレンケラーが「水」という言葉に出会ったときに手に受けた水の清冽さにも通じるような気がします。

天気●これもいいんですよね。

単に「つ」と駅標にあり「津」ともあり三重県津市に列車は着きぬ


「つ」という一音の地名を、しつこく感動し、しつこく愛する感じ。「つ」ほど素晴らしい地名はないという気になってきます。

うさぎ●最後の「着きぬ」の「つ」が遊び心ですね。

天気●なるほど。

うさぎ●さてさて、これは驚いていいと思うのですが、10ページにわたってマイケル・ジャクソン連作が続きます。「マイケル・ジャクソンに捧ぐ」9首、「マイケル・ジャクソンを悼む」が13首と全部で22首です。マイケルの何がそこまでオクムラさんを駆り立てたのでしょう?

マイケルに元気をもらい極限の踊りに歌にしびれるわれも


天気●「極限の踊り」。たしかにそうかも。マイケル・ジャクソンが亡くなったのは2009年6月25日。その年の秋には映画『THIS IS IT』が日本でも公開されました

マイケルの最高の芸詰め込める「THIS IS IT(ジスイスイット)」贈りて逝きぬ

オクムラさんも観たんですね。

うさぎ●話題になったので私も観に行きました。私もこのところ音楽を聴くことに再び興味が湧いているのでこの「しびれ」には共感します。いくつになっても好きな音楽にはしびれるし、気分が上がります。

歌いつつ踊る踊りがそれはもう限界超えたマイケル踊り

とは言え、「マイケル踊り」って(笑)。こう詠まれるとダンスチューンというより、踊り念仏の一遍上人的なものを想像してしまうのですが。オクムラさんは他の歌でもマイケル・ジャクソンの極限の踊りと必死な生き方に讃えています。〝極限〟はオクムラ短歌のキータームかも?

虐げの屈辱の忍の血の裔のマイケル・ジャクソン戦い抜きき

天気●私の場合、生前のマイケル・ジャクソンを熱心に聴いていたわけではないけれど、死をきかっけに映画を見たり、ラジオから流れる曲を聴いたりでしたね。マイケル・ジャクソンよりもむしろいジャクソン5のほうに関心がありました。デビュー曲の「I Want You Back」(1969年)やバラードの「La La Means I Love You」。

うさぎ●私はジャクソン5やジャクソンズについては「ABC」などは聞いたことがあるかもしれない程度の認識で、1983年の「スリラー」あたりからのマイケルを同時代で知っているクチです。容貌の変化と奇行が報じられて晩年はモンスター的な扱いも受けましたが、オクムラさんはそうした風評には耳を貸さない。この歌の前半は彼が黒人だったことを言っているのでしょうね。立派な追悼の歌です。

天気●それとコレ。

八〇〇曲聴いてクインシー・ジョーンズは二曲に絞りプロデュースした

名プロデューサーも歌にしてあって、子供の頃からの洋楽ファンとしては、ほんと、うれしい。

うさぎ●ふふ。次はオクムラさん自家薬籠中と言ってさしつかえないでしょうか。「気にしていなかったけれどよく考えるとコワイ」の歌です。

五〇〇人乗せて荷も載せ水平に空行く機器の窓際に坐す

天気●「成田発。ウィーンへ。直行便では12時間」の前書があります。

うさぎ●水平に飛ぶ飛行機の不思議だけでもオクムラ性に富む内容ですが、ミソは「窓際に坐す」です。ジェット機がとても危うい乗り物に思えてきます。この考えが頭をよぎったときオクムラさんは緊張したかしらん?

天気●このあとヨーロッパ紀行の歌が続きます。

ドルは駄目、嫌われてるとガイド言うEUのチェコ、円は使えて

「円は使えて」の「ちなみに」的付け足しが、とてもいいです。

うさぎ●歴史ある国々の街歩きを楽しみつつも、ウィーンではブリューゲルの絵の前で斎藤茂吉に思いを馳せたりして、やっぱり24時間短歌人なのかな。

後篇に続く)



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