2014-11-16

【八田木枯の一句】枯野ゆくめくらとなりし魚を提げ 角谷昌子

【八田木枯の一句】
枯野ゆくめくらとなりし魚を提げ

角谷昌子


第三句集『あらくれし日月の鈔』(1995年)より。

枯野ゆくめくらとなりし魚を提げ  八田木枯

生気旺盛だった緑の野は、秋になると花野となり、しだいに草紅葉に色どられ、やがて「枯野」となる。山から吹き下ろす風は刃の鋭さを持ち、草々はすっかり色が褪せて、動物の気配もあまり感じられない。万物衰退の象を顕わにした「枯野」を一人行く人物の蕭条とした影。魚の鰓に通した藁を手にして、ぶらりと提げているが、魚はまだ息があるようで、ひくひくとうごめいている。この魚は暗い水底からいきなり引き上げられたゆえに、日の光に眩んで視覚を失ってしまったのか。死魚にもなれず、運命を「枯野ゆく」人物に委ねている。

この「枯野ゆく」人物も、魚と同様に目が不自由な気がしてならない。不確かな一歩を踏み出しては、よろめきながら、なかなか前に進まない。ここで思い浮かべるのは、俊徳丸伝説に基づいた謡曲「弱法師」の主人公のことだ。讒言によって家を追われた俊徳丸が哀しみのあまり失明し、乞食坊主にまで身をやつしてしまう悲劇である。この演目は世阿弥の長男である元雅の作と伝えられている。大変優秀な息子は、世阿弥から将来を期待されていたが、伊勢で客死し、観世座は事実上、ここで絶えてしまった。のちに世阿弥も足利義教(よしのり)の不興を買って71歳という高齢でありながら、佐渡に流された。その後、許されて都に戻れたかどうかは定かでなく、没年も不明だ。不幸な晩年と言うしかない。元雅の作った「弱法師」の悲劇が自分たちの行く末を暗示していたとしたら、偶然とはいえ、演目の呪力が哀しい運命に世阿弥や自分たちを押しやったようにさえ思える。

掲句の「枯野」の人物が提げている、目の見えぬ魚こそ、己の将来を予見する暗闇に閉ざされた世界の象徴そのものだったとは言えまいか。木枯の心象世界に世阿弥の境涯や「弱法師」の演目が、もしかしたら投影されていたかもしれない。

世阿弥は、能の演技が観客に与える感動の源を「花」と喩えた。その「秘すれば花」の精神を木枯は俳句の奥義と考え、謎の多い作品を遺した。また世阿弥は変幻自在に他者の長所を取り入れて己の芸風を発展させ、幽玄能にまで芸術性を高めた。木枯も同様に「ホトトギス」「天狼」を経て、独自の文体と句境を手に入れ、言語芸術の華としての句風を追求した。

木枯の句に〈世阿弥忌の夕日ばらばら薄化粧〉がある。世阿弥の目指した幽玄美とは、老成した自在さというより、少年の可憐さや貴族女性の典雅な美しさが範例となった。この句の「薄化粧」にはこのような少年や女性が思い浮かぶ。木枯には〈まつしぐら少年虹と心中せり〉〈少年やつぎめばかりの春景色〉〈少年いまも走り薄に追ひつけず〉などの句がある。これら少年の句や〈彼岸くる西の空より衣摺れして〉〈抱きあひしとき首すぢに草の花〉〈青墨にゆがみて恋も終りたる〉など艶ある句、〈面かむり花の晩景かと思ふ〉〈紅葉狩しばし鏡は空を飛ぶ〉など不可思議な作もある。これらの句は、世阿弥の能楽からのイメージを発展させた作品のようにも思える。

このように『あらくれし日月の鈔』には、前回述べた近松の「虚実皮膜」の影響のほか、世阿弥にも負うところが著しい。ほかの大きな特色として谷崎潤一郎の影響があるが、そのことについては、次の句集『天袋』で述べたいと思う。


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