2015-01-18

【2014角川俳句賞 落選展を読む】 4.ゆるがされない勁さ 依光陽子

【2014角川俳句賞 落選展を読む】
4.ゆるがされない勁さ

依光陽子


≫ 2014落選展



何気なくつけたテレビでセコイアの森が映っていた。

最も高いもので115m、30階建のビルと同じ高さ、自由の女神を上回る高さだという。

当然、根から水を吸い上げられないものもあって、それらは天辺近くの葉が霧から水分を吸収するのだとか。自然発生的な山火事も森の再生に不可欠なものだと知って驚いた。

セコイアを漢字で書くと「世界爺」。カッコイイ。

さて今回も50句の森へ入っていく。高木も灌木もある。しかと根を張った木も幼木もある。似たような木は通り過ぎるが、気になった木には立ち止まり、叩いたり、観察したり、仰いだり、振り返って見たりしながら歩く。重力に逆らう力で天に向かって伸びている様を見るのは気持ちがいい。

俳句は一本の木だ。成長するか、倒れるか。風雪をものともせず枝葉を綺羅と輝かすか、あっさり朽ち果てるか。すべてその木次第。作者次第。


18. 積木の家(滝川直広)

一句目にどの句を置くかはどの作者も悩むところであろう。

花馬酔木ほそき煙となる手紙   滝川直広

この句が置かれたことで残り49句へ向く選者の背筋は伸びたと思う。
平たい紙に書かれた文字がほそく幽けく立ち上る煙の中に消える。紙を捩って火をつけたのか。開いたまま紙の角に炎を近づけたのか。言葉は「ほそき煙」となって消えてゆく。赤い炎から薄紫色の煙へ。花馬酔木の垂れた形状と淡い紅紫色もさりげなく響き合い、両者がほど近い場所にあることもわかる。

虫の音の間虫の音の埋めにけり
積木の家月の畳にのこりをり
煙茸ふみたき子らに数足らず

形を積み上げること。空間。崩すこと。「積木」の概念がさりげなくいろいろな句の中に潜んでいる。
一句目は虫の音の間を埋める虫の音。音をモノのように捉えた。音が止めばまた空間が出来、そこにまた音が入る。面白い。
二句目は月の畳の上に残された「積木の家」。家の中の家だ。一つ一つのピースを縦に横に組み合わせて立ち上げた、触れれば簡単に崩れてしまう家。その隙間に月の光が入り込む。
三句目。煙茸を一つ一人づつ踏んでゆく子ども。その都度、パフッと煙のような胞子が立ち上る。だが残りの子どもが踏むはずの煙茸は、ない。 

初雪や目を立てなほすをろし金
樹皮残る桜の撞木山眠る
初暦病臥の人の目の高さ

一句目「をろし金」は目の立て直しをし、揃って立ち上がっている。大切に使い継いでいる道具と、技を継ぐ職人の存在。おろし金の光と初雪の光。
二句目、一歩踏み込んでモノを見ることで、撞木を桜の木と見極めた。このことで句に艶が出て読む者を惹きつける。「山眠る」の季感もいい。
三句目、病臥の人の目の高さに据えられた初暦に、その人をさりげなく気遣う心が伝わってくる。

全体的に安定感があり、予選通過も納得。<流木に値のついてゐる初天神><一辺はテレビに空けてある炬燵>など諧謔味のある句や<瞑想の耳滝音を寄せつけず>など手堅い句も。なお、ルビを振るのであればルビのかな遣いも本篇と統一すべき。「紅さうび」「やにの歯」「失業者」などの句は後味がかなりよろしくなかった。最後の句<冬深し灯明皿の縁の煤>は平凡。着地も出だしと同じくらい重要だ。「ああ、この作品はよかったな」と思わせる読み応えのある句で締めたい。
しかしかなり賞に近いところに来ていると思う。今後に期待大の作者だと思う。


19. 仮面(中村清潔)

独自の世界を獲得しつつある。そんな印象をまず抱いた。

食虫植物睡りゐる淑気かな 中村清潔
ホルマリン漬のいろいろ涅槃雪
鵺の眼のなかにあるべし青山河

具象と抽象のエッセンスを摺合せて、どこか別の時空の、別の場所にリアルを探ること。そんな挑戦が見えた。
一句目。淑気とは異質な食虫植物を取り合わせた二物衝撃。植物が虫を食う、という意味からくる不気味さは食虫植物の外見からは感じ取れない。食虫植物の多くは美しい。美しい睡りだ。それを取り巻く空気は淑気と呼ぶに相応しい。
二句目。ホルマリン漬にされたモノを想像するとかなりグロテスクだ。だが死を経たモノの静謐さは涅槃雪の幽けさと相通じる。
三句目。鵺をどう受け取るか。単純にトラツグミと受け取るか。トラツグミの眼の中の青山河が美しい。猿の頭、狸の胴、虎の手足を持った怪物と受け取るか。そこにはさらに深みを増した「青」がある。

蚊喰鳥ひるまの月をほめながら
鬼門ありあらゆる桃に指の痕
祝婚の食べあましたる牡鹿かな

これらの句に私は強く惹かれた。だが短い言葉で鑑賞できない。多くの言葉を用いなければならないと思うので、句を挙げるにとどめる。

普通の句もあるのだ。<みづうみの秋は波打際で待て><窓といふ窓の氷柱を折る音か><冬銀河明日は長距離選手かな><日当たれば日当たるほどに恵方道>。平均点以上でも以下でもない。

タイトルの「仮面」は<仮面舞踏会(マスカレード)ひとり裸を赦されて>から採られているのだが、この句はさほど印象に残らなかった。とはいえ、この50句にふさわしい題をつけるのはなかなか難しそうだ。
作者はどういう人なのだろう。プロフィールには生誕地と、無所属であることしか載せていない。私は今、無性にその仮面の奥にある作者の顔を覗いてみたい衝動に駆られている。


20. オムレツ(中塚健太)

まず、常識の範囲で留まっている句が多く目についた。
例えば、<オムレツの黄色やさしく春来る>の「オムレツ」「黄色」「春」。<お雛さま永久はさびしと微笑みぬ>の「お雛様」「永久」「さびし」「微笑み」。<シャボン玉割れて弾ける子らの声>の「シャボン玉」「割れて弾ける」「子らの声」。
やさしい人なのだと思う。人柄のやさしさは50句から伝わってくるが、俳句としては予定調和でしかない。

中で以下の句には立ち止まった。

鳥帰る書き込みのなきカレンダー   中塚健太
ほつほつと路面に消ゆる春の雪
風船や世界のどこか崩れゐる
独り身の夜は魚となるプールかな

一句目。鳥が帰る瞬間を目の当たりにしたことがあり、今でも鮮明に残っている。それはあまりに一瞬で、鳥たちの間で計画されていたであろうその日は、人の予定表には書き込むことが不可能だ。「書き込みのなき」から鳥と人の生きる世界の越えられない隔たりを感じる。
二句目。この雪は大きな牡丹雪だろう。「ほつほつと」の擬音が雪片の大きさを表している。春の雪は路面に丸い跡を残して消える。落ちては消える。
三句目。平和の象徴でもある風船が上ってゆく空は地球のあらゆるところに繋がっている。この瞬間も崩壊に向っている場所がある不条理。
四句目。仕事帰りにプールで泳いでいるのだろうか。様々な社会のしがらみから解放されてのびのびと手足を伸ばし魚になれる時間。「独り身」であることの自由と孤独に現代性を見る。「プールかな」の収め方も、水面に映る照明が見えていいと思う。

これらの句には作家性の萌芽が見える。予定調和を改善し、掲句のような句をもっと入れることで見違えるような50句になるだろう。


21. ゐません(ハードエッジ)

昨年の落選展で注目した作者である。軽みがありながら目が効いていて、見るべきところのある作品群だった。
さて今年はどうか。
印をつけた句は割と多い。好きな句から。

ハンカチはチェックが好きで色々と ハードエッジ
楽しくてたまらんといふ子規の忌ぞ
池に雨松の手入も済みたるよ

一句目。今、私自身が播州織のチェックのハンカチにハマっているので、いきなり言い当てられた気分で読んだ。「色々と」の句絶がハンカチの軽さをうまく引き出している。
二句目。「楽しくてたまらん」、この言葉以上に子規その人の人柄を表すに適した言葉はないと思う。
三句目。見たままの景をそのまま句にしたことで、池に落ちた松葉や、手入れ後のすっきりとした松の枝ぶり、全体を濡らして池に落ちる雨粒が見える。全体の調和がいい。末尾の「よ」で常套を少しずらすことにも成功している。

つぶらなるものを連ねて蝌蚪の紐

蛙の卵が目玉のように見える様を、瞳に置き換え、さらに「つぶらなるもの」と言い換えた。機転が利いている。

朝顔の売れ残りたる日差かな><子を連れて涼みがてらに町の寺><仏壇に花新しき帰省かな><虫籠の虫を放てばぴよんぴよんと>なども安心して読める句群で悪くない。幽かな既視感は残るのだが。

一方、書き急いだ句も目につく。
茶摘女に摘まれて痛き茶の木なり><雪折れのところに雪のなかりけり><とある日の神と佛と仔猫かな><北窓を塞げば寒くなりにけり><ゐませんと毛布の中が応へけり>など。
「ゐません」の句はじわじわとくる面白さはある。この路線で書いて行くのだというポリシーを感じないわけでもない。

「瞬時にして反射的に、有季十七音という言葉の塊りとして一時に出てくるような体質」は爽波の「俳句スポーツ説」的だが、爽波のいう「写生の修業、芸としての修業」とはまた違った形での量産で、遊びの部分が色濃い。それも個性だろうが今回の50句は全体的に何か物足りなかった。せっかくの瞬発力が勿体ない。私はこの作者の、あえてこだわり抜いた一句も見たいと思った。


22. 弔ひ(三島ちとせ)

どこかで見かけた名前と思ったら、石田波郷賞の落選展にも作品を出しているパワフルな若手である。

さて、タイトルが重いのでぐっと息をのんだのだが、ほとんど深刻な句はない。ドラマ性を求めながら読むと(求める必要はないが)肩透かしを食らう。逆にルイス・ブニュエルの「自由の幻想」的なシュールさが展開されるのかと期待したりもしたのだが、そうでもない。
率直な感想としては、題詠句の寄せ集め、という印象。とにかくガンガン句を作り、その中でカラーの近いものを編集した感がある。

鰤起し駐在さんと居る園児><夏来る床へ現像液ぽとり><恋文を出す一呼吸日傘差す><鶏頭花海岸線に船の墓>、他にも面白いシーンを描いている句が見えるのだが、事柄に比重がかかりすぎて季題が置いてきぼりだ。「鶏頭花」の句などは、季題次第ではかなり印象深い句になる景である。取り合わせを成功させることは、季題そのものを詠むことよりも難しい。オーソドックスだが、山本健吉『基本季語500選』などから季題へ深くアプローチすることで、季題斡旋力が変わってくると思う。

蝶が吸ふ蜜を密かに摘んでゐる   三島ちとせ
 
「蜜」と「密」が「を」を挟んで上下(隣)にあるところに加え、全ての漢字の醸し出す雰囲気がエロティックだ。「密かに」なので鳥ではなく人だろう。蝶が吸う蜜と知りながら、それを摘んでしまう行為の危うさに、こころの闇の部分が引き寄せられた。心象風景とも受け取れる。

陽炎や家畜オスより入れ替へる
殺処分終へて一服花の冷

これらの句には強さがある。
一句目。放牧牛の入れ替えだろうか。読み手に提示されているのはオスから入れ替えるという事実だけだ。それは陽炎のゆらぎの中で行われた。そして「オスより」が精子のゆらぎの如く必要不可欠な言葉として一句の中にあることを確認する。
二句目。家畜を殺処分するという決断までの葛藤。それを終えた空しさと安堵感。それもまた花の日の一つの出来事だ。「一服」に込められた想い。鋭いところを抉っていると思う。一方で読後感というものも大切にしたいと言い添えておこう。

骨盤の高さに躑躅咲いてゐる

人の骨盤でなくてもいいわけで、犬でも牛でも熊でもいい。人だったらオオムラサキ、熊だったら山躑躅と、躑躅の高さや種類がさまざまに見えてきて楽しい。解剖図的に骨盤を考えたとき、躑躅のウエット感が案外伝わってくるのも不思議。「骨盤」と「躑躅」の奇想天外な取り合わせが共存していて面白い。

海底の呼吸炭酸水のやう
故郷は集合団地秋の雨
紅葉かつ散るthank you for listening.

これらは等身大の句だろう。
一句目の素直さも、二句目の季題の効果もいい。
三句目は流しっぱなしのラジオからDJの最後のフレーズが聴こえた。その音声と「紅葉かつ散る」風景のコンビネーションのよろしさ。

可能性は感じる。今後の伸びしろに期待したい。


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