2015-01-11

【鴇田智哉をよむ5】記号、そのなごりの糸を 小津夜景

【鴇田智哉をよむ5】
記号、そのなごりの糸を

小津夜景


紀貫之の話を枕に。

貫之といえば仮名文化を立ち上げるとともに、時代を越えたその代表作まで自分で創発してしまった才人。加えてエクリチュールの内側にパロールの亡霊を招き入れたとしか言いようのない、たいへん魅力的な字を書く男です。さらには彼個人の世界観測を〈水と鏡像〉という設定の中で示そうとした不思議な作家でもありました。

貫之の〈水と鏡像〉観とは一体どういったものか。それを端的に説明するため、塚本邦雄による貫之評と、高山れおなによる神田龍身の著作紹介を以下に引きます。
さくらばな散りぬる空のなごりには
水無き空に波ぞたちける    

貫之が空中に視るのは単に「あった花」ではなく「喪われた花」の創る「天の漣」である。「なごり」とは「名残」であるより前に「余波」と書かれる水の相(すがた)であるが、この歌ではさらに変貌して風の余波である。こころの底には咲き匂う桜、霞一重をおいて散り紛う花びら、そして意識の表面にはちりぢりにきらめく青海波、その心の中の景色を現実の晩春の眺めは、作者の眼という鏡で隔てられかつ照らし合される。(塚本邦雄『王朝百首』、原文は正字正仮名)

神田は、表記の問題に入る前に『土佐日記』の主題を分析しており、それが「言語の喩」としての水面(=海)の上で繰り広げられる、死と喪失のドラマであることをあきらかにしている。貫之に水に映った鏡像を詠んだ歌が多いことは大岡信の先掲書がつとに指摘するところだが、土佐から京までの船旅の記録という体裁をとる『土佐日記』も例外ではない。その上で、水面を「言語の喩」であるとする神田の着眼は、『土佐日記』というテキストの現在的な意義をにわかに浮き彫りにする。

〈さてこう見てくると、『土佐日記』が、舞台を海というガランとした空間にとったことの意味があらためて了解されてくる。波の花が咲き、波の雪が降り、また鏡のごとき海面に宇宙が映じていようとも、その海面の裏には何もなく、すべては薄い面上での記号の戯れにすぎなかった。そして喪失感の根底にあるものも同じく「死」「不在」であり、だからこそこの何もない世界から亡児追懐なり惟喬哀傷なりの多彩なイリュージョンが出現し得たのである。〉

この神田の見通しは、旅の一行が京都の旧宅に帰り着き、荒涼とした屋敷の中で、〈池めいて窪まり、水つけるところ〉に対面するラストシーンで証明される。〈自在にして放漫な想像力を喚起せしめた海の旅が終り〉を告げ、〈涸れかかった水溜りは、言葉の死、記号の死、そして想像力の死を意味〉しつつそこに現前するのだ。

このような主題を持つ『土佐日記』における仮名表記を神田は、〈パロールがパロールとしてあるのではなく、それはエクリチュールの世界にどっぷり身を浸すものが渇望したパロールの世界〉であり、〈死へと退行していく心性がかろうじてつかんだ事後的始原〉であるとする。(高山れおな「紀貫之とおまけの古池 神田龍身『紀貫之』を読む、追記あり」http://haiku-space-ani.blogspot.fr/2009/03/blog-post_08.html

貫之にとって水面とは言語の喩であり、彼がそこに投影してみせたのは〈自分語り=想像界〉に先立つ〈言葉、記号、想像力=象徴界〉そのものでした。しかも彼は〈言葉、記号、想像力〉といったものが「意識の表面にきらめく青海波」にすぎず、その「海面の裏には何もなく、すべては薄い面上での記号の戯れにすぎない」という認識を有してもいた。したがって、なごりが「名残」であるより前に「余波」と書かれる水の相であることもまた、当然彼の中では単なる表記の問題ではなく、もう一段深い文脈において把握されていたと思われます(なにしろ彼は「影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき」という、完璧な鏡像装置によって〈近代的自己〉を引き出し得たかにも見える、当時にあって全く澄明な幻想を詠んだ変人です)。

  7は今ひらくか波の糸つらなる   鴇田智哉

7がひらくと、どうなるか。

まず )となる。次に ∫ となる。それから 〜 となり、たちまち波の糸と見分けがつかなくなるでしょう。

つまり「記号」が「余波」を経て「水面」に消える 。と同時に「事後的始原」ないし「こゑ(パロール)の亡霊」として甦る。

そういうことです。

鴇田智哉の糸が何を示すのかについては、これまでも繰り返して来た話題ゆえ触れません。今はただ作者の直観を捉えてやまない「線の運動とそのなごり」の相関が、イメージの媒介装置たる水面、即ちディアファネースによって通常どおり再現されていることのみを再確認したいと思います。

青木ともじによる『凧と円柱』出版記念レポートによると、鴇田自身はこの句に関して「この句で、僕もとうとうここまで来たか、と思いましたね(笑) 独りよがりかもしれないけど、次に続きます、というかんじ。具体物だけではなくて、眠いなあ、などという気持ちもまた写生できるのではないかと。雰囲気を写す写生、でしょうか」といった感慨を語ったとのこと。しかし「とうとうここまで」とは「どこ」のことなのでしょうか? 雰囲気を写す写生? 

確かにこの句は斬新な味をもっています。とはいえその味は7とそのなごりの糸、すなわち記号と自然という非連続の領域をそれこそ「ぼやん」と結びつけた作家の技量に因っており、鴇田はこの手の「気持ち、雰囲気を写す写生」を以前から書き得ていました。

仮に鴇田の「次に続きます」いう発言を「新たな転回へ」という意味に取るならば、それはおそらく彼の思い違いです。なぜなら、掲句がいかなる着想に拠っていようとも、そのイメージの処理法ならびに帰着点は従来の句とまったく同じであり、作家は今までと変わらない風景の中に佇むばかりなのですから。鴇田はこの句によって別の水脈を掘り当てた訳ではない。あるいは別の水源から入ったかもしれないが、いつもの井戸に出てしまっている。私はそのように思います。

  波に見る7のなごりか喪き今も   小津夜景

〈了〉

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