自由律俳句を読む 74 秋山秋紅蓼〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、秋山秋紅蓼句を鑑賞する。
やまのしずけさはいちりん咲いてむらさき 秋山秋紅蓼
この句通りの景が広がっていたにすぎないのだろうが、私自身がこうした雰囲気を好むためかどうしても採ってしまう。景をそのまま詠むに、自由律俳句は便利だと思う。
漬菜の塩がこぼれてゐて日のくれ 同
知らないうちに齢を重ねたのか、最近、漬物が好きでたまらない。掲句を読んで軽く涎が出て来たが、子供の時分にはそうしたこともなかったはずだ。よい変化である。
春の白い富士に犬が来てゐる野の道 同
富士を遠くに見ることができる峠で詠まれたものか。ここでの犬は、きっと野良犬であっただろう。野良犬が消えている昨今において、こうした句を詠むことはできるのだろうか。
新茶ふくみてみどりの朝を身にする 同
漬物と同様に、最近、お茶が好きになってきた。長らくコーヒーばかりを飲んできたが、そろそろ「みどりの朝を身にする」時が来たのかもしれない。
梅花無残散つて咲いて散り果てている 同
要は、梅の花が散ったということである。しかし、このくどさに面白みを感じて、採ることとなった。どれほどの散り具合だったのだろうか。
2015-01-04
自由律俳句を読む 74 秋山秋紅蓼〔2〕 馬場古戸暢
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