2015-01-11

【八田木枯の一句】松過ぎの承塵に夕日あたりけり 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
松過ぎの承塵に夕日あたりけり

太田うさぎ


長かった筈の年末年始の休みもあっという間に終わってしまった。家々やオフィスビルの玄関を飾っていた門松も姿を消し、街は数日前までのよそゆき顔をさっぱり取り払っていつも通りの表情を見せている。

ふだんの生活に戻りつつあるにはあるのだけれど、正月気分とはまだ手を切れない。正月の方でも去りがてにふらふらしているような気がする。

「松過ぎ」という季語にはこの時期のものさびしいようなとりとめのなさが込められているようで惹かれる。「松明」はぴしっと気持を切り替える感じがあるが、「松過ぎ」はもう少し漂っている感じ。

松過ぎの承塵(なげし)に夕日あたりけり  八田木枯(『鏡騒』)

窓から差し込んだ夕日が長押を照らしている。そういえば日脚が伸びてきたな、などと実感するようになるのも今頃から。長押のような見慣れたものが目に留まるのもいささかの無聊ゆえか。そんなところが松過ぎの雰囲気を伝える。

一般的な表記として「長押」と書いて来たが「なげし」は句の上では「承塵」の漢字を当てられている。表記に対する作者一流の拘りが見てとれる。意味も表現も平明な句をこうした漢字を使うことによって締めるのだ。一方で下五は「あたりけり」と平仮名にしてやわらかく放つ。粋な心配りだ。

この句いいな、と思ったらなんとなく長押にまで愛着が湧いてきた。不思議なものである。


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