2015-01-18

【八田木枯の一句】鶴凍てて太虚に鏡わすれ来し 角谷昌子

【八田木枯の一句】
鶴凍てて太虚に鏡わすれ来し

角谷昌子


鶴凍てて太虚に鏡わすれ来し
  八田木枯

第四句集『天袋』(1998年)より。

木枯が偏愛するモチーフの一つに「鏡」がある。師の山口誓子が目を瞠った〈汗の馬芒のなかに鏡なす〉という「天狼」時代の作品や、最後の句集『鏡騒』のタイトルとなった〈黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒〉など、二十代から最晩年にかけて「鏡」の句は枚挙にいとまがない。「鏡」のほかにも木枯が好んだ言葉には「母」「蝶」「鶴」「あやめ」「雁」「桃」などがあり、木枯ワールドを探る重要な鍵となる。不思議の国の扉は、果してこれらの言葉によって開くのだろうか。

掲句は、厳しい寒さに耐える、片脚立ちの鶴を描いた。烈風の吹きすさぶ中、積もった雪の表面が舞い上がっては散らされ、「凍鶴」のほかに生き物の気配は感じられない。裸木が雪をまとって亡霊のように立ち尽くすばかり。垂直を保ったままの鶴の羽毛がときどき風に煽られては微かに靡く。まれに山の寝息を確かめようと翼に深く秘めた眼を薄く開くのが生の証だ。

この鶴はあたかも「夕鶴」のような女身のイメージがある。この世ならざる変化(へんげ)として人との間に子を持ったが、正体を暴かれて、里を離れてしまった。ところがいまさら天に帰ることも許されない。鏡は自分を確認するための道具か、さもなくば己の魂そのものかもしれない。豊かな羽毛に守られ、懐中にいつもならば抱いているはずの鏡も「太虚」に「わすれ」たまま、地上に舞い戻ってしまった。鶴は行き場を失って雪の中にくろがねの脚を刺し、寒々しい影をさらすしかない。翼に首を差し入れているのは、あるべき鏡の存在を密かに探っているのだろうか。

『天袋』の中には〈大寒や立ちどまりたるときに我〉〈冬の暮立ちどまるとき故人見ゆ〉などがある。夾雑物を排した、寒々とした景の中、歩行を止めて「立ちどまるとき」に常の生活でははっきりしなかったものが、くっきりと見えるようになる。過酷な環境で満身に寒気の矢を浴びながら、耐え忍ぶ鶴こそ、もしかしたら、木枯当人の孤影なのかもしれない。凍鶴として立ち続けることは、見えぬはずの天地の不思議を見るための秘儀なのである。失ったはずの鏡に禁断の景が映り、虚実のあわいに鶴は永劫微動だにしない。


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