2015-02-22

自由律俳句を読む 81 芹田鳳車〔1〕 馬場古戸暢

自由律俳句を読む 81
芹田鳳車1

馬場古戸暢



芹田鳳車(せりたほうしゃ、1885-1954)は、兵庫出身の自由律俳人。『懸葵』や『宝船』に投句していたが、井泉水の自由律俳句論に感銘を受け、『層雲』に参加するようになる。以下では数句を選び、鑑賞したい。

心澄ませば林の奥の雫なり  芹田鳳車

山登りの最中に、こうした状況に置かれることがある。「林の奥の雫」が聞こえる日常に、憧れを覚えざるを得ない。

また一日のはじまりにおつる木の葉あり  同

ここでの「また」は、「一日のはじまり」にかかるのか、それとも全体にかかるのか。後者であるとすれば、毎日の一日のはじまりに決まって木の葉が落ちることになる。律儀な木の葉たちである。

あなあたたかく燃ゆる火が身にちかくあり  同

子供の頃にはたまの焚火にはしゃぐことがあったが、最近ではそうしたこともない。もとい、電化製品に囲まれた子供時代を送っていたために、焚火はひとつのイベントとなっていた気がする。掲句の景は、鳳車の日常のうちに組み込まれたものであっただろう。

棺かつぎ行く足が揃えばなお淋し  同

「なお淋し」が直接的すぎる気もするが、静かな葬列の様子がよく描かれている。たまたま足が揃ったところか、儀式の一環として足を揃えなければならなかったのか、皆の気持ちがひとつになったのか。

蛙遠く跫音もせず暮る二階  同

個人的に、このような景が大好きである。ただただ陽が落ちていく様子を、ぼんやりと寝ころびながら感じていたい。蛙の声もちょうどよい。

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