2015-03-15

〔ハイクふぃくしょん〕顔 中嶋憲武

〔ハイクふぃくしょん〕


中嶋憲武


『炎環』2014年8月号より転載

頃日、よく同じ夢を見る。潮騒の聞こえる松林に挟まれた一本の細い道が前方に伸びて、わたしは一人で歩いている。砂に沈む踵が不自由だけれど、気持ちは浮き浮きとしていた。この道を抜ければ、そこには海が広がっているから。小さい頃よく行った祖母の家から近い海のようでもあるし、学生時代、サークルの仲間と行った伊豆の海のようでもある。後ろからついて来るのは白い犬。海が見えたところで、いつも目が覚める。

椎子、会議の資料出来てる?同僚の小松に声をかけられた。「パワポでバッチリよ」と微笑むと、小松越しに西岡部長と目が合った。西岡部長の頭頂部は少々寂しくなって来ていて、それが気になるのか、時々旋毛の辺りに手を当てている。折悪しくその動作の最中だった。内心びくっとし、一瞬嫌な予感がした。葉塚君、と呼ばれる時は碌な事はない。

部長の前に立つと、資料のミスの指摘、応対の言葉使いのまずさの指摘等をいつまでもねちねちと繰り返し、少女のように薄紅い唇を何度も舐める。言葉の夥しい暴力。ずきんずきんと脳髄に響く。そんな事言われなくても分かってますという文句が何度も頭を過る。西岡部長はわたしにとって天敵であるし、西岡部長にとってのわたしも天敵であるらしかった。オフィスの蛍光灯はわたしを青白いマネキン人形にして、西岡部長の一方的な嫌味、小言、パワハラ、セクハラまがいの言葉を反射させ続けた。

椎子は見せしめにされてるんだよ。今度、部長にひとこと言ってやるよ。小松に言われた。「叱りやすいんだろうな。きっと」

「駄目だって、いつまでもそんな事じゃ。葉塚椎子が部を代表してお叱りをお受けいたしますって状態は、端で聞いてて不快だし、仕事の能率が下がるよ。明日言ってやる」

小松の切り口上を思い出しながら、コンビニのレジでお釣を受け取り、外に出た。わたしのマンションはもう五分ほどだ。この辺は夜の十時ともなれば、人通りがぱったり途絶える。足早に歩いた。

後ろから犬がついて来る。犬ではない。猫か。いや、人の顔だ。顔に獣のような足が四本生えて歩いている。あれは西岡部長だ。紫色の顔で、口から長く黒い舌がてらてら伸びている。蛇のようだ。わたしは走った。買ったばかりのミネラルウォーターを放り投げた。バッグも捨てた。ハイヒールが邪魔だと思うと、素足になっていた。ミニスカートが走りにくいと思うと脱げて、いつしか裸で走っていた。四つ足の部長の顔面が、すぐ後ろまで来ている。家への角を曲ると、両側は高いブロック塀で、道幅は一・五メートルほどしかない。いつからこんな道になったのか。生臭いブロック塀の間を走りながら、この先は海だと思った。

塀が尽きて急に視界が開けた。そこは海ではなく崖だった。下を見ると真竹の先を切り殺いだものが無数に立っている。向うの崖までは約三メートル。後ろからは、仰向けの部長の顔。追いつかれたら、あの蛇のような黒い舌で全身を舐められる。わたしは勢いをつけ、その崖を跳んだ。

朧夜の右も左もブロック塀  佐藤午後

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