2015-06-07

【句集を読む】クズ作家 北大路翼 北大路翼『天使の涎』を読む 五十嵐筝曲

【句集を読む】
クズ作家 北大路翼
北大路翼『天使の涎』を読む

 
五十嵐筝曲



「北大路翼論を書いてくれ」という内容の、やけにあらたまったメールが北大路翼から来たのが5月の半ばくらい。「承りました」と返信したのはいいのだが、そのあいだわたしはまったく北大路翼のことなど考えていなかった。

「まわりが褒めすぎているから、ちょっと貶して書いてくれ」という本人からのお達しがあったので、勇んでボロクソに書こうかと思ったのだが、氏とは作品を通しての関わりより、呑んでダベってという関係のほうが圧倒的に長かったので、貶そうとなると北大路翼がいかにヒドい私生活を送っているのか、という暴露のようにならざるをえないことに気づいてわたしは途方にくれている。北大路翼がいかにヒドい人間かということを書きつらねれば書きつらねるほど、北大路翼の俳句はファンにとって味わい深いものになるだろう。わたしは北大路翼ファンを減らすようなけなし方をしたいし、サイテーな氏を白日の下に晒したい。ほんとにサイテーなんだってば…。

苦しい時、困ったときにwikipediaで有名人の名前を引いては、その生涯の波乱ぶり(要するにクズぶり)を見て安心するという悪癖が、わたしにはある。そんな自分がものすごく恥ずかしいが、作品よりも人生のほうがおもしろい、という作家はいるものだ。そういう作家はだいたいが作品にも生活のクズぶりがにじみ出ていて、もはや自分がその作家の作品のファンなのか、その作家の人生のファンなのかよくわからなくなってくる。わたしはそのような作家を「クズ作家」と呼んでいる。

北大路翼も今回の句集で「クズ作家」の仲間入りを果たしただろう。実際、彼は『天使の涎』のような生活をしていた。作品と人生の間で嘘はついていない。だから、安心してみなさん北大路翼をクズ作家として楽しんでほしい。クズ作家にとって人生は作品だ。クズ作家は作品のとおりに生きなければならないし、作品は生きた証でなくてはならない。
 クズになるのは簡単だがクズ作家になるのは難しい。作品として強度のあるものを作り上げるだけの力量もいるし、なにより自分の人生を俯瞰してみなければならない。それに、まずひとに興味を持ってもらわなければならない。北大路翼はこうした条件をクリアしているように思える。やっぱりクズ作家だ。

北大路翼の作品に強度があることに疑いはないだろう。しかし『天使の涎』のように、私生活をゲロのように吐露していった先にあるのは、クズ作家への道であり、作家への道ではない。北大路翼の作品のファンよりも、北大路翼の人生のファンのほうが多い、そんな作家への道しか残されていないように思える。クズ作家の人生は作品だと言ったが、それはつまり、人生が作品である以上、クズ作家はいつ断筆してもいいということだ。断筆しても、破天荒な人生が彼を作品たらしめてくれる。逆に、破天荒な生き方をやめて、まじめに書き始めたとしても、それも彼の人生という作品よりも大きなものに回収されてしまう。どう転んでもクズ作家をやり続けるしかないのだ。

北大路翼はまちがいなく俳壇最高のクズ作家だ。彼の作品よりも彼の人生のほうがもはやデカイ。近くにいたわたしにはそう思えてならない。

ウーロンハイたつた一人が愛せない  北大路翼



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