2015-06-07

【句集を読む】go into action 北大路翼『天使の涎』を読む 松本てふこ

【句集を読む】
go into action
北大路翼『天使の涎』を読む


松本てふこ


北大路翼は行動の人だな、と思う。
俳句という文芸は、必ずしも行動を必要としない。
句会に毎月出ることも、毎月結社誌に投句することも、行動ではない
(句会や吟行というシステムそのものには、行動というファクターが
かなり重要な割合を占めているように思うが、
俳句を詠む中で必ずしなければならないことではない)。
日常に簡単になじんでいくルーティンワークになりうる。
彼がtwitterに俳句を垂れ流す「行動」、
句集に二〇〇〇句も収録してしまう「行動」、
誰かの誕生日に挨拶句を贈る「行動」
(句集の中で七人の人物が祝われていた)、
誰かの死を悼む「行動」
(マニアックな人気を集めたアイドルから
ググっても特定出来ない人物まで幅広い人名が登場していた)、
歌舞伎町を活動の拠点とする「行動」、
気鋭のアーティストたちと活発に交流する「行動」。
久留島元の表現を借りて、
「行動」を「パフォーマンス」と言い換えることも出来そうだが、
北大路の場合は彼自身の生き方や価値観に
多分にパフォーマンス(『派手な振る舞い』という意味での)
的要素がちりばめられているので
彼のことを言い表す時に「パフォーマンス」という言葉を使うのは
気後れがするというか、どうにも憚られるのである。
人名が前書にかなり登場するので、
そのたびにググりながら読んでみたら、
その多くは北大路より10歳以上年下の若いアーティストだった。
北大路自身の妙に面倒見のいい気質もあるのだろうが、
若者たちの新鮮な感性に触れることで
自分が埋没してしまいそうな平凡さや既成概念から
抜け出す糸口を探り続けているのだと思った。

北大路はきっと、アパシーを前提とした日常が怖いのだろう。
毎日が退屈だなんてありえない。
毎日同じように過ぎていく日常だなんてあるわけがない。
だから俳句を「普通」(俳壇の中での常識に従って、程度の意味だが)に
発表しないし、痛飲するし、少々変わった店をやるし、
ギャンブルをやめない。

酒を飲むだけの弔ひ鳥帰る

寂しがり屋なのだと思う。
でも、あからさまに寂しがるのは好かないのだとも思う。

薔薇剪つてつくづく夜に愛さるる

自己陶酔が強烈な「つくづく」の使い方に面白さがある。

馬鹿野郎だけが花火に愛されて

最初に読んだ時は読み流してしまったが、
気持ちよくてバカバカしくて、なかなかにいとおしい句である。

肛門がよごれてゐたる猫の恋
花びらは女が拗ねてゐる熱さ


北大路の性に関する句の大半に、
私はミソジニーもホモソーシャルも感じない。
母乳をほしがる乳児のようないたいけさ、
「王様は裸だ!」と叫びたい素直さを最も感じる。
〈肛門が~〉は、その素直さの結晶であるし、
北大路のバレ句の基本路線のひとつであるとも思う。
〈花びらは~〉は、ちょっと毛色が違う。
分かったような口をききたい思春期の男子のような背伸び感、とでも
言えばいいだろうか。珍しく、少々のミソジニーを感じる。

ウーロンハイたつた一人が愛せない

「こういうことを書くやつは、
たった一人を愛したいなんて思ってもいないくせにこういうことを書くものだ」
と一読して思ったのだが、案外本当にこう思っているのかもしれない。




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