2015-07-26

俳句の自然 子規への遡行44 橋本直

俳句の自然 子規への遡行44

橋本 直
初出『若竹』2014年10月号 (一部改変がある)


引き続き、子規の新体詩とその詩論を検討する。明治三十年三月、子規は「日本人」に越智処之助の筆名で「新體詩押韻の事」という一文を発表し、新体詩における押韻を軸とした論を発表している。今回はこれを概観しておきたい。

まず子規は、日本語の構造は押韻に不適であるといわれるが、自分もそう思っていた、という。現在でも、日本語によるラップの歌詞のように押韻を強く意識して詩をつくるようなことは、他でも盛んであるとは言いがたいだろう。しかし、子規は俳句の構造を基にこれに挑むのである。以下、この子規の説をかいつまんで追っていく。

〈蓋し日本文にて一句の終りに来る者は「てにをは」助動詞、動詞、形容詞語尾略一定せるを以て、韻の変化を得ざるなり。裏面より言はゞ語尾の最も多く変化せる名詞を韻に踏む能はざるなり。〉(引用者注 原文を常用漢字に改め、傍点を省略した。以下同様)

といい、日本語の構造上、句末の音のバリエーションの少ないことを指摘したうえで、その変化の多い名詞を句末に用いないことを指摘する。これは以下の考えを言うための、いわば話の枕である。

〈日本にて古来韻文の体を成す者にて句尾に名詞多きは俳句なり。只俳句は一首の長さ新体詩の一句位なれば長さの点より韻を踏む能はず。今新体詩に韻を踏まんとせば多少俳句の構造を学ばざるべからず。又俳句の構造を学ばんには新体詩に韻の踏めぬことはあるまじと思はる。〉

つまり子規は、句末に名詞を用いることによって日本語でも押韻による詩の作成ができる、と主張しているのである。そして、そのノウハウは昔から俳句が持っている、という。さらに、自分で試行実験した結果、それは可能であり、名詞を句末にもちいることは通常の散文の語順とは異なるため、佶屈晦渋になると思われるかもしれないが、元々韻文は通常の文法通りに表現するものではなく、

〈縦ひ韻と調子とに関係無くとも、曲折多きは韻文をして趣味多からしむ所以なり〉

と言う。その他、押韻に副詞が使い勝手が良いこと、倒置法が必要になること、付属語や活用語は対句の押韻が作りやすいことも併せて説いている。

次に、子規は押韻の「量」の三説をとりあげる。これも引用すると長くなるので手短に纏めて言うと、一つ目は、最後の母音のみを韻とする説。二つ目が、最後の一字のみを韻とする説。三つ目が、最後の一字とその前の母音を韻とする説である。つまり、一つ目は母音のバリエーションが六つしかないことになる。二つ目は小学校の教室に張ってあったりする、いわゆる五十音図表と同じであり、これに拗音や促音を含めればその倍近くの音数になるだろう。そして、三つ目は少しわかりにくいが、子規の挙げた例を借りれば、「きん」と「りん」、「つく」と「すく」、「よる」と「のる」のようなものを言う。こうなると、相当数の音数がある。子規は第二説に従って試作したが、それでも多いと感じていたようである。

さらに子規は、韻の「距離」を取り上げている。簡単に言えば、詩の一連の中の押韻のパターンの種類である。紙幅の都合上ここで詳しくは述べないが、子規は四行または六行で一連とし、六種類の押韻のパターンを試みて、四行一連の交互に押韻する形式が日本語新体詩に向いているとしている。また、三句続けて押韻するのは難しいともいう。

そして最後に、押韻の効力として、

〈押韻の一事が作者に対する影響あり。押韻が文字を束縛し従って思想を束縛するは作者に与ふる害なれども、作者に与ふる利も亦少なからず。
 第一、狭き範囲に在れば却つて自己の技倆を現すに適すること
 第二、言語の範囲を限らるゝがために却つて思想の上に惑を生せず早く作り得ること
 第三、限られたる韻語を探して韻語より思想を得るがために却つて奇想警句を得ること〉

と、三点をあげて纏めている。子規は、俳句に形式の規則があることによって、却って表現の自由度が広がるのと同じように、新体詩の規則を考えようとしているのである。

子規にとって俳句の革新は、数百年の歴史を積んだ伝統文化を、新しい時代に適うものへ変容させる試みであったから、すでにあるものの中から取捨選択をしていったわけであるが、「新体詩」は、言語の異なる西洋の詩を手本とはしつつも、実質それまで全くなかったものを作り上げるのであり、それを試みる人はすべて同じ立ち位置、いわば、日本語による「詩」の表現の零度地点に立っていることになるだろう。見方を変えれば、なお混沌としたアナーキーな状態の中での試行錯誤であった。その零度地点において立ち上がるべき詩の規則として、子規は、俳句革新で培った手段を応用した一案を提示してみせたのである。

しかし、子規の挙げた指にとまる者は少なかった。多くの賛同者が集まれば、新体詩に押韻の知的操作の面白味をみる約束事が加わり、あるいはそれが今日に続いたかもしれないが、そうはならなかった。私感だが、子規は、いまなお俳句と短歌を決定的に分かつものを甘く見積もっていたのではないだろうか。もっと言えば、短詩型の生な叙情の力を、少々なめていたようにも思われる。

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