2015-07-12

【週俳6月の俳句を読む】聖五月の楔 鈴木茂雄

【週俳6月の俳句を読む】
聖五月の楔

鈴木茂雄


聖五月額に楔打ち込まれ  利普苑るな

春愁の季節が過ぎて新緑の茂る清々しい季節に入ったのだが、上句に置かれた季語「聖五月」は、一読、実に重い言葉となって読者の上に伸しかかる。「聖母の名負ひて五月は来たりけり  阿波野青畝 」「潮満ちてマリアの月となりにけり  横山きっこ」という通り、季語「聖五月」は、カトリックの「聖母月、マリア月」に由来しているようだが、手元の俳句歳時記には「月の初めに立夏がある。カトリックでは聖母マリアを讃える月となっている。みずみずしい若葉に包まれた生命感溢れる麗しい月である。薔薇や牡丹が開き、薫風が渡る。」(『合本俳句歳時記 第四版』角川書店)と、クリスチャンではない大方のイメージは「雨粒は雨粒に濡れ聖五月  岡田一実」という「みずみずしい若葉」の季節感にある。それゆえに『末期』というタイトルに収められたこの「聖五月」はことさらに重く悲しく響く。断るまでもなく「末期(まつご)」とは詩のメタファでもシグナルでもなく、「末期の水」の末期のことである。生涯の終わりの時を指す。ただならぬことだが、だとすると、この「楔(くさび)」は、余命宣告ということになるが、誤読であることを願うばかりだ。

中句の「額(ひたい)」というところで即座に思い浮かんだのは、橋本多佳子の「万緑やわが額にある鉄格子」という句。当初この句は精神のプリズナー、観念の句と読んでいたが、「久女終焉の地・筑紫保養院を訪ふ」という前書きがあるのを知ってからは、作者の多佳子が当地を訪問した折にその施設の窓から眺めた万緑の風景と、自身の「額(ぬか)」に映る鉄格子の影に「久女」に対する思いをも託し、託し切れなかったその思いを前書きにして付した客観写生の句と解している。揚句の「聖五月額に楔打ち込まれ」が、もしもこの作品だけを鑑賞の対象としていたとしたら、この一句からしか読めないものを読もうとして、やはりわたしは多佳子の句と同じ誤読をしていただろう。

ともあれ、『末期』に同時発表の「末期長くあれかし新茶啜りをり」「麦秋や病院よりも白き墓」「猫の待つわが家遠しや薔薇香る」「病床の夏暁パッヘルベルのカノン」「逆縁の不孝よ父よ初蛍」「かはほりや隣のベッドより寝息」「病窓より航路と線路朝ぐもり」「夏蝶や水玉柄の脳画像」「目鼻消し泣きたき日あり雲の峰」などは、いずれも、同月に発表された「ねむられずあさぎまだらになりかかる  喪字男」や「何も書かなければここに蚊もいない  福田若之」という口語的な作品より文語的でありながら、より散文的な形で伝わってくるのは、作者が心の底から込み上げてくる悲痛なる思いを具体的なメッセージとして訴えているからである。俳句は切々とした抒情を好まぬ詩形ではあるが、しかしそれでも上掲の一句は「楔」のように鮮烈な刻印として、いつまでも読者の脳裏に刻まれることだろう。「末期長くあれかし」と切に祈る。


第424号 2015年6月7日

利普苑るな 末 期 10句 ≫読む
第426号2015年6月21日
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第427号 2015年6月28日
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