2015-07-12

【週俳6月の俳句を読む】言語せつなく トオイダイスケ

【週俳6月の俳句を読む】
言語せつなく

トオイダイスケ


名が鳥を仏法僧にして発たす  福田若之

「名」があることで、「名」がそれにつけられることでそのものは存在し始めるのだ、という認識を、「仏法僧」という鳥には一際強く思わされる。ブッ・ポウ・ソウという鳴き声を持つと信じられてきて、実際にはその鳴き声はコノハズクと呼ばれている鳥のものであったが、その鳴き声から名づけられた名をそのまま持ち続けている鳥。この鳥自体の実在の危うさと、しかし人間の言語を通した認識のなかで、この鳥が確実に存在させられていることとが重なる不思議さがある。


読むことに伴うまばたきと西日  同

なにか書かれた言葉、おそらく本を読むことに、「西日」も伴っている。夏の西日を浴びていると、太陽が沈んでいくことを最も強く実感させられる気がする。それはまた時間が経過していくということを自分の体で濃厚に認識させられるということでもある。読める本を読めば時間が経過し暇が潰せる、本の存在意義はそれ以上でもそれ以下でもないというようなことを吉田健一がかつて書いていた。本を読むことは時間を自分の体で経過していくことであって、経過するために欠かせないその歩みが「まばたき」なのだ。


病葉を語れば落ちてゆく言葉  同

漫画のなかで登場人物の発言が大きな描き文字で吹き出しの外に描かれていることがある。それらはその人物の発言であるということ以上に、その人物(およびその人物を描く漫画家自身)の声の質感や肉体の動きを感じさせられる。現実に発言された言葉は音声であって音波という目に見えない物体であるが、この「病葉」を語る言葉は、漫画の描き文字のようにまるで目に見える物体のように感じられ、「落ちて」ゆく。地面に向かって落ちてゆく病葉のように、言葉が「落ちてゆく」と感じられることによって濃密に存在させられ始める。病葉と呼ばれる状態がその葉や木の死を感じさせるが故に、逆にその葉や木が存在することを生き生きと感じさせられるように。


第424号 2015年6月7日

利普苑るな 末 期 10句 ≫読む
第426号2015年6月21日
喪字男 秘密兵器 10句 ≫読む
第427号 2015年6月28日
福田若之 何か書かれて 15句 ≫読む

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