2015-07-12

忌日を読む 走り出す桜桃忌、問いかけられるメロスたち、そそられる太宰治(動的な意味で)-びよんびよんから始めて- 柳本々々

忌日を読む
走り出す桜桃忌、問いかけられるメロスたち、そそられる太宰治(動的な意味で)-びよんびよんから始めて-

柳本々々



“桜桃忌”は、すでに季題としてどの歳時記にも載せられるようになった。六月十九日は、太宰治の死体が玉川上水に浮き上がった日であり、たまたま、彼の誕生日に当たる。桜桃忌という名称は、太宰の古い知友で同郷の作家今官一氏の命名である。

太宰は俳句とは縁が遠いと思われるむきもあるかもしれないが、私は彼がよく
春風や麦の中ゆく水の音
小松生ひなでしこ咲ける巖かな
というような俳句を口ずさむのを聞いたものである。
(桂英澄「桜桃忌」『俳句研究』1967年4月、p.12)

ふと耳に、潺々(せんせん)、水の流れる音が聞えた。…その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬(すく)って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。
(太宰治『走れメロス』)

太宰忌やびよんびよんとホッピング  澤田和弥
(澤田和弥『革命前夜』邑書林、2013年)

桜桃忌よいこはここで遊ばない  荻原裕幸
(山田露結+宮本佳世乃『彼方からの手紙 vol.10』2015年7月7日)

黒猫の色問はれをり桜桃忌  野口ま綾
(野口ま綾「☆OKOTOBA☆商店街」『スピカ』http://spica819.main.jp/tsukuru/10549.html

桜桃忌知らない人と手をつなぐ  石原ユキオ
(石原ユキオ「矢印」http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=4844

太宰治文学は、最初期の「葉」(『晩年』)において「夏まで生きていようと思った」と〈生きる時間の遅延〉を決意したひとから始まり、〈晩年〉に書かれた『人間失格』への「ただ、一さいは過ぎて行きます」という〈生きる時間の無定点〉にたどりついていくのですが、そうした生きる時間への〈決意〉から〈放棄〉への過程においても、太宰文学にあっては、ともかく〈行動〉してみることに意味がある、ということが大事にされていたということに少し注意してみたいと思います。

たとえば、「走れメロス」。そのタイトルの通り、ここでは〈走る〉という事態が尊重されており、走ることによって物語は駆動していきます。メロスが〈それでも走る〉ことによって、さまざまな問いかけがメロスにもちあがり、そして走りながらメロスはそれを考える。たおれても、物語をすすめるために、メロスは〈動かなければならない〉。「歩ける。行かう。」

上に桜桃忌を詠んでいる俳句を任意でピックアップしてみました。

これらよっつをめぐる共約点をあえて見出すとするならば、それは、〈なにかをしろ〉という〈動〉への〈問いかけ〉なのではないかとおもうのです。つまり、語り手は〈桜桃忌〉をとおして、問いかけられ、そそられている(動的に)。なにかをしろ、と。めいめいのやり方で走れ、と。

それは「びよんびよんとホッピング」をしろという〈問いかけ〉かもしれないし、なにかをしろといわれ「よいこはここで遊ばない」という語り手の倫理観の発動としてあらわれるのかもしれないし、黒猫の色という色ならぬ色を問いかけられてしまった無定点の主体として立たせられてしまうことなのかもしれないし、「知らない人と手をつなぐ」という〈知ってる/知らない〉ことの問いかけと「手をつなぐ」アクションとの組み合わせとしてあらわれてくるかもしれない。

ともかく、それぞれの〈メロス〉としての走り方が、〈桜桃忌〉を介することによって、発動しているようにおもうんです。ふだんしていない走り方をしろ、と。それでも「歩ける。行かう。」なのか、どうかと。

だから季語としての〈桜桃忌〉とはある一面において、そうしたふいうちの、ふだんはしないアクションをそそるものとして俳句においては機能しているのではないか。そしてそのふだんはしない走り方において、語り手たちは〈問いかけられ〉ているのではないか。そんなふうに、おもうんです。

ではここで少し俳句から視点を変えて、おなじ575定型でもある川柳のなかにおける〈太宰治〉はどうなっているのか。俳句のメロスたちは、川柳においても健在なのか。

流れる太宰 暗から旗が出て喋る  中村冨二
(『中村冨二・千句集 復刻版』現代川柳柳人叢書刊行会、2001年)

ひょいと太宰が隣に座る線香花火  野沢省悟
(『東奥文芸叢書 川柳(7)野沢省悟 句集』東奥日報社、2014年)

太宰治、流れています。太宰治、ひょいと隣に座っています。ちゃんと、動いて、いる。

川柳にあっても太宰治は非常に動的です。「流れる太宰」というダイナミクスが、「旗」の出現と発話というさらなるアクションをひきだしています。省悟さんの句では、「線香花火」というスタティックで静的な情景が「ひょいと太宰が隣に座る」ことによって動的(アクティヴ)にかきみだされる。

川柳においても、桜桃忌を通して走り問いかけた語り手たちのように、太宰治が動的であり、かつそれぞれの句の太宰治がそれぞれのやり方で〈再走〉しようとしているようにも、おもえます。

太宰治文学においては〈動く〉というのは重要な意味を担っており、それが「桜桃忌」や「太宰治」という記号を通して俳句・川柳のなかに〈動〉としてあらわれてくる。

だから「桜桃忌」はラブホテルのメッカでもある〈動〉としての〈ゆれる〉街「鶯谷」にも、こんなふうなかたちであらわれるのではないかとおもうのです。

鶯谷のタオル黄色し桜桃忌  藤幹子
(藤幹子「やまをり線」『週刊俳句』http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/10_2193.html?m=1

ロマンスの洪水の中に生育して来た私たちは、ただそのまま歩けばいいのである。
…無性格、よし。卑屈、結構。女性的、そうか。復讐心、よし。お調子もの、またよし。怠惰、よし。変人、よし。化物、よし。古典的秩序へのあこがれやら、訣別やら、何もかも、みんなもらって、ひっくるめて、そのまま歩く。ここに生長がある。ここに発展の路がある。鎖につながれたら、鎖のまま歩く。十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く。笑ってはいけない。いまは、そんなに笑っていても、いつの日にか君は、思い当る。
(太宰治「一日の労苦」)

太宰忌やびよんびよんとホッピング/
澤田和弥

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