2015-08-30

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(12) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (12)
今井 聖

 「街」106号より転載

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎 
竹下しづの女(たけした・しづのじょ) 『颯』(1940)


なんだこりゃ。
 
ミジカヨヤチゼリナクコヲステッチマオカ

乳をチチと読ませる解釈もあるが定型遵守、ことに中七の韻律重視からいけばチと読むのが妥当であろう。

前回の多佳子句と同様、しづの女代表句とされているこの句についても、なんでこの句が「なんだこりゃ句」なの?と言われそうである。

実は僕もこの句を歴史的な名句とすることに異存はない。

衆目が認め僕も認める名句を、「なんだこりゃ」の欄に取り上げるのはどうしてなのか。
 では、この句を名句とするあなたに聞きたい。
あなたはどうしてこの句を名句と認めるのか。

この句は「ホトトギス」大正九年八月号の巻頭句である。
もちろん選者は虚子。
現今の俳人のほとんどが師系の出自から源流を辿れば虚子に行き当たるその大権現が採ったからこの句を名句として認めるのか。

いいや、違う、馬鹿にするなとあなたは応じるだろう。

この句はまさしくいい句だ。女は女らしくあらねばならない。良妻賢母であらねばならないと男社会によって強要され、参政権もなく、帝国大学にも入学が許されず、そんなときに当時の倫理にさからってこんなはっきりと「本音」をいう。自分の子だろうとあまりにうるさいと捨ててしまいたくなる。その通りだ。言い難いところをよくぞ言った。これこそが文学性の真骨頂だと。いや、文学性とまでは言わずとも、概念、通念を打ち破った句だくらいは言うだろう。

では、聞きますが、あなたは句会で、いわゆる男らしさや女らしさ、いわゆる付きの倫理の枠を逸脱した句を認め、そういう句を選んでいるのか。

そんな句は句会に出てこないよとおっしゃるかも知れない。

ならばあなた自身はそういう社会的倫理的な枠を脱した作品を作るように心がけ、仲間にも勧めているか。通念や倫理に捉われるなと。須可捨焉乎を見よと。

医師はいわゆる医師らしく、教師はいわゆる教師らしく、若者は法を犯さぬ程度に破天荒に、男は黙って愚直一徹、女は夫唱婦随、聞き役に徹し、出過ぎず、終い湯に浸かる。老いたれば飄逸、俳諧、枯淡の境地に至るように、そういう「いわゆる」を自分にも仲間にも求めてはいないか。

僕は教師をやっていたから教師俳句には特に敏感になるが〇〇協会の〇〇新人賞作などに見られる教師俳句はいわゆるつきの教師生活や倫理を描き、それを人生の先輩審査員は頷きながら「よし、よし、これでこそ教育現場と格闘する姿だ」と頭を撫でて採っている。

偏差値70の私立エリート校から公立を補完する35の私立まで現場の問題は複雑多様化している。モンスターペアレントからひきこもりから自閉症から暴力、売春まで。

ひと昔前の「金八先生」のドラマでさえ中学生の妊娠をテーマにしている。

それなのに若手といわれる教師俳人でさえ、教師俳句をつくるときはタイムマシンに乗って金八の時代どころが一気に「二十四の瞳」まで飛んでいく。
自転車に乗って生徒に囲まれる高峰秀子だ。

そういう句を作らねば古い倫理観で凝り固まった選者に採ってもらえないのだ。
選者自身はどうか。これはいわゆる伝統派だけの問題ではない。モダンやリベラル、反権力を標榜する俳人ですら叙勲をいただき地元名士を招いた己が句碑序幕式で夫婦でポーズを取る。

正気ですか。

そんなあなたがこの句を採れるわけがない。本音を言わねばならないのはあなたの方だ。
 大切な我が子を捨ててしまいたいなどと告白する。
こんな倫理にもとるアバズレの句は採れないとはっきり言ったらどうですか。その方がまだすっきりする。

この句が仮に碧梧桐選だったら、こんなに名句になったのかなあ。
アウトローはやっぱりこんなアウトローな句を推奨するんだくらいで終わったかもしれない。

この句の凄いところは富国強兵、大東亜共栄圏思想の根幹にある倫理観に異を唱えたこと。
しかも弱い女性の立場から。
銃後を支える意味から「良妻賢母」倫理が権力によって作られ教育され啓蒙された。亭主が前線で戦ってるときに奥さんが子供をほったらかして浮気する心配をしてたらおちおち鉄砲を撃っていられませんからね。
第一、子供は次代の兵隊予備軍だから国策に沿ってちゃんと育てないと。

家優先の「常識」やがんじがらめの因習の中で、嫌なDV亭主であっても離婚なんかはとんでもないご時世。そんなとき嫌な亭主に赤紙が来たら留守中によろめいたっていいじゃないですか。

そんな展開だってこの「本音」句は示唆するから「憲兵の前で滑って転んぢゃった」や「戦争が廊下の奥に立つてゐた」のあまりにも解り易い皮肉や隠喩より須可捨焉乎の方が権力にとっては怖ろしい句なのだ。帝国主義の基盤を支えるべき倫理から崩される。

句に品格だの、品位だの、格調だの、無難なおさだまりの「風土」だのを求める「伝統派」俳人のあなた、どうかこの句を認めないでいただきたい。
これぞ、なんだこりゃ句だと断じていただきたい。

守旧派の老耄俳人に貶められることでさらにこの句が革命的な輝きをもって屹立することができる。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。




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