2015-08-23

【八田木枯の一句】 無花果熟れとつととつとと風呂煙 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
無花果熟れとつととつとと風呂煙

太田うさぎ



六月あたりから出回る無花果は夏果と呼ばれるそうで、それなりに旬なのだろうけれど、子供の頃の記憶が染みついているせいか、無花果を食べたくなるのはだいたい今ぐらい、お盆も過ぎ九月の声が忍び寄ってくる時期だ。繊維質とねっとりした食感が独特なこの果実を御不浄に植える木だからと嫌う向きもある。勿体ないなあ。町中では無花果の木のある家自体が少なくなったような気がする。枇杷の実のなる家なら目につくけれども。

無花果熟れとつととつとと風呂煙  (八田木枯少年期句集)

無花果うんぬん以前に風呂場から煙突の出ている家ももはやないに等しいかもしれない。
人家だろうと見当をつけるのは、無花果と煙との距離がわりあい近そうなことと「とつととつと」のオノマトペから読み取れる「がんばってまっせ」感から。高空に聳える銭湯の煙突とは違うのだ。

句会でこうした取り合わせの句が出ると、季語の斡旋が最適かどうかで意見が分かれたりする。無花果は水回りに植える木という点からつきすぎなのか、互換性がありすぎるのか。そんな議論をよそに、無花果は実を太らせ、煙突はせっせと煙を吐き出す。それでいいじゃないか、と思ったりする。

この句は『八田木枯少年期句集』のIII章「青年期句集(昭和二十一年-昭和二十四年)に収められている。後年の虚実のあわいを自在に操る手捌きからはちょっと想像のつかない飾り気のなさだ。いわゆる“らしくない”句だが、「とつととつと」の微笑ましい懸命さは戦後を生き始めた当時の人たちの姿とどこか重なる。木枯さんもまたそのなかの一人だったのだ、まぎれもなく。

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