2015-10-25

自由律俳句を読む114 「平松星童」を読む〔3〕  畠 働猫

自由律俳句を読む 114
「平松星童」を読む〔3〕

畠 働猫



前回に続き、平松星童句への連れ句を提示する。
今回の星童句は、全盛時代の作品と、層雲復帰後の作品であり、前回紹介した句に比べて円熟や変化を見ることができよう。


(星童)……平松星童句
(働猫)……畠働猫句
※(働猫・過去作)……連れ句として詠んだのではなく、過去に作った句を連れ句として当てはめたもの


◎全盛時代の作品「ふるゆき」(特選)昭和二十一年六月号以降
つばきおちている鏡のなかの女がおびをとくので (星童)
  おんな鏡ごしに見てるのも知っている (働猫)

新緑のまっただなか海のよな乳房ふくませている (星童)
  母乳知らぬわたしをからかうきみは母になった (働猫)

つばめの子が巣で大さわぎしている下の貧しい兄弟 (星童)
  出て行った兄の消息知らぬかつばくらめ (働猫)

線路の草つよしそこをこどもあるいてゆく夕焼 (星童)
  夭折の役者が残した映画死体探しの美しい旅 (働猫)

ひとにはふれてもらいたくないさびしさ葉がぽろぽろおちる (星童)
  「存在の根源から発する哀しみ」と私に名付けたひとも亡くした (働猫)

星がふるような待ちぼうけ (星童)
  待たない君より長く生きよう (働猫)

あいたいとだけびしょびしょのはがきがいちまい (星童)
  会いたいとさえ言えぬ孤独を生きている (働猫)

まよなかふとめがさめてみずをのみほしてみてもひもじき (星童)
  さびしいか、水を飲め (働猫・過去作)

大きな柿にむしゃぶりつきすこし静かにたべ、考えることする (星童)
  食べかけては仕事する机食べかけだらけ (働猫)

いきもつかずにみずのんでいきついているいき (星童)
  ねこ水のんでとくいげ (働猫・過去作)

こどもだいてこんなにかるくつきとそのかげ (星童)
  かるい子もおもい子もかなしく親をしんじている (働猫)

すかんぽべっかんこうしてわかれたきり (星童)
  かくれんぼうの続きのままに町を出た (働猫)

ぬころそんなことにまんぞくしてかえってゆく散る葉 (星童)
  いぬころ振って落としたしっぽが点々と続く雪原 (働猫)

月が、ひとりのときの吾が顔のさびしさ知っている (星童)
  ひとりで生きてるわけじゃなかった窓の月 (働猫・過去作)

としよりのかなしさのひざをころげるみかん (星童)
  祖母の手がもみすぎたみかんよこす (働猫)

ひとりをほんとうのひとりにしてゆきのふるなり (星童)
  きわめてひとりでゆきにふられている (働猫)

枯れて枯れてほんとうの冬が女の口紅をうきたたせる (星童)
  枯れた街路樹のよこに立つおんなの口がぬらぬらあかい (働猫)

泣きたくて笑っている風が木の葉ころがしてゆく (星童)
  さっき別れたひとの笑い声枯葉かさかさ去ってゆく (働猫)

風が木の葉かきむしっていったあとの紙くずのように人間歩く (星童)
  紙屑のように燃える人間たちが行き交う夢でわたしだけ火がない (働猫)

かえらぬものをおもううみになみのかたちしろくてうごく (星童)
  よせてかえすうみにもうかえらない (働猫)

手のとどかぬところに星は光り寒くなる毎晩 (星童)
  月も星もきれいでここにはない (働猫・過去作)

吾が体臭のけものめく毛糸のシャツのほころび (星童)
  かっこいい私が滲みたシャツに猫くる (働猫)

どこからか祭がきこえる金魚水の中で寂しい花火になる (星童)
  鉢の金魚のぞき見ているねこもわたしも祭に行かない (働猫)

しみじみ手をにぎられしただいちどのゆきの日 (星童)
  ただ一度のくらい部屋しろい肌 (働猫)

便りが来ても便りを出さずに女を枯野のむこうにおく (星童)
  便りなく空高くなる女は今も生きている (働猫)

万緑の中一つきりの卵をひとりっきりのわたしにわる (星童)
  最後の卵たべてしまっておでん鍋はもうこんにゃくだらけ (働猫)

ゆんべの校正がゆびにあかく朝のパンはちぎってたべます (星童)
  ゆんべついに別れてしまった朝のパンはちぎってたべます (働猫)

いちわはないておくれてゆく (星童)
  はぐれた理由こぼして渡ってゆく (働猫)

小さな工場が体いっぱいに働いている月がぐんぐん高く (星童)
  まだ月残る工場へ入る今日は人参を分けます (働猫)

ゆきがあおくにおうほどしずかにむねをやんでいる (星童)
  雪降る音よりかすかな鼓動をさがす (働猫)

雨が冬の青いものつんでゆく黒い貨車に貨車に (星童)
  次々に来るものの姿知っている窓に、窓に、 (働猫)

ひとり雪ふることのそれからめをつぶりねむろうとする (星童)
  寝て起きてなお月 (働猫)


◎層雲復帰作品(昭和四十四年~昭和四十六年)ば、「冽冽」「淡淡」であろうか。
夕日が檻の猛獣のあくびする赤き喉の中 (星童)  狼にはせますぎる檻の中ぐるぐる、ぐぐるぐる (働猫)

胎内のようぬくい地下道そこから見えて夕焼地獄 (星童)
  ここから産まれ来るのであろうか女の地下道がぬくい (働猫)

母を愛して吾を憎む父が咳しておられる (星童)
  母を憎む手がつめたい (働猫)

だまされた私がそこから月夜になって出ていく (星童)
  だましたが幸せだったろうと月のない夜を逃げる (働猫)

*     *     *

自分にとっての「連れ句」の定義とは、相手の句を出発点にして詠む、ということである。
その距離は密接であってもいいし、遠く離れてもいい。
そのどちらでも面白い句になればいいのだ。
相手の句の情景や感動を、あるいは語句や方言を使うこともある。
全く使わないこともある。
しかし少なくとも連れ句の相手には、相手の句から詠んだものであることは伝わらなくてはいけない。
そして、そこで意識することは、相手に「そう読むか」「そう来るか」と思わせ、面白がらせることである。
時に相手の句の説明で終わっているような連れ句を見かけることがあるが、これは非常にまずい。
そんなものを見せられて相手が喜ぶはずがない。
何か冗談を言ったときに横から「今の冗談の何がおもしろいのか」を説明されるようなものだ。
辱めである。
連れ句とは相手の句への敬意、そして愛情の発露である。
愛情は、相手を楽しませることにつながるはずだ。
他者を思うことのない感情は乞いであり、愛ではない。
敬意と愛情。それが私の連れ句のメソッドである。
そしてそれを互いに持ち得るとき、連れ句は最も大きな効果を発揮する。
その効果とは、一人では辿り着けない名句への到達である。

笑い飯という芸人が私は好きである。
二人ともボケという珍しい漫才をする。
お互いがお互いのボケにボケを重ねていく。
ボケがどんどんエスカレートし、加速していく様子が非常に面白い。
無論、即興ではなくよく練られたネタがあるのだろうが、笑い飯の二人は、よりよいボケを、相手より面白いボケを、と競い合っているようでもある。
天坂寝覚との連れ句はいつも笑い飯の漫才を思い出させる。
よい相方、よい句友の存在が、連れ句という装置を通して、より高い次元へと自分を導いてくれるのだ。

次回は、そうした句友たちとの研鑽の場であった「鉄塊」を読む〔1〕。

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