2015-11-15

〔今週号の表紙〕第447号 てのひらの北風 中嶋憲武

〔今週号の表紙〕
第447号 てのひらの北風

中嶋憲武



1963年の冬の土曜日の午後、たしかにこの場所を通った記憶があるんだとあなたが言ったから、わたしもなるべくその記憶に沿うように、心を蝶にしてみたんだけど、それはわたしの限界だった。1963年なんて、それこそ父母未生以前の事をやぶから棒に言われたって。そんな事アンリ・ミショーだって書いてないんだ。

四半世紀も歳が離れてる。白髪混じりの長髪を、あっちやったりこっちやったりしながら、まだ考えてる。

この変電所の壁、見覚えがあるんだけどな。この白い二本のパイプとか。

その壁は一様に黒ずんでいて、ところどころ不気味なしみもあるし、罅割れや、近くの電線の影がぬらぬら横切って、有刺鉄線が貼り付いてるみたいに見える。わたしからすればまるで創造性の片鱗もない、融通の利かない極めて官僚的な建物だった。

不条理を寄せ集めて出来てるみたいだよ。

わたしがそう感想を洩らすと、あなたは八の字の眉毛をこれ以上下がんないってくらい下げて、わたしを振り返り歩みを止め、わずかににやりとし、文学的な表現は俺には分かんねえなと言って歩き出した。

北池袋の変電所は彼にとって、1963年の冬の土曜日を思い出させるイコン的な何かなのだ。そう認識しつつ、線路沿いの道を歩いた。菱形の金網フェンスに、四本の指をひっかけながら、金網の凹凸を楽しむかのように歩いた。初冬の金網は冷え冷えとしていて、気持ちがよかった。金網に触れずに自由となっていた親指の指紋の渦だけが、微かな北の風を感じ続けていた。



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