2015-12-20

名句に学び無し、 なんだこりゃこそ学びの宝庫(20) 今井聖

名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (20)
今井 聖


 「街」第114号より転載

蚤虱馬の尿する枕もと 松尾芭蕉 
「芭蕉自筆本。曽良本」(1689年)

なんだこりゃ。  

ノミシラミウマノバリスルマクラモト

いやあ、ついに「なんだこりゃ」に芭蕉が登場することになりました。特筆すべきです。

『奥の細道』の途次、芭蕉は平泉から鳴子を過ぎて尿前の関にさしかかり、堺田に出て封人の家(国境警備の人)の家に宿を借り、三日ほど逗留する。その折の句。

芭蕉は俳聖にして『奥の細道』はまさに俳人の聖書。

一方で虚子編の「花鳥諷詠」と朱書された歳時記も現在の俳壇に於ける正真正銘の六法全書であってこれに出ていない季語は季語ではないと言われ、即ち俳句ではないということに相成る。聖書はさまざまな解釈や理念を引き出すことが可能だが、六法全書は字義通りにやらなきゃ法律違反だ。どちらかと言うとこっちの方が始末に終えないな。

芭蕉作のあらゆる句に多くの評釈がなされていて、研究者もヤマほどいる。楸邨も芭蕉研究をライフワークとしたが、訓古注釈の学とは一線を画して芭蕉の「発想契機」ということに的をしぼって奥の細道を何度も歩き研究者というより実作者の側から芭蕉論を書いた。『奥の細道吟行』(上・下)(平凡社)は弟子からの贔屓目ならずとも名著の呼び声は高い。

芭蕉の評価については今更言うまでもないが、談林の言葉遊びというか、俗情というか俗的機知というかそういうさまざまな低俗、月並みに異を唱え、能楽だの和歌だの漢詩だの自分が武家に育った知識を持ち込んで日本的美意識としての品格、「わび」「さび」の発句を発明した。

そこは時代の画期的な成果だったと思うが、その成果を今だに素材もテーマもそのまま用いている俳人が多いのはいかがなものか。「薬喰」も「北窓塞ぐ」も「猟期果つ」も芭蕉が生きていた当時のままの風情だ。

芭蕉が描いた風景や情緒がそのまま今もまかり通っていることの不思議。さらにヘンなのは芭蕉が発句の要件などとは言わなかった「季語」が今や俳句の要件と化していること。この両者については泉下の芭蕉も驚いておられるのではないか。

さてこの句、初案は、

 蚤虱馬のばりこく枕もと (伊藤風国編「泊船集」)

だったらしい。屁をこくのこく。「こく」の方が庶民的でむしろこっちの方がいいような気がする。

芭蕉はさまざまな分野から得た知識を日本的美意識として示し、俳句に品格をもたらした。そして、その一方で「俳諧は三尺の童にさせよ」と言い、初心、童心の大切さを説いた。知識の集積では足りない原初の感動というべきことの大切さを見ていたのである。

こういう句の「俗」について評釈好きの玄人に言わせると旅程の薀蓄、封人の家の歴史などをこと細かに検証した上で、俳諧味や「高悟帰俗」などを言う。どうしても一度悟った上での「帰俗」を設定したいのだ。

「俗」は本来低次元のものだというそれこそ俗な思い込みが底流にある。

この句、俳諧、諧謔の趣などと「帰俗」の設定をしないでそのまま読みたい。

蚤も虱もそこらじゅうにいて、枕元では馬が小便をするような馬屋の中で宿をとっています。という句。枕が出てくるから宿泊しているということがわかる。

藁の匂いと馬の匂いが闇に漂う。嗅覚、聴覚に直接訴える「現実」が詠みこまれている。

この句についてのどっかの学者の評釈に、まくら元とあるけれど調べたら寝ていたところから馬屋まで数メートルあるのでこれは誇張であるとあった。

学者という生物がほんとうに馬鹿だと思うのはこういうところ。

比喩や誇張は古今東西の「詩」の中心的技法でしょう。そんなこと言うまでもない。こんな論証で鬼の首でも取ったつもりなのだ。数メートル離れていることが解ったからと言ってそれが何なのだ。芭蕉句の下手な評釈はこんなんばっかだ。

現実のナマの息吹つまり眼前のものから直接受け取る感動が、インテリジェンス以上に(と言いたいが、インテリジェンスと並んで)「詩」の根幹であるということを芭蕉はこの句を通して示唆している。

老荘思想だの陶淵明だの李白だの西行だの謡曲だのを典拠とする「読み」を深く広く要求するところが芭蕉の文学性であるということは理解できるが、「知」を先立てての俳句理解も、「三尺の童」には及ばないということをこそ芭蕉は強調したかったのではないか。この句はまさに「三尺の童」。

なんだこりゃこそ学びの宝庫。

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