2016-01-31

俳壇と「悪魔界のうわさ」、加えて「石田郷子ライン」という語について 福田若之


俳壇と「悪魔界のうわさ」、
加えて「石田郷子ライン」という語について

福田若之

政治といえば、かつて藤田湘子が酔っ払うたびに繰り返し私に絡んできたことを思い出す。湘子は苦虫噛み潰したような顔で、いつもこう言ったのだ。

「一郎、俳壇は政治だ!」

それが湘子の戦争宣言だったのか、自嘲だったのか、憤懣だったのか、諦めだったのか、恐らくそれら全てであっただろう。私が返す言葉はいつも同じだった。

「先生。それは承服できません。」

湘子はそれを聞くと、いつも黙ってしまうのだった。

竹岡一郎、「『天使の涎』を捏ねてみた――北大路翼句集序論」

俳句をある種の政治から自由な仕方で捉えるために、「俳壇は政治だ」という捉え方自体を承服しないというのも、たしかに、ひとつの立場だと思う。けれど、おなじ目的から、これとは別の立場をとることもできる。たとえば、現に政治であるような俳壇というものがあることを認めつつ、そうした俳壇というものが俳句に干渉することを承服しないという立場をとることができるだろう。僕は、この文章を、そうした立場から書こうと思う。

そうした立場をとるかぎりにおいて、僕は「俳壇は政治だ」ということを認めることになるだろう。けれども、「俳壇は政治だ」というとき、僕には、それが統治された政治だとはとても信じられない。もし、そうであったなら、まだしも改革の可能性があっただろう。けれど、思うに、それは統治のない政治であって、無数の噂からなるテクストでしかないのだ(「我が名はレギオン、我ら多きがゆえなり」。ここでは聖書に出てくる悪霊だけではなく、『ガメラ』シリーズに登場する同名の怪獣のことを想起してもらってもかまわない)。

俳壇とは噂の束だ。それはたとえば、どこそこの結社で今度誰それが新人賞をとったらしいとか、権威ある誰それがある季語について公共の場で間違ったことを言ったらしいとか、誰それと誰それの仲がどうこうなったらしいとか、誰それの今度の句集は読んでおいたほうがいいらしいとか(けれど、何のために「読んでおいたほうがいい」というのかといえば、大体の場合、話題についていくためなのだ。そうでなければ、みんなが同じ句集を読まなければいけないどんな理由があろう)、そうしたもろもろの情報から作り出される巨大な像に過ぎない。俳壇に居場所をもつとは、こうした話題についていくか、あるいは話題そのものになることなのだろう。

だから、もし、ただ俳壇に属したいというだけなら、噂になりさえすればよい。噂そのものに変身することだ。なにしろそれは噂の束なのだから。俳壇は民俗学的な対象となりうるだろう。

流通する噂の束が統治のない政治の場をつくりだしているという点で、俳壇は、たとえば、『デュラララ!!』の池袋にも少しだけ似ているかもしれない。『デュラララ!!』の池袋では、対立している諸勢力のうち、散逸している情報をいち早く正確なかたちで手に入れられた者たちが有利な立場につくことができる。そして、噂が最もよく集まる先は、しばしば、彼ら自身が噂になっているような者たちなのである。こんなふうに、超人的な能力を持つ者たちが跋扈しているにもかかわらず、そこで展開されているのは究極的には常に情報戦なのである。そして、こうした状況において、たしかに「情報屋」がそれらの噂の束のなかで暗躍することになるのだが、その「情報屋」にさえ、すべてをコントロールできるわけではない(もしかすると、『週刊俳句』がコミュニケーションの場として抱えている危うさは、 『デュラララ!!』に登場する「ダラーズ」――統率のない、出入りの自由な、色のないカラーギャング――の危うさといくらか似たものなのかもしれない。ただし、『週刊俳句』と「ダラーズ」の重要な差異として、さしあたり匿名性の度合いが違うことを挙げておく必要はあるだろう)。

俳壇はまた、次のように理解された「ビックリマン」にも似ているのではないか――
①シールには一枚につき一人のキャラクターが描かれ、その裏面には表に描かれたキャラクターについての「悪魔界のうわさ」と題される短い情報が記入されている。
②この情報は一つでは単なるノイズでしかないが、いくつかを集め組み合わせると、漠然とした〈小さな物語〉――キャラクターAとBの抗争、CのDに対する裏切りといった類の――が見えてくる。
③予想だにしなかった〈物語〉の出現をきっかけに子供たちのコレクションは加速する。
④さらに、これらの〈小さな物語〉を積分していくと、神話的叙事詩を連想させる〈大きな物語〉が出現する。
⑤消費者である子どもたちは、この〈大きな物語〉に魅了され、チョコレートを買い続けることで、これにさらにアクセスしようとする。
(大塚英志、『定本 物語消費論』、角川書店、2001年、10頁)
そして、「彼らは「ビックリマンチョコレート」を買うと、〈ビックリマンシール〉を取り出し、〈チョコレート〉をためらいなく捨てた」(同前、8頁)。

この喩えにおいては、俳句は〈ビックリマンシール〉ではない。〈チョコレート〉だ。「悪魔界」がそれについての「うわさ」によってしか成立しないのと同じように、俳壇もまた、無数の噂によってしか像を結ぶことはない。〈小さな物語〉である噂が束になったとき、〈大きな物語〉としての俳壇が出現するのだ。そして、ここにゴシップというものの魅惑がある。そして、俳壇に俳句よりも大きな価値が与えられるとき、ある意味において、「俳句など誰も読んではいない」という状況が生まれる。


俳壇を宗教に見立てるならば、「その信者同士、教団同士のバランスを取るのが俳壇政治というもので、それは本来、文学とは何の関係も無い」(竹岡、前掲「『天使の涎』を捏ねてみた」)と言うこともできるのだろう。いずれにせよ、こうした意味での俳壇は、俳句とは何の本来的な関係も持ってはいないはずだ。

もちろん、噂のまったく許されない社会などというものは、窮屈以外の何物でもない。噂は噂として、おそらくは何らかのかたちで必要なものなのだろう。政治だってそうだ。だから、僕らにとっては問題なのは、本来は互いに関係の無いはずのものがどうしようもなくねばついているという状況があり、しかも、そうした全体的な状況に対してはどんな革命も改革もなしえないということだ。そして、そうした問題をどうにかしようとする言葉が、たちまち噂と して流通しはじめ、気が付くと俳壇の一部を構成してしまうということ、これが大きな問題なのだ(この文章にしても、せいぜいが対抗神話程度のものにすぎず、その問題を根本的に解決するものではない)。

そしていま、「石田郷子ライン」という言葉が、まさに僕らが置かれているこの状況のなかで、生き生きとした力を持ってしまっている。けれど、この言葉は、俳壇を構成する噂以外の何物でもない。このひたすらにキャッチーでしかない言葉は、それ自体としては個々の作家や個々の句の質を表現してなどいない。この言葉の成立に作家や句についての詳細な分析が伴っていたわけでもない。それは、いくらか操作された印象に基づいて、ただなんとなく噂としてすでに流通してしまっているだけのものに過ぎない。にもかかわらず、僕らは、たとえば『草の王』を読もうとするとき、あるいは『櫻翳』を 読もうとするとき、もはや読む前から、この噂を思い出さずにはいられない。このとき、僕らの思考に影響を及ぼしているもの、このインフルエンザ、これが俳壇だ。

筑紫磐井は、「石田郷子ライン」という表現が「李承晩ライン」に基づくことを確認しながら、「こうした民族主義的愛国運動と結びつけて石田郷子に「ライン」を付けるのはかわいそうであり、むしろまだしも金子兜太ラインや夏石番矢ラインの方がふさわしいような気がする」(筑紫磐井、「句集・俳誌・BLOG渉猟(7)~週刊俳句~」)と書いている。けれど、「かわいそう」という以前に、そもそも「ライン」という言葉がこうした文脈で用いられてしまうこと自体に、あるいは、こうした言葉が公然と価値あるものとしてまかりとおってしまうこの俳壇という場自体に、もっと重大な問題がある。この隠喩は、作風の問題を、俳壇における領土問題ないしは利権の問題に、すなわち、政治の問題に還元してしまうのだ。

李承晩ラインとの類比を前提とした場合に想像されるのは、「傾向を同じくする俳人たちが横並びに手をつないでラインを形成している」というようなイメージでは全くない。この隠喩が喚起するのは、「石田郷子がわがものとしている何らかの空間があり、その空間へ入り込んでしまった作家たちがことごとく〈拿捕〉されて帰ってこない」というイメージだ。

だから、この語の発案者である中原道夫が、〈黄落期郷子ラインを踏まず行く〉 と、もし冗談ではなく本気で書いているのだとすれば、それは石田郷子ラインを踏み越えると〈拿捕〉されると考えているからだとしか、僕には思えない。中原道夫にとって、石田郷子ラインとは、他の誰かが勝手に陣取って自分のものにしてしまっている排他的経済水域の境界線以外のなにものでもないのではないか。いずれにせよ、ここで、「黄落期」という季語は、「踏む」という動詞の縁語であるからだけでなく、俳句形式ないしは俳人たちの秋=没落fallを暗示しようという意図を持って配置されているように見える。

だが、こうした〈拿捕〉は、まったくのところ、この「石田郷子ライン」という語の流通がもたらしたものなのだ。いまにして思えば、「誰が石田郷子ラインに属しているのか」を問い、その名を挙げることこそが、「石田郷子ライン」というレッテルによって、作家たちをこの噂に縛り付けてしまうことにほかならなかった。そして、それを大々的に「やっちゃった」(上田信治、「【週刊俳句時評80】 "石田郷子ライン"余滴」)のは、発案者の中原道夫よりはむしろ上田信治だった。ひとびとが、〈拿捕〉された作家たちの句を読みながら石田郷子の名を噂するようになったのはこのあとだ。けれど、石田郷子自身はこの〈拿捕〉に加担してなどいないことは、いくら強調してもしすぎることはないだろう。

皮肉なことに、 石田郷子ラインは、その実体化の過程も、李承晩ラインと似ているように思われる。 まず最初に何らかのラインが考えうるものとして提示された。だが、このときはまだ、ラインは実体を伴ってなどいなかった。それをもとに〈拿捕〉が行われたことによって、ラインははじめて実体を得て、人々のありかたに影響を及ぼしたのだ。

けれど、こんな噂は、もう、やめにしないか。もちろん、もし、ある世代の作家たちに何らかの作風の傾向がみられるのなら、それについての実質的な検討は意義をもちうる。決してそのことを否定するつもりはない。「石田郷子ライン」という言葉の上になんとか実質的な検討を立てようとしたもろもろの議論のなかには、きっと、この言葉を抜きにして価値ある箇所があるだろう。もしかすると、個々の句に驚き、感じ、あるいは打ちのめされながら、自然と「石田郷子ライン」という言葉を忘れて語ってしまったような箇所に、それはあるかもしれない。それを再び見いだすためには、「俳句の現在を考えるよいヒントになると思う一方、物言いとして悪く効きそうなので、マッチポンプを、すなわち放火と消火を同時にすることを試みた次第です」(上田信治、「【週刊俳句時評79】 "石田郷子ライン"……?――(後編)いささかマッチポンプめくが、それを叱り言葉やあざけり言葉にしてしまうのは、どうかと思う」)という、上田信治の必ずしも果たされなかった試みの意図を、今一度、汲む必要があるだろう。

だから、僕はすべてをなかったことにしなければならないなどとは考えない。もし、何らかの作風が検討に値するというのなら、より正確にそうした検討を行うためにこそ、つまり、ちゃんとした検討をはじめなおすためにこそ、そろそろ「石田郷子ライン」という言葉から自由になる必要があるのではないかと、そう言っているだけだ。根も葉もない噂話に花を咲かせても、そこに実りはないだろう。「石田郷子ライン」という言葉を先に立てて、そこにもろもろの作品を縛り付けるのではなく、まず作品に根づき、根を伸ばしながら、批評の言葉を茂らせる必要がある。

人間の思考はすべて言葉によるものでしかないとまでは言わないけれど、言葉が人間の思考を方向付けてしまうというのは確かなことだ。だからこそ、もっとちゃんとした根拠のある、もっとちゃんとした言葉が必要だ。純粋に俳句について考えようとしている書き手たちが、この言葉のせいで、知らず知らずのうちに俳壇‐政治に足をとられてしまっているような事態をみるのは、僕にはもう耐えられない。

さいごにひとつだけ。子どもの頃に通っていた床屋さんは、散髪の後、いつもビックリマンチョコをくれた(ちょうどリバイバルしていたのだ)。僕は、あの乾いたウエハースとチョコレートがけっこう好きで、その味はいまでも思い出せるのだけれど、どんなシールがついていたかは、もう忘れてしまった。

1 コメント:

しのだ さんのコメント...

興味深いですね。「石田響子ライン」というワードについて気になることといえば、むしろそれが女性に限定されているような扱い方のほうですね。実際の、性別関係なくこれに連なるような方は多いかと思いますが。揶揄的な意味ではなく、ひとつの傾向として議論の意味はあると思います。