2016-03-13

【週俳2月の俳句・川柳を読む】ひとりの俳人と十の作品 瀬戸正洋

【週俳2月の俳句・川柳を読む】
ひとりの俳人と十の作品

瀬戸正洋


名前に惹かれてしまった。遠い遥かなものに向って呟いている。そんなイメージなのである。だが、遠い遥かなものに向うとは、海の果てだとか、砂漠の果てだとか、宇宙の果てなどに向うことなのではない。ただ、ただ、現実に向うことなのである。日々の暮らしの中で普通に出会う、一見、詰まらなそうな出来事こそ、俳人が呟く遠い遥かなものなのである。

映像のをさなき俺が東風に揺れ  トオイダイスケ

映像とは残酷なものだ。真実だけが映っているからである。真実とは残酷なものなのである。懐かしく美しかった記憶など、ものの見事に打ちのめされてしまっている。作者は、こんなはずではなかった自分を見つめ「をさなき俺」などと嘯いているのである。だが、映像であるが故に、幼き頃、東風に佇んでいる自分を知ることもできたのである。

堅香子の故郷に怖き地の残る  トオイダイスケ

堅香子の花の咲く季節に、何か怖い経験をしたのである。その場所は、現在であっても残っている場所。私は「とおりゃんせ」の詞を思い出している。江戸時代から伝わるわらべうたである。川越城内にある天神様だからなどと言ったら身も蓋もない。じっくり、詞を眺めてみればいいのである。天神様の細道に堅香子の花が咲いていたのかも知れない。経験の少ないものの行為の残酷さ、「わらべ」とは、一筋縄ではいかぬ無気味なものなのである。

花樒土に声ことごとく吸はれ  トオイダイスケ

樒とは、全てに毒成分があり墓地や境内によく植えられているものだという。ひとの声とは空に消え去ってしまうものではなく土がことごとく吸い込んでしまうものなのである。寺社の境内にある特別な土だからではない。地球に住む私たちの声なのである。宇宙に放つより自分たちの地球に吸ってもらった方がいいに決まっている。苦労しているのはひとだけではない。植物も、地球も、宇宙も、誰もが苦労して生きているのだ。

舌の裏熱し辛夷に俄雨  トオイダイスケ

熟したのは舌の裏なのであるから、正義に反するようなこと、ろくでもないことを話そうと決意したのだろう。それでも熟考はしたのだ。にわか雨となった。辛夷の花が咲いている。

春驟雨窓越しに島古びゆく  トオイダイスケ

窓越しに島があり、その島が古びていくような感情に包まれた。古びていくとは、過去に向って進んでいくのではなく取り残されてしまっているということなのである。その感情に作者が包まれたのは、何もかも、春のにわか雨のせいなのである。

蜃気楼死の前日も人眠る  トオイダイスケ

地上や水上の物体が浮き上がったり逆さまになったりする現象を蜃気楼という。

私には、とても、そう思うほど、努力が足りないし、真剣に生きてはいない。それでも、敢えて言えば「死」とは、自然現象のひとつなのである。

物体が浮き上がったり逆さまになったりすることも自然現象のひとつなのである。死の前日に、ひとが眠ることも自然現象のひとつなのである。

暮春かつて祖父居し部屋に日の暮れる  トオイダイスケ

私は祖父についての記憶がない。二歳か三歳のときに亡くなったと聞いている。祖父の顔は、よく知っている。それは、遺影を毎日のように眺めていたからだ。そういう環境に育ったということなのだろう。この作品を読み、私は祖父について、遺影以外に何の思い出もないことに気付いた。私にとっては「父居し部屋に日の暮れる」ということがこの作品から得たイメージだ。亡くなった父が、父の部屋で何かをしているうしろ姿を思い出したりしている。

曲終はり友は寝てをり春灯  トオイダイスケ

音楽を聴いている。ラジオから流れている音楽を聴いていたのかも知れない。聴衆の拍手も終わり、ふと、振り返ると、いっしょに聴いていたはずの友は眠ってしまっている。春灯とあるので、友とは女性であるのかも知れない。

野に遊ぶ着の身着の儘来し友と  トオイダイスケ

「着の身着の儘来し」とあるので普通の状況で来たのではないのだろう。順風満帆な人生など錯覚以外の何者でもない。だが、障害は多くても「春灯」の作品よりも一歩も二歩も進んでいるのかも知れない。その彼女と野に遊ぶのである。野に遊ぶことだけを考え、その時を思い切り楽しむ。先ことは何も考えず、今を大切に生きる。それが、唯一、未来を開く道なのである。

寝ないでも死なない穴を出て蛇は  トオイダイスケ

眠らなくても穴の中に、ある期間、居さえすれば死ぬことはない。穴を出た蛇は目の前を横切っていったのではないか。冬眠とは、そういうものなのであると言っている。誰にでも眠ることの出来ない夜はあるのだと思う。精神が高ぶっていたり、心配事があったり、休日だからといって眠り過ぎてしまったことなども原因のひとつなのだろう。そんな時、私は眠ることができなくてもいいのだと思うようにしている。ただ、ただ、蒲団の中で朝を待てばいいのだと。そう覚悟を決めれば、多少は楽になれる。

そんなときでも、何故か、頭は動いているのである。覚えていることもあれば、すっかり忘れてしまっていることもある。眠ることができず、うつらうつらしているときに、考えていたことを振り返ってみると、少し現実とはずれていることの方が多いのである。

私は嫌われている。相手が私のことを嫌いなのだから、私も嫌いなのは当然の話なのである。だが、相手は私が嫌っていることに気が付いていない。つまり、私はたいへん孤独なのである。蒲団の中とは、私にとって悶絶する場所なのかも知れない。私の現実は、たっぷりとずれている。つくづく、情けない人生だと思う。


第459号 2016年2月7日
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