2016-06-19

【八田木枯の一句】傘と傘殺ッとふれ合ふ櫻桃忌 角谷昌子

【八田木枯の一句】
傘と傘殺ッとふれ合ふ櫻桃忌

角谷昌子


第六句集『鏡騒』(2010年)より。

傘と傘殺ッとふれ合ふ櫻桃忌  八田木枯

6月19日は小説家太宰治の忌日。6月13日、三鷹市の玉川上水に山崎富栄と入水し、19日早朝、下流で遺体が引き上げられた。19日は太宰の生誕日であり、忌日でもある。小説家の一生と呼ぶにふさわしい、不思議な因縁だ。

三鷹市下連雀の我が家は、入水地から歩いてすぐ近く。太宰の流された上水に沿って井の頭公園まで、豊かな緑を眺めながら、よく散歩している。玉川上水は、かつては水流が豊かで、たまに洪水を起こし、多くの人命が失われたこともあった。公園には、その受難碑が立っている。だが今では小流れになってしまい、昔日の面影はない。

太宰の墓のある禅林寺では、毎年「桜桃忌」が修され、全国からファンが集まる。墓にはさくらんぼのほか、カップ酒や煙草なども供えられる。これに対して、向かいの森鷗外の墓は、いつも取り残されたように暗くひっそりとしている。

芥川賞受賞作家の又吉直樹が太宰の熱烈な読者であることが評判になり、若い人たちが再度太宰に注目したこともあって、人気は衰えを知らない。毎年、桜桃忌には、さまざまなイベントが行われ、今年も資料展示、朗読会、ゆかりの場所散歩会、記念品販売会と盛りだくさんの予定だ。こんなに集客数が多く、盛況を喫するとは、太宰もびっくりだろう。

掲句、〈傘と傘殺ッとふれ合ふ櫻桃忌〉は、すれ違いざまに触れ合った傘と傘の立てた音を「殺ッ」というオノマトペで捉えた。何事もなかったように、両者は傘を立て直しながら、別々の方向へ去ってゆく。後姿が雨にけぶるばかりだ。だが、一瞬の殺気を作者は見逃さなかった。

桜桃忌に雨の降る確率は非常に高い。梅雨のさなかだから当然なのだが、雨にたたられる梅雨寒の天候は、どこか太宰の境涯にふさわしい気がする。

太宰は二十歳でカルチモンを大量に服用して自殺未遂を図り、それ以降も心中を繰り返す。死への衝動「タナトス」の権化だった太宰は、生涯、死や虚無に耳元でささやかれていた。「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」は、井伏鱒二が唐詩選の五言絶句を訳した言葉だ。この言葉が太宰の一生を支配した。

掲句の「殺ッ」は、「タナトス」の舌打ちのようでもある。瞬時に人間の心をわしづかみにして、かの世に攫うことのできる呪文だ。この呪縛から逃れきれず、太宰は昭和23年、39歳の生涯を閉じた。

吉本隆明は、太宰作品を「人間洞察を深めてゆく大作家の道のりも、人間と人間との関係の仕方に狎れた風化への道のりをも、示さなかった」と評する。太宰は、常に人間とは怖ろしいとの怯えにさらされ、自分が「人間失格」だという危機感を抱いてすくんでいた。「死」こそ狎れあうことのできる、心の平安だったのだろうか。

太宰は、「われは弱き者の仲間。われは貧しき者の友。やけくその行為は、しばしば殉教者のそれと酷似する」「おれは滅亡の民であるといふ願望一つである。おのれひとりの死場所をうろうろ探し求めて、狂奔してゐただけの話である」と書く(「花燭」)。太宰にとってすべてのやる気を失う「トカトントン」の響きも「殺ッ」という虚無の声と同一のものだったのだろう。

大戦後、焼け跡で人々の心は虚無に満たされ、「タナトス」があらゆる場所にはびこっていた。その中で、虚無を綴る太宰の文学は、読者にとって、聖者の作品のように映った。やがて世の中は物質的な豊かさを享受して、「タナトス」よりも「エロス」がもてはやされるようになる。それにつれて、日本文学は痩せていったような気もする。

いまでも太宰が若者のあいだで人気を保ち続ける理由の一つは、「タナトス」の深淵をだれもが心のどこかに抱いており、その暗さが太宰文学と響き合うからだろう。吉本隆明が言う、「風化」や「円熟」に至らない者たちにとって、「エロス」では埋めきれない日常の哀しみに、太宰の作品は寄り添ってくれる。「殺ッ」の響きが身ほとりから消えない限り、太宰は読者にとって、虚無の聖者であり続けるに違いない。


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