2016-07-31

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】雑感「かの夏を想へ」 瀬戸正洋

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
雑感「かの夏を想へ」

瀬戸正洋


西原天気の「かの夏を想へ」は、俳句同人誌『連衆』第72号(西暦2015年10月)より転載されたものである。代表は谷口慎也であり、たまたま、私も俳句と雑文を書かせてもらっている。つまり、この作品は、二度、読む機会に恵まれたことになる。先日、川村蘭太、富樫鉄火両氏を中心とする、『連衆』東京句会に参加した。その日の句会の兼題のひとつに「映画」があり作ることに苦労した。私は「かの夏を想へ」を思い出し、彼に倣って人名を入れ、何とかかたちを整えて出句した。その結果、川村蘭太特選を得た。

川のみづ海のみづ夏ゆふべかな  西原天気
眼底に焼き付けたまへほら菅井きんそつくりに暮れてゆく街

川のみづ海のみづから山のみづを連想することは容易い。すべての源なのである。夏のゆふべというのも、みづに相応しい気がする。そこで、菅井きんそっくりに暮れてゆく街を眼底に焼き付けなさいとくる。おだやかな風景を菅井きんが少しずつ侵していくのだ。

終バスの煌々とあり夏は来ぬ  同
アート紙にかすかな湿りその一枚一枚に棲む浅丘ルリ子

誰も乗らぬバスは灯りを落とす。客を乗せるため最終バスには灯りが煌々と点っている。最終バスに間に合ったという安堵感を感じる。夏は来ぬという表現からおとこの体臭、あるいは汗を感じる。それが、かすかな湿りその一枚一枚に棲むと繋がっていくのだが、アート紙としたこと、その一枚一枚に浅丘ルリ子が棲むとしたことに、このひと独特のイメージが育つすがたを感じる。

虻は宙に停まれり蓮の真上なる  同
季語として五月みどりの遍在をつくづく思ふ蒲田駅前

五月みどりへの遍在はこのひとにあるのだ。蒲田駅前であることは偶然なのか、あるいは、作者の意思なのか。虻が宙に停まり蓮の真上にいることは蓮の意思であることは決まっている。

クーラーのリボンへろへろ純喫茶  同
あぢさゐに囲まれてゐるあぢさゐのさなかに眠れ徳川夢声

昭和の頃、商店街には純喫茶と看板を掲げる喫茶店が何軒もあった。クーラーにリボンが付いていることも昭和らしい。徳川夢声とあぢさゐとの関係は知らない。墓地のある多磨霊園があぢさゐで有名であるかないかも知らない。ただ、徳川夢声には、あぢさゐが相応しいと思っているのなら、「クーラーのリボンへろへろ」としたこともこのひとらしい発想であると言えるだろう。

戦争と三愛ビルの水着かな  同
四角くて丸い世界の中心に馬場正平がゐた熱帯夜

四角い世界ならあたりまえのことなのだが、四角くて丸い世界としたことに何かがあるのだ。戦争に三愛ビルの水着と置いたことにも何かがあるのだ。その答えとは、ジャイアント馬場のゐた時代ということになる。このひとは世の中が右に動き始めたのか、自分が左に少しずつ傾きはじめたのかが解らなくなってきていると思う。

始発まで寸時のねむり水中花  同
ならばカギ括弧に入れて「トニー谷」さあ革命の準備はできた

若者たちが眠っている。始発までのすこしの間。そこに場違いな水中花を置く。リーダーは何をするのか、どこへ行くのか知っている。だが、眠っている若者たちは何も知らないのだ。若者たちはひたすら仮眠を取る。もちろん、トニー谷も仮眠を取る。だから、このひとは、トニー谷をカギ括弧の中に入れたのである。

蘭鋳の正面といふ奇妙な町  同
茅場町あたりのビルのそのうへを反重力の清川虹子

反重力だからビルのそのうへなのである。蘭鋳は清川虹子に似ている。奇妙な町とは茅場町。蘭鋳の正面だから奇妙な町なのである。不快なとき、何故かもやもやしているときは反重力に身を委ねたい。

ゆく夏を時計廻りに秒針は  同
牛乳を飲み干せどなほ哀しみのいや増す笠置シヅ子はいづこ

秒針が時計回りでなければ、牛乳を飲んでも悲しみは増さないのである。このひとはあたりまえのことをすることが嫌いなのだ。秒針の速度でもブギウギのメロディーは流れる。昭和二十年代を代表する歌謡曲である。

たはむれのプールの底で目をひらく  同
谷啓を永久の課長と思ふべしオフィスに並ぶデルのパソコン

プールの底にいることがたはむれなのである。たまたま、目を開くとデルのパソコンがオフィスに並んでいる光景が脳裏に現れた。もし、「連衆」東京句会に、この作品を出したら、谷啓が課長役で出演した映画の話がいくらでも出てくる。「連衆」東京句会とは、そのようなひとたちの集まりなのである。

わが未来つひに輝くことなし蚊  同
その場合まさか桜井浩子などゐるはずもない夜明けの日比谷

誰の未来も輝くことなどありはしない。その未来には蚊が待っていて、私たちを刺すのだ。このひとは、夜明けの日比谷に科学特捜隊のフジ・アキコ隊員がいて欲しいと願っている。

はつあきのちいさく雨の降る日かな  同
かの夏を想へば菅井きん状のものが記憶の襞に滲み出す

このひとが菅井きんのことを、どれだけ好きなのかは知らない。何が好きなのかも知らない。中村主水をいびる姑役の中村せんの容姿を思い浮かべていれば十分であると思っている。ちいさく雨の降るとは、旧盆前の辰の刻あたりの小雨であり巳の刻にはすっかり晴れてしまう、そんな雨だと思っている。中村せんの容姿が私の記憶の襞に滲み出す。このひとは、自分を貶めたいと願っているところがあるような気がする。自分自身を確立したいと願うことなどさらさらない。そこのところが非常に魅力的であると思う。このひとは、私たちの知らない何かを持っている。だから、四十八文字を使い、自由に遊んでいるのだ。

人名を入れて作品に仕立て上げたとき、その女優でなくてはならないという理由は何もなかった。無意識のうちに、その女優の名前が浮かんだのである。だが、そのとき、苦吟している自分を思い返してみると、その女優の名前が浮ぶ、いろいろな伏線のようなものがあったことに気付く。句会のあと茶話会と称し日本料理居酒屋「松兵衛」で懇親を深めた。隣に座ったのは、西日本新聞に「俳句遊びノススメ」を連載している宮崎直樹であった。何かを持っているひとたちとの世間話は、たいへんに面白い。お開きとなり、地下鉄で飯田橋駅まで出て、御茶ノ水駅、東京駅へと乗り継ぎ、東海道新幹線に乗り帰路に着いた。



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