2016-07-31

〔その後のハイクふぃくしょん〕ステージ 中嶋憲武

〔その後のハイクふぃくしょん〕
ステージ

中嶋憲武


スタンドマイクの前に立つと、雨の音が聞こえた。雨音と思ったのは、拍手の音だったのかもしれない。

振り切ろう。るんなを見ると、Bのコードを押さえて、人差し指で、ふわっとセーハした。るんながこちらを見た。みこもこちらを見た。三人、目で合図しあって、るんなのギターは、のっけから釈迦力。ディストーションのたっぷりかかった怒りの三連。わたしは白夜の怪鳥のような叫びを挙げた。


二月のからりと寒い夜。学校の帰りに、駅前のミスタードーナツで、このたびの文化祭への参加と、どういう曲をやったらいいのか、ミーティングを行った。文化祭は六月の第一週の土曜日曜と二日間ある。二日目の講堂でのステージに、有志バンドとして立つ事に決めたのだ。

わたしの通っている麗響女子学院は、横浜の海の見える高台にある。周囲には伝統ある名門校として聞こえていて、文化祭には父兄も大勢来る。そういった父兄達も楽しめるステージとして、わたしはビートルズを考えていた。

父は中学の頃からビートルズを聴いていて、今でも休みの日などに聴いている。よくテレビの街頭インタビューなどで、ビートルズをどう思うかと尋ねられた中年男性が、青春でしたと、あくまでも過去形で答えたりしているが、父はそうではない。現在進行形なのだ。父にはビートルズ周期というものがあって、無性に聴きたくなる時期と、そうでない時期が半年に一回くらいの割合で交互にやって来るのだと言う。

そんな父の影響をモロに受けているわたしは、ポールの大ファンな訳で。

担当の楽器はベースギターで、ヘフナー500/1を使用している。レフティーのヘフナーだ。もともと右利きだったのだが、ベースを弾く時だけは、左利きになる。練習した練習した。その方が、ギターとベースのネックが両方に開いて、バンドの見た目も面白いし、何よりもポールが左利きであったからなんだけど。

わたしたちのバンドは、中学から同級のるんながギター。同じクラスのみこもギター。みこの友達の三組のありさがドラム、ありさの後輩の一学年下のシャンディーがキーボードという五人編成だ。シャンディーとは本名で、ママが台湾人、パパが日本人のハーフで、ありさの小学校からの知り合いらしい。今すぐにでもモデルとして、きっと通用する、すごい美人だ。

当初から洋楽でやろうという事は決まっていたので、何をやるかだ。るんなはグリーンデイがいいと言い、みこはニルヴァーナがいいと言った。ドラムのありさはトイドールズ、キーボードのシャンディーはラモーンズと言う。

見事に意見バラバラ。わたしはビートルズなんてどう?と言ってみた。
「ビートルズぅ~?」ほとんどユニゾンで返答された。
「オールディーズは、みんな知ってるから、難しいんじゃないのお」
「そうそう。超有名なグループだけに、それぞれ思い入れもあるし、聴き比べられちゃうよ」
ありさとシャンディーが共闘して、反対してきた。
「みんなが乗れる曲がいいんじゃないの。うわっ、べとべと」るんながハニーディップをちぎりながら、もそっと言う。
「そうだよ。乗りが大事だよ」そう言ってみこは担々麺を啜った。
「みんな、ビートルズにどんなイメージ持ってんの?」わたしは聞いてみた。するとイエスタデイとかレット・イット・ビーとか、イェイイェイ言ってるだけ、教科書的に退屈とか抜かした。
「なあんだ、みんなビートルズ知らないんじゃん。有名どころしか聞いてないんじゃないの?」と言うと、るんなが指を舐めながら、わたしはビートルズでもいいと思うよと、ぼそぼそっと言い、乗れる曲ならねと付け加えた。ギターが滅茶苦茶巧みな、るんながそう言うと、なんとなく流れはビートルズという事になって来たので、予てから用意してあった曲のリスト十曲を、みんんなに見せた。

ビートルズ選曲リスト①レボリューション②あたしの車の③ヤー・ブルース④ヘイ!ブルドッグ⑤そして君の鳥は歌える⑥ペイバーバック・ライター⑦道路でやろうじゃないか⑧私と私の猿以外は誰でも隠し事を持っている⑨すべて素晴らしすぎる⑩誕生日
リストの曲を、みんなほとんど知らなかったが、ありさが、椎名林檎がカヴァーしているヤー・ブルースは知っていると言った。
「十曲やるつもりなの?ステージの持ち時間、何分だっけ?」
「三十分だったかな。あ、大丈夫だよ。ヤー・ブルースは四分くらいだけど、ほかのは三分ないか、三分程度だから」

ありさとそんな会話をしてから、「この十曲は、全部ユーチューブで聴く事が出来るから聴いてみて」とみんなに言い、それを次のミーティングまでの宿題にして、その日は解散したのだった。

二曲目のヤー・ブルースを、ギターのるんなが歌い出すと会場の千二百人は、しんとなった。るんなのギターが、のったりと始まったからだろうか。それとも歌詞のせいだろうか。

 そのとおりだ/わたしはさびしい/死にたい/
 そのとおりだ/わたしはさびしい/死んでしまいたい/死んだも同然だが/
 朝には/死にたい/夜には/死にたい/死んだも同然だが/OH GIRL/なぜこうなったのか
 その理由は/きみにはよくわかっているはずだ

この曲はずっと、「死にたい」「自殺したい気分だ」と歌う。二曲目に持って来たのは、失敗だったかなと軽く後悔する。

ゴンゴンとベースを鳴らしながら、千二百人ほどの観客を見渡す。お父さんは、…見つからない。来てないのかな。座席の最前列から三列目にタカトが来ている。うっとりとした感じで、るんなを見ている。練習もよく見に来ていた。わたしがじっと見ていると、目が合って、照れたようにすこし笑った。キュートだ。

バンドの練習が終ると、わたしたちはよくサイゼリヤへ行った。その日はタカトが見に来ていた日で、るんなにくっついて来た。

サイゼリヤは混んでいて、六人席は取れず、三人席を二つ用意された。わたしとるんなとタカトと、みことありさとシャンディーで別れた。

オーダーを終えると、タカトは、ずいぶんヘヴィーな曲をやるんだねと切り出した。ヤー・ブルースのことだ。
「そう。スーサイダルな歌詞だからね」
「スーさん?」
「スーサイダル。自殺したい気分」るんながタカトの隣で、タカトにちょっと身を寄せて言う。
「へえ、そんな内容なんだ。ミスタージョーンズって誰?」歌詞のなかに出て来る固有名詞だ。
「ボブ・ディランの歌に出て来る男性の名前らしいよ」ジョン・レノンはボブ・ディランに結構憧れていたフシがある。
「ボーカルを取る上で、ちょっとはっきりさせて置きたい事があるんだけど」るんなが切り出す。
「そのボブ・ディランの曲、やせっぽちのバラードに出て来るジョーンズって、ブライアン・ジョーンズの事だって聞いたような気がするんだけど、そうなの?」ブライアン・ジョーンズはローリング・ストーンズの創設者であり、自宅のプールで謎の死を遂げた人物だ。
「違うと思うよ。ブライアン・ジョーンズが死んだのは、この曲の発表時期より、ちょっと後だと思ったな。だから関係ないんじゃないかな」
「ああ、そうなんだ。じゃ、やせっぽちのバラードって事にしとく。せりかは流石によく知ってるね」るんなに褒められると、嬉しい。

三曲目の「ヘイ!ブルドッグ」が終っても、客席はなかなか乗ってこない。MCの時間もない。通常であれば、わたしたちのバンドには、お友だちタイムというのがあって、クイズを出したり、早口ことばを言ってもらったりして、オーディエンスとコミュニケーションを取れるのだが、とにかく今回は時間がない。

信じられない事だが、今朝、実行委員長の日野めぐみがステージの持ち時間を十分削ってくれと言ってきたのだ。OBのバンドが急遽出演する事になったというのが理由だった。すこし売れてきていて、ネットなどでも人気のバンドだという。理不尽だと日野めぐみに言った。日野めぐみは、今回の文化祭の総責任者ともいうべき赤石沢先生の言ってきた事だから、断れなかったとにべもない。結局、十曲を六曲にするという事で手を打ったんだけれど、バンドのみんなには怒られた。引くなってね。でも仕方ないじゃん。
 
という訳で、MCなしお友だちタイムなし、ひたすら急ぐステージに相成った。

四曲目の「ペイパーバック・ライター」は、わたしも好きだし、みんなも好きだと言っていた曲だけに力が入る。この曲は、ポールが親戚のリルおばさんから、「ポールは職業に関する曲を書いた事がないわね」と言われて、発奮して書き上げたというのは、あまりにも有名な話だ。

それにしても、そろそろ盛り上がってきてもいい頃。相変わらず、会場は静かだ。

コーラスは単に「ラーラーラー」と歌っているのかと思ったが、ジョンとジョージは「フレール・ジャック」を歌っているのだった。「フレール・ジャック」または「アー・ユー・スリーピング」または「鐘が鳴る」または「グーチョキパーで何つくろう」などの名で知られている歌だ。わたしがボーカルを取るので、みことるんな、ありさ、シャンディーに「アー・ユー・スリーピング」の歌詞をコーラスしてもらう事にした。なにしろブラザー・ジョンなのだから、そう歌って欲しかったのだ。

この曲を数日前、音楽室で練習している時、赤石沢先生がふらりとやって来て、わたしたちの様子を見ていた。四十をとうに過ぎているが、独身の先生は、どことなく浮世離れしている風情があって、少女のような感じもある。普段、会話をしていても、どこかピントがズレていて、少しく緊張感を持って対峙せざるを得ない先生だ。

練習を終えて、機材を片付け始めると、赤石沢先生が近づいて来て、わたしたちの誰にともなく、よく通るゆっくりとした口調で聞いた。
「いい曲でしたね。その曲、おやりになるんですか」
「まあ、やらないという事もないんですが。まあ、その、神のみぞ知る、です」一番近くで片付けをしていたシャンディーが答えた。その答えの何がおかしかったのかは、知らない。赤石沢先生は口に手を当てて、ホホホホとS字を描くような響きの笑い声を立てた。

シャンディーの答えは、当たらずと言えども遠からずで、話し合いによっては、ペイパーバック・ライターも没になっていたのかもしれないのだから。
「他に何を演奏なさるの?イエスタデイ?」
「やりません」みこが答えた。
「レット・イット・ビーは?」
「やりません」ドラムスティックを、大きな胸の前で小さなバツの形にして、ありさが答えた。
「まあ~、ではミッシェルは?」
「やりませんの」るんなが答えた。赤石沢先生は、ゆっくりと頭を左右に振るようにしながら、しばらく間合いを計るように立っていたが、相手にされていないと思ったのかどうか、ステージ楽しみにしておりますと言うと、音楽室を出て行った。

まさか、あの時のあれを根に持っていたんでは?
「ペイパーバック・ライター」が終って、次の曲、「私と私の猿以外は誰でも隠し事を持っている」の、シャンディーが忙しなく叩き続けるカウベルの音色の合間に、ふと思ったりした。まさかまさか。

あっという間にラストの曲になった。「誕生日」という曲なので、演奏の前に聴衆に向かって、今日、誕生日の人はいますか?いたら手を挙げてみてくださいと言うと、ぱらぱらと手が挙がった。
「今、手を挙げてくれた方たちに、ささやかなプレゼントがあります」言い終るやいなや、ありさの烈火のようなドラミング。始まった。最後の熱狂が。
 YES/ぼくたちはパーティへ/パーティへいくのだ
 YES/ぼくたちはパーティへ/パーティへいくのだ
AメジャーからEメジャーへ、バンドは曲を盛り上げる。客席をふっと見渡す。ここに至ってもあまりグルーヴを感じていないようだ。さらにCメジャーへ。ありさのカデンツァが加わり、わたしはダーーーンス!と声を張り上げる。


拍手の音は、雨音だったのかもしれない。雨は夜になって、いっそう強くなった。背中のベースギターが重く感じられた。家までの道程がちょっと遠く感じられた。

ステージが終って、袖へ引っ込む時、うしろを歩いていたるんなが、失敗だったねとにこにこしながら言った。観客の反応はいまひとつよくなかった。演奏は悪くなかったと思う。一人一人のプレイは群を抜いているのだから。でも今回は、るんなの言う通り失敗だったのかもしれない。選曲が悪かった?練習不足?わからない。いいステージを終えた後に感じる、赤子のような全能の感覚はなかった。

家へ帰ると、リビングで父が夕刊を読んでいた。
「お帰り」
「ただいま」
「今日のライブ、なかなかよかったぞ」
「えっ、来てくれてたの?」
「ああ、観てたよ。なかなか力強かった。迫力あった」
「選曲がね。もうちょっと広く受ける方でまとめてたら、と思ったんだけどね」
「いや、受けてる人はいた。後ろの方はだいぶ盛り上がってたようだけど」
「次、もうちょっとがんばる」
「次はいつだ」
「夏休みのライブかな。池袋の」

とりあえず、父に観てもらえて、わりと及第だったようなので、よしとするか。

二階へ上がる時、何気なく天上を見上げると、いつ出来たのか、壁紙にうす青い蝶のような形の染みが浮き上がっていた。


雨の学祭花をつけない木ばかり太い  青本柚紀 『週刊俳句』第431号


※ビートルズの歌詞対訳は、「片岡義男訳 ビートルズ詩集1、2」に依った。

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