2016-08-07

自由律俳句を読む 146 「荻原井泉水」を読む〔1〕 畠働猫

自由律俳句を読む 146
荻原井泉水」を読む1

畠 働猫

荻原井泉水は、言わずと知れた自由律俳句の創始者である。
河東碧梧桐を中心とした新傾向俳句運動の目指したものは、「人間」の描写、暗示であろう。
井泉水はこの新傾向の開拓に努めながらも、これを「過渡時代をなすもの」と評価した。そして新傾向の句には「句の魂が缺けてゐる」と批判。句の魂とは「光」と「力」であると主張した。それらは「自然の光」「自然の力」であり、「人生の光」「人生の力」であると言う。

以下にその句の鑑賞を試みる。



▽句集『原泉』(昭和20)より【大正元年~昭和20年】

君を訪わんとおりし駅螢籠も賣る 荻原井泉水
青春の香りがする句である。
「君」は異性であろう。
この相手が男であれば、「螢籠」になど目を留めることはない。手土産にするなら酒か何か食べるものを選ぶであろうからだ。
「螢籠も」の「も」とは、「こんなものも売っているのか」という発見の驚きを表しているのだろう。
これは恋である。
恋とは、相手の価値観に触れ、その影響を受ける状態である。
それまで気にも留めていなかった「螢籠」に気づいたのは、まさにその相手の価値観の影響である。この句はまさに「恋」の本質を表現しているのだ。
私の現在も、これまでの恋が作り上げたものと言える。
恋こそは、人生における「光」であり「力」であると言えよう。



暮れしところに泊まろう稲架(はざ)も黄なる里 荻原井泉水
後の放哉、山頭火にも通ずる漂泊の心境が詠まれた句。
「稲架」とは、刈った稲を干す木組みのことである。色からして収穫を終えたばかりの景であろう。秋の喜びが里を満たしており、詠者をしておおらかな気持ちにさせたのだろう。
この句にも自然の「光」「力」を感じることができる。



小流に紫苑さく家並鐵を打つ 荻原井泉水
旅の途上であろうか。
見たことのない景であるのに郷愁を誘う。
「紫苑」は人の手によって植えられたものだろう。
川沿いに建つ家々にはみな紫苑が植えられており、遠く寺の鐘が聞こえる。
通り過ぎる道々にもこうして人の営為があり、生活がある。
私もかつて道東で働いていた時分は、札幌までの400キロを月に12度は往復していた。いくつかの町を通り過ぎ、いくつかの峠を越えてゆくのだが、その度に、どこに行っても人の営みがあり、生活があることについて、時々不思議な気持ちになった。人間の強さ、儚さを思った。



論議の中につつましく柿をむく君よ 荻原井泉水
これもまた恋の句と見たい。
女は議論に加わるべきではないという男尊女卑の句ではない。
議論はすべからく不毛なものである。
ましてや柿をむくだけで、視線は「君」に引き寄せられてしまっているのである。ここでの議論のつまらなさ、不毛さは推して知るべきである。
そんなものを軽々と超えてゆく聡明さと美しさこそが、この句における「力」であり「光」なのであろう。



一路かがやき遠くより走り來る子あり 荻原井泉水
雨上がりだろうか。日を受けて輝くまっすぐな道を駆け寄ってくる子供がいる。
「遠くより走り來る」様子には、疲れを知らぬ打算のない純真さが見て取れる。
「かがやき」はそうした純粋さ、童心の光をも表している。



水あれば田に青空が深く鋤かれある 荻原井泉水
これも人の営み、生活を詠んだ句である。
水田に映る空をただ美しいと詠むのではなく、そこに人の営為への感動を乗せている。



月を見て立ち居し子ポンと飛びたり 荻原井泉水
月の兎の真似をしたのだろうか。
それともあまりに月が大きく見えて手が届きそうだったのか。
子供の突飛な行動は、その意図がわからなくとも微笑ましいものである。
いや、意図など何もないのかもしれない。
自然と一体化した自己、自由とはそうした「意図のない行為」にあるのかもしれない。子供の持つそうした神性とも言うべきものも、「力」「光」であるのか。



月光しみじみとこうろぎ雌を抱くなり 荻原井泉水
性とはまさに「光」であり「力」であろう。
しみじみとコオロギの交尾を眺めている様子はユーモラスでもある。



此の子此の世の光を見ねば叫ぶことなし 荻原井泉水
「産児死す」と前書が添えられている。
産声をあげられなかった子への痛切な心情が詠まれている。
井泉水の求めた「光」と「力」がここには存在できなかった。無いことによってかえってその尊さが、得難さが、表現されている。
そしてその胸塞がる悲しみをこうして句にしてしまう修羅が、やはり井泉水の中にもある。



病む母の前に西瓜の種を吐きすてており 荻原井泉水
互いに許された気楽さが、軽妙に描かれている。
人生とは、生きるとはまさにこういうことであろう。
近しい者が死に瀕していても、いつも神妙ではいられない。
また、そうして心のバランスを図ろうとする力が私たちにはあるのだろう。
介護の果てに肉親を殺してしまうニュースが連日のように報道される。
私自身も母親の介護をしているため身につまされる。
現代を生きる私たちは、西瓜の種を吐き捨てるような軽妙さで心のバランスをとる力を失っているのかもしれない。



*     *     *



子規から自由になろうとした碧梧桐からもさらに自由になろうとしたのが井泉水である。自由律俳句の自由とは、既成の表現に対して常に革新を希求してゆく意志を意味していた。
それはカミュのいう「よりよくなるための機会」である。
とすれば、現代を生きる私たちが、仮にも「自由律俳句」と呼ぶものを詠むのであれば、むしろ井泉水の提唱に拘泥していてはならない。
そして山頭火や放哉の模倣から脱却しなくてはならない。彼らが未だに評価され、自由律俳句を代表する人物とされるのは、その後の表現者たちの怠慢ではないのか。

「自由」とは日々、一瞬ごとに更新されるものである。
天才にとってそれは殊更に意識するものではない。天才はすでにして自由であるからだ。
しかし未だその本来無一物の境地に至らぬ私のような凡人にとっては、先人の求めた自由を知り、相対化することも有益であろうかと思う。
よって次回もさらに、井泉水の句に触れてみたい。

井泉水が「今日は俳句の黎明時代である」と述べたのは大正2年である。
それからすでに103年が経過した。
井泉水の句は、その言葉は、現在を生きる私たちにも問うているのである。



次回は、「荻原井泉水」を読む〔2〕。

※文中の井泉水の語の引用は『昇る日を待つ間』(荻原井泉水)による。
 また、句の表記については『鑑賞現代俳句全集 第三巻 自由律俳句の世界(立風書房,1980)』によった。

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