2016-08-28

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】何度も反す八月の砂時計 1 飯島章友

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
何度も反す八月の砂時計 1

飯島章友


砂時計のくびれを落つる蛍かな  遠藤由樹子

この砂時計のなかに入っているのは、砂ではなく「蛍」の群れ。砂時計を逆さまにすると蛍は「くびれ」の上に凝集し、光の尾を引きながら少しずつ落ちてゆく。末尾「かな」の余情の効果で、果敢なさも帯びた幽雅な情景を心地よく受け取りました。

眠る子にプールの匂ひかすかなり  同上

あまりにも有り触れているため、普段の生活では特別気にもとめない場景かもしれません。けれど、定型とは凄いもの。こうして五七五にパッケージされただけで眠る子の愛しさ、その子の成長を見守る幸せ、そして平穏無事な夏を過ごしている充実感──そんなさまざまな感慨がじんわりと伝わってきました。戦後社会では、〈限定〉が負価値として捉えられてきた面もあるかと思います。けれど、私はこのような作品に触れるたび、〈限定〉することの素晴らしさを思わずにいられません。

揚羽蝶連れて飛び石渡りけり  同上

「飛び石」を渡っているときにたまたま「揚羽蝶」と移動が重なった。ちょっとした巡り合わせである。でも通常ならば、飛び石を渡り切って一分もしないうちに忘れてしまうレベルのことかもしれません。それが、ひとたびこうして五七五にパッケージされただけで、揚羽蝶との巡り合わせをいつでも再生できる。これも〈限定〉による効果といえるでしょう。

シーソーに一人は静か夏の空  同上

シーソーに一人で腰をおろしたときの静けさ。その静けさが、複数人と興じるシーソー遊びで見過ごしてきた「夏の空」を意識させた。〈静〉を得たことによる発見といえるでしょう。と同時に、普段の忙しない〈動〉としての〈私〉を上から支えていたのもこの「夏の空」だった、と気づいたのではないでしょうか。

ところで上記までの読みは、一句単独を前提としてのものです。近代以降の短詩では、八作品なり十作品なりのパックで発表されることが多いので、多かれ少なかれ他の句が影響を及ぼしてきます。「夏の空」十句もそう。通しで読むと、〈生〉と〈死〉のコントラストがそこはかとなく伝わってきます。たとえば、「昼顔や孵りたてなる雛の嘴」「青柿も実梅もわれも雨の中」「目凝らせば梅雨の燕のかく高く」などは〈生〉を描いた句です。いっぽう、「みづうみに向く籐椅子の遺品めき」「花鬼灯喪服の傘のとりどりに」は〈死〉が関わっています。それに気づいたとき、掲出の四句が一句単独のときとは違う雰囲気を醸してきたから不思議です。まるで四句とも〈生〉と〈死〉のあわいが詠まれているみたいで。

風鈴と冷やし毛皮を売り歩く  竹井紫乙

毛皮の機能を転倒させた「冷やし毛皮」。その造語だけでも面白いですが、夏の風物詩とばかりに「冷やし毛皮を売り歩く」というのですから、リアルすら感じます。螢売、金魚売、風鈴売、そして冷やし毛皮売。

人でなし人面鳥に告げられる  同上

人間の顔をもつ「人面鳥」。人間でありながら「人でなし」といわれてしまった作中主体。「人でなし」と「人面鳥」の対比は、鳥と人との区別を曖昧にしていきます。その結果、人間を頂点とした人為的な〈生物ヒエラルキー〉は崩される。別言すれば、鳥と人とが等価になってしまうことで、鳥と人が〈入れ替え可能〉になってくる。そうであれば、鳥面人が「鳥でなし!」と告げられるケースも出てくるかもしれませんね。

押し花と一緒に眠る押し毛皮  同上

剥製があるのだから「押し毛皮」があっても不思議でありません。上掲句では、「押し花」と「押し毛皮」が並べられることにより毛皮と花のあいだにある上下差別が突きつけられ、ひいては、〈生物ヒエラルキー〉が問われてくる構造があるのではないでしょうか。先の「人面鳥」の句もこの「押し毛皮」の句も、一種の寓話として読むことができそうです。


階段に壁に厠に蚊の睡り  野口る理

「蚊ってさ ほとんどの時間休んでんだよ 壁や天井で」
笹野高史さんが出演しているKINCHOのCMを思い出しました。もうひとつ思い出したものがあります。それは、大正末期〜昭和初期に「新興川柳」を牽引した川上日車の「天井へ壁へ心へ鳴る一時」という句です。野口句は「AにBにCにDだ」、日車句は「AへBへCへ(Eする)Dだ」と似通った構文になります。ただし違いもあります。野口句では、A〜Dまですべて対象物として距離を置いているのにたいし、日車句では、自分の「心=C」をも経由してからDに収斂されていきます(もちろん野口句も「蚊の眠り」に意識を向けることでそれが自分の心に反ってくるのだ、という物言いもできますが、その議論は煩雑になるので無視します)。対象を対象のまま読者に手渡すか、対象をいったん作中主体が引き受けてから読者に手渡すか。ささいなことですが、それによって質感に微妙な違いが出てくるのが興味深いです。


天然の月代ですねと言うてくれる薄毛の軍師バーバー黒田  石原ユキオ

モノレール廃線したる悔しさに夜毎ふるえる高尾アパート

★★★★★ヘッドスパ最高でした。また来年きます。(おさかべ・年齢ひみつ♡)

アーモンドバターひと瓶費やして結い上げられた甘やかな髷

手柄山展望喫茶回転が速まりついに消えてしまった

“BARBER KURODA”から姫路ゆかりの黒田官兵衛を連想し、そこから高尾アパート、おさかべ姫、Mucheのアーモンドバター、手柄山と、姫路愛あふれる姫路づくしで構成されています。連作「アーモンドバター」は、まるで漫画のようなテイスト。軍師官兵衛が理髪師だったり、妖怪おさかべ姫がお客さんだったり、アーモンドバターで髷を結ったり、戦国時代と現代がシンクロしていたり。とても楽しく読みました。

歌壇には、わりと生真面目なひとが多いのか、切実な境涯とか実存を問うような連作がずらっと歌誌に収録されることも少なくありません。もちろん、重たい作品には重さゆえの良さがあります。でも、その合間に「アーモンドバター」のような連作が掲載されていたら、いい感じに抑揚がついて読みやすくなるのではないかしら。

良いことなのか悪いことなのか分からないけど、歌壇では、現実世界の論理を前提にした読み方がまだまだ主流である。でも、ここ十五年くらいだろうか、「この作品は現実の論理で読むべきか、漫画のように読むべきか」をごく自然にギアチェンジできる読み手が増えてきたと思います。今後はきっと、「アーモンドバター」のような甘さとコクと香ばしさを兼ね備えた、新傾向の短歌が増えてくる気がします。

(つづく)




遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
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