2016-08-14

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】ですですですますますます 野口 裕

【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
ですですですますますます

野口 裕


毛皮の空洞からもれる細い目 竹井紫乙

昔、川柳「バックストローク」大会でのシンポジウムテーマが「悪意」だったことがあります。この句で、それを思い出しました。
細い目だからと言って「悪意」があると決めつけるわけにもいかないでしょうが、毛皮と合わせると、ちょっと怖いキャラクターを想像させます。

砂時計のくびれを落つる蛍かな 遠藤由樹子

蛍と作者が同一化してゆくような自己愛の一過程でしょうが、いっそ砂時計中の砂一粒ひとつぶがすべて蛍だと思ってみましょう。
虚空に浮かぶ巨大な砂時計に閉じ込められた蛍の群れが光りながら滑り落ちてゆく。なかなか壮大です。

ボルゾイの匂へる梅雨の真昼なる 野口る理

ボルゾイはロシアのオオカミ狩り用猟犬とのこと。特集「BARBER KURODA」から、よくそんな犬が連想されたと妙な感心をしました。

アーモンドバターひと瓶費やして結い上げられた甘やかな髷 石原ユキオ

丁髷を結っている若い人を電車で見かけたことがあります。月代も綺麗に剃り、見事なものでした。惜しむらくは、液に浸かりすぎた明太子のように、髷がくたっとなっていたことです。アーモンドバターを使えばよかった。

翠陰か不意なるナイフ簡易椅子 井口吾郎

回文とは不思議な言葉遊びです。
句を声に出して読み、録音した物を逆再生しても元には戻りません。日本語の最小表現単位である、ひらかなまたはカタカナで綴ったものを逆から読めば元の句がようやく再現できます。
「翠陰」をどう読むのか一瞬迷いましたが、「簡易椅子」を逆から読んで「スイイン」と読むのだと分かりました。便利なところもあります。
ヤーさんになってしまったり、パンチパーマが安かったり、急にナイフが出てきたりと、ここまで「BARBER KURODA」は怖いところのようです。

黄泉の国に点々とスターバックスが並ぶ風景 いつかきた道 黒田バーバー:柳本々々

ついに、死者が出てきたようです。
作者名を:で繋ぎましたが、べたに=の方がよいかも知れません。古典の世界なら詠み人知らずの歌を特定の他者に仮託するのは、よくある話ですが、現代でそれがうまく行くかどうかは微妙。裏で糸を引く々々さんが見えています。

マンホール叩いておりし神無月 曾根 毅

特集だからと言って複数の句を連ねる必要はありません。ですが、物足りなく見えるのも事実。読者としては、作者が何句も書いて、残したのがこの一句と思えばよいでしょう。残らなかった句群を想像しつつ。

木の下に田中あまがえるがそよぐ 福田若之

日本語の名字は、○○の中とか、□□の上とか、ご先祖が住んでいた場所を指し示すようなのが沢山あります。田中さんの家は田んぼに取り囲まれていたのでしょう。引越が繰り返されている内にそんなことは忘れ去られ、誰も何も感じないでしょうが。
だから、田中さんは田んぼと何の関係もないのか?それがそうとも言い切れない。
句では、木の下(これも名字みたいでややこしい)に田中さんがいて、田中さんは田の中で、そこにあまがえるがすいすいと泳いでいる。
まるで、田中さん自身が田んぼのようで、田中さんの体内の田んぼにあまがえるが存在するような錯覚に陥り、落語の「あたま山」と似た世界が広がります。「一歩ずつ田中にあめんぼがさわぐ」も同工。表題の「田中は意味しない」を額面通りに受け取るのは無理のようです。

終バスの煌々とあり夏は来ぬ
アート紙にかすかな湿りその一枚一枚に棲む浅丘ルリ子 西原天気

有名人の人名入りの短歌を基盤にしつつ、五七五をそこに打ち込むという凝った造りです。表題「かの夏を想へ」が、小野茂樹風でもあります。そこに終バスと来れば穗村弘と、さらに話は複雑になる。浅丘ルリ子からは、日活映画あるいは寅さんと連想が広がる。ひとつひとつの語を丹念に拾ってゆけば相当の字数を費やしてしまうことになるでしょう。
したがって、濃厚な味わいの取り合わせに、「夏は来ぬ」というさっぱりした措辞を効かせることで全体を引き締めていると、料理レポーター風にまとめなしゃあないのです。

列の崩れて湧水に触れてゆく 村田 篠

何の列かは分からないが、炎天の最中にじりじりとしか進まない列が途中で崩れています。そこら辺りだけが、鬱陶しさを忘れて若干はしゃぎ気味。湧き水のせいかと、列がそこまで来て納得する作者もまた、その瞬間だけは列のことを忘れています。読後に清冽な印象が残ります。

夏団地食卓塩のびんの肩 上田信治

夏団地と言われただけで、深夜にしか帰ってこない夏休み中の中高生や、親の方も夜に居たり居なかったりの崩壊している家庭を思い浮かべてしまうのは、ある種の映画や小説の読み過ぎかも知れません。
ですが、こう書かれると、帰宅したときに迎えてくれたのが食卓塩だけだったようにも読めます。梅干しではなく、食卓塩。これが現代の家庭像でしょうか。


遠藤由樹子 夏の空 10句 ≫読む
竹井紫乙 ドライクリーニング 10句 ≫読む
特集 BARBER KURODA ≫読む
福田若之 田中は意味しない 10句 ≫読む
西原天気 かの夏を想へ ≫読む
村田 篠 青 桐 10句 ≫読む
上田信治 夏団地 23句 ≫読む

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