2016-08-21

回想の「俳句以外」 福田若之



回想の「俳句以外」

福田若之

俳句の引伸写真は和歌にはならない。
――山口誓子「季節の挨拶」
普段、平然と散文らしきものを書いているわりに、いざ「俳句以外」を見せてほしいなどと言われると、いささか当惑してしまう。ほんとうは、ハイクジュース(無果汁、みたいなものがうまいこと書ければよいのだろうけれど、結局、(原材料の一部に俳句む)、みたいなことになるのがオチだろうそもそも、僕の書いてきたもので、果たして、完全に俳句でないものなんてあっただろうか。一切の俳句性を欠いた「書くこと」を請け負うことが、たとえそれがまやかしであったとしても、いまの僕にできるのだろうか。

まの僕に、というのは、かつては僕もそれらしきことをやろうとたことあるからだ。

かつて、といっても、それほど昔のことじゃない。ほんの五年ほど前のことだ。僕は、いずれもごく短いものだったけれど、「小説」と称していくらかを書き、「自由詩」と称していくらかを書き、「短歌」と称していくらかを書きながら、「俳句以外」にも何か書けるものがないかとあこがれていた。今日、完全な「俳句以外」を書く自信をまるっきり持たない僕は、それらのうちのどれかをここに生身でぽんと晒してお茶を濁そうかとも思った。けれど、いま、保存されていたデータファイルを開いて読み返すに、それらはまるでくだらないものでしかない。自己評価としてさえ、「小説」は人形を操る糸ばかりが見え透いた茶番でしかなく、「自由詩」は悪い意味での道化そのものでしかなく、「短歌」は猿真似のまがいものでしかない。

それでも、この機会に、「短歌」だけはひとつ残らず晒してしまおうと決めた理由のひとつは、僕の俳句を読んだひとたちから、たまに、短歌をやってみたらと勧められることがあるからだ。そのひとたちにとって、僕の俳句は、どうやら同じ書き手による短歌を読んでみたくなる類のものらしい。もちろん、なんにせよ、こいつの書くものをもっと読みたいと思ってもらえるのはありがたい。けれど、そんなふうに気をもたせることに僕はこれ以上耐えられそうにない。なぜなら、僕はどうしようもなく知っているからだ。僕の書くような「短歌」なんて、ゴミクズみたいなものでしかないということを―― 

半身を曝してロック・シンガーは匿名的な愛を叫ぶ 

浮沈して増殖して遊泳して上陸して自立して僕たち 

二十世紀の印象、一つはぬばたまのクロード・レヴィ=ストロースの眼鏡 

映画には捏造された思い出が残されていて見返すもんか 

未来とはミンチにされるだろう肉――こんな喩えをしなくなりたい 

目の前で陰口を叩かれているそんな気がして闇雲に聴く 

なんとなく僕の病を感じても知らないふりをしてくれている 

ネアンデルタール人から電話です「アナタノコトヲイツモミテマス」

作為って何なのだろう、その問いがすでに作為をもたらしている 

何億光年かなたのことや何千年みらいのことばかり科学館 

不動産屋の角を曲がってふとなにかうしなわれたと感じたら、春 

これら十と一つの代物が、僕がこれまでに書いた数少ない「短歌」のすべてだ。期待に添えなくて非常に申し訳ないけれど、福田若之の「短歌」なんて、せいぜいこの程度のものでしかない。ファイルの更新日時の記録と僕自身の記憶によれば、これらは、いまから四年半ほど前に、一息に書かれたものだ。それからすこし間をおいてこれらの歌を見返したとき、僕は、とにかくこの先に何の展望も可能性もないことだけははっきりと感じ取った。そうして、僕は早々に「短歌」から手を引いた。

この文章を書くために、これらの「短歌」を読み返しながら、ひとつ、思い出したことがある。当時、僕は連作俳句について考えるために山口誓子の俳句と散文を読み漁はじめたところだった。それで、「短歌」を書こうとした僕はただひたすら誓子のいう「俳句の引伸写真」にだけはならないように意識しながら、これらの言葉をつむいだ。「俳句の引伸写真」ではない何か、それが当時の僕にとっての「短歌」の漠然とした定義だったのだ。

和歌と短歌とはまた違うのではないかと言われそうだけれど、誓子はここに引用したのと同じ文章で「俳句」と「三十一文字」との違いを強調してもいるだから、ここで誓子が「和歌」と称しているのは短歌のことだと考えてひとまず差し支えないだろう。

そうした誓子の言葉と僕の「短歌」とのかかわりを、僕は映画には捏造された思い出が残されていて見返すもんかを見返すことによって思い出したのだった。そこに書かれている言葉は僕の本心に由来するものではなかった。僕は単に、俳句を映画と結び付けた山口誓子が短歌を俳句から遠いものと考えていたことを理由にこう書いたというにすぎない。僕は、「短歌」と称して、書きたくもなはずのことを書いてしまったように思う。僕が、先ほど、これらの「短歌」に対する個人的な感慨として、ついに「ゴミクズ」などという言葉かけざるをえない気分になってしまったの、おそらくは、それゆえのことだった。

いずれにせよ、僕は誓子の短歌観をもとに十一首の「短歌」を書き、当時からしてすでに、自分にそうした向きでの生きたさのまるでないことを認めざるをえなかったのだ。

この出来事以来だろうか、僕は、俳句の定型より長いものを書こうとするときにさえ、ある意味において全く〈俳句〉でしかない類の書く行為をできるかぎり引き延ばすことで、かろうじて書き続けてきたように思う。いま、僕が「俳句以外」と称して何かを書くことができずにいるのは、結局のところ、そうした理由によるのだろう。以前、マイナビブックスの「ことばのかたち」に連載した「塔崩れ去った」さえも、僕にとっては〈俳句をひたすらに引き延ばしたものった。

「短歌」を書いた当時の僕は、誓子の言葉によって、短歌を他よりも俳句から遠い形式と考えていた。これが、ここに「小説」や「自由詩」ではなく「短歌」を晒すことにしたふたつめの理由だ。他のものは、今見返すと、ほんとうに「俳句以外」を書こうとしていたのか疑わしいところがある。たとえば、僕が当時書いた「小説」のひとつは、手をピストルのかたちにして「バン!」というと人差し指の先からシャボン玉を撃ちだせるという特殊能力を持った少年が、しかしながら、少なくともその能力によって直接的には世のなかをなにひとつ変えることなどなかった、という話だった。このシャボン玉を、僕は俳句から発想したような気がする。

ちなみに、僕は他に記憶している限りでもう二篇「小説」を書いたのだけれど、そのうち一つは、休日に大学生たちがドライブに行った先で飛び出してきた宇宙人を轢いてしまうもののそれによって世のなかは変わらないという話で、もう一つは、電車の窓ごしに街並みを眺めていた青年がビルの屋上から天使のおっさんが飛びたつのを目撃するもののそれによって世のなかは変わらないという話だった。ファンタジーによって世のなかが変わらないという話を書くことで、僕は、そうしたファンタジーがもしかしたらこの世のなかのどっかにきっとあるかもしれないというそのほぼゼロに等しい可能性を、せめて可能性としてだけは生かしておきたかったのだったように思う。

僕のもっとも愛誦する短歌は、ここに記した出来事の後も、変わらず、伊藤左千夫の《牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる》でありつづけている。

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